また、その反面、自身の専門とする分野以外については、あまり積極的に意見を言わない、書かないものとも一般的に考えられています。
さらに、こうしたことは侵してはならないといった不文律・空気らしきものが我が国の社会には隠然と存在するのではないかと思われます。
その一方、これを一例として、さまざまな社会にて隠然と存在するこれら不文律・空気といったものがインターネットの普及に伴い、徐々に明らかになりつつあるのが現今社会の趨勢であるとも云えます。
こうした社会のさまざまな分野における葛藤とは、今後しばらく続くのでしょうが、それでも、そうした相のさらに奥には我々が古来より普遍的に持つ本能に近い性質といったものがあるのではないかと思われます。
それは『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』であり、おそらく宗教といったものは、それが進化すればするほど、あるいは言語により、その教義が述べられるようになるほど、そうした性質が強化されていくのではないかと思われます。
そしてまた、こうしたことにおいても一神教と多神教の間では、その先鋭化の強さ、傾向といったものが異なるのではないかと思われます。
ともあれ、そのように考えてみますと、限定された専門分野における十全な知識・知見を備えた科学者・研究者が、さきの『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』によって、自身の知性の更なる向上を試みた場合、往々にして科学的であるよりかは、宗教的と解釈されるような考えになる傾向があるのではないかと思われます。
くわえて、科学的な知識・知見の進化発展とは留まることがありませんので、一人の人間が、ある科学分野における十全な知識・知見を持ちつつも同時に『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』を求めることは、実質的にかなり困難(不可能に近い)であるのが現状ではないかと思われます。
しかし同時に、現在の我々の社会において、実質的な利益は(あまり)伴わないものの必要とされている要素とは『科学的知識・知見』と『すべてのものを包括する統一的な知識』を結び付けるような見解を示すことではないかとも思われるのです。
そして、こうした難局(すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質が失われてしまう・・)をどのようにして(創造的に)乗り切るかと考えた場合、やはり誰かが、さまざまな知識・知見あるいは事実や理論を総合する作業に思い切って手を着けるよりほかにはないと思われるのです・・。
たとえ、そこで述べられる知識・知見・理論の若干においては又聞きであったり、不完全にしか知らなくとも、あるいは物笑いのタネになる危険を冒すとしても、そうするよりほかにはないと思われるのすが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味をもって読んで頂きましてどうもありがとうございます。
近年、列島各地にて生じた地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。
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