先日来より読んでいる著作は下巻に入り100頁ほどまで進みました。このあたりになりますと、さきの章にあった宗教から、さらに進み、科学技術およびそれを基礎として発展する武力といったことに(より)焦点が当てられています。
このことは他の通史的な著作においても数多く述べられていることではありますが、表現、言い回し、論法を変えた文章にて読んでみますと、なかなか新鮮に感じられるものです。
さて、そうした著作において共通して述べられていることは『西暦1500年あるいは16世紀あたりまでは西欧とは、世界の片隅にある(どちらかというと辺鄙な)一地域であり、またその科学技術、文化とは総じて同時代の中東、中国などと比べ遥かに立ち遅れていた。しかしながら、その西欧文化が2~3世紀のちに世界他地域の文化を席捲あるいは支配し得るまでに強大となった。そして、その主たる要因とは、元々西欧発祥ではない伝来されたさまざまな利器を分解、それら機能の原理を要素毎に言語を以って普遍的に理解し、以って利器の数多くの複製および更なる改良を可能ならしめ、そして、それを軍隊が広範に装備したことに因る。』といったところです。そして、その具現化された典型が銃器であるのですが、こうした流れにおいて極めて重要であるのが、主に理系学問分野での主たる概念と評し得る『再現可能性』といえます。
この『再現可能性』に対し、西欧社会とは、かなりこだわる性質を持っているようであり、あるいはその傾向とは『執拗』と評しても良いのではないかと思われます・・。
また、ここまで書いており不図思い出されたのは、みすず書房刊 マックス・ヴェーバー著の「宗教社会学論選」という著作のおそらく冒頭部付近において『楽曲の楽譜への表記・記述を以って、楽曲の再現可能性を為し得たのは西欧文化のみである』といった記述です。この記述部が今日の学術研究レヴェルにおいて厳密に史実であるかどうかは別としても、少なくとも、さきに述べた抽出された通史的内容とはある程度の親和性があるのではないかと考えます。
そのように考えてみますと、今日我々の社会一般において『理系』的として分類されるあらゆる事物・アイコン・性質とは、その殆ど全てが西欧文化に直接的起源を持つものであり、またその文化の背景には、ある種(彼らなりの)戦闘的で猛々しい、武力への渇望といった要素が潜んでいるのではないかとも思われるのです・・(それは西欧諸言語の言霊でしょうか?)。
そして、それは論文和訳調あるいは理系文章的表現とも云える、一種決然的、断定的な文言がかっこいいとされるような価値観、風潮が認められる、ここ最近の我が国社会であるからこそ、よりそのように(強く)感じるのかもしれませんが、さて如何でしょうか・・(笑)?
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
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