2025年8月30日土曜日

20250829 株式会社世界文化社刊 白洲正子著「風姿抄」 pp.38-40より抜粋

株式会社世界文化社刊 白洲正子著「風姿抄」
pp.38-40より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 441809511X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4418095117

 彼(秦秀雄)は、井伏鱒二氏の「珍品堂主人」のモデルになった人で、珍品を見出すだけでなく、彼自身珍品である。別にそういったものを目指しているわけではない。人が見のがしたものの中に、安くて美しいものを発見する。落穂拾いの名人だ。世間一般の常識的な鑑賞ではなく、非常に個性的な物の見方をする。しぜん面白いものが集まって来るわけだが、時にはまったく他人に通用しない「珍品」に惚れこみ、長々とおのろけを聞かされることもある。

 いつか鎌倉時代の根来の盆を買って来た。たしかに時代はあるに違いないが、荒れはてていて、すだれのようなすき間があり、根来とは名ばかりである。だが、秦さんは夢中になっていた。「裏を観てごらんなさい、建長元年と書いてあるでしょう」

 だが、そこにはかすかに朱色が残っているだけで、建とも長とも読めはしない。好きなあまりに執念が、ありもしない字まで読ませてしまうのだ。そういう所が、まことに面白い。 大体、ものに惚れこまないような人に、骨董はわからないもので、それは欠点というより、むしろ美点と呼ぶべきであろう。贋物をつかむことも、あえて辞さない。贋物も買う勇気がない奴に、何で骨董がわかるか、という気概を持っている。真贋の問題は、とても奥深いのでここではふれないが、それは悪女にひっかかるような体験で、悪女ほど女の正体がつかめるものはないのである。

 とかくそういう人は誤解を受けやすく、秦さんも風評の多い人物だが、私みたいなぽっと出が、長い間つきあえるのも、しんは善人だからに違いない。そういったら、彼はがっかりするだろう。彼は自ら悪人をもって任じ、親鸞上人に帰依しているが、私に関するかぎり、いつも親切なおじさんだった。特に近頃は、年をとったせいもあって、秦さんには申しわけないけれども好々爺じみて来た。もっとも、人間は複雑怪奇なものだから、他の人がどう思うか、それは私の知ったことではない。少なくとも私は、こんな友達を持って、珍品を授けてくれるのを、有難いことに思っている。

 私は美術品が、夢にもわかるとは思っていないが、自分が好きなものだけは、はっきりしている。それを知るために、何十年もかかったといっていい。客観的に鑑賞するすべも、心得ていないわけではないが、それは別の世界の出来事で、どんなに立派な国宝でも、自分の性に合わなければ、単に「結構なもの」として頭のすみっこで認識するにすぎない。世の中には、「結構な人間」も大勢いて、尊敬はするが親しみが持てないのと一般である。それだけを知るために、何十年もかかったとは、何という愚かなことか。だが、骨董とは、そういうものであるらしい。

 骨董屋はよく物を買うのは真剣勝負だというが、場所が違うだけで、素人にとってもそれは同じことだろう。もしこの茶碗がいけなければ、私が駄目だということだ。うっかり編集者さんの口車に乗せられて、こんな原稿を引き受けてしまったことを、私は後悔している。それは裸の自分を見ることに他ならず、恐ろしくもあり、恥ずかしくもある。