2026年2月3日火曜日

20260203 株式会社河出書房新社刊 イタロ・カルヴィーノ著 須賀敦子訳 「なぜ古典を読むのか」 pp.17-19より抜粋

株式会社河出書房新社刊 イタロ・カルヴィーノ著 須賀敦子訳 「なぜ古典を読むのか」
pp.17-19より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 430946372X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309463728

 古典とは、他の古典を読んでから読む本である。他の古典を何冊か読んだうえでその本を読むと、たちまちそれが「古典の」系譜のどのあたりに位置するものかが理解できる。

 この時点で私は、ひとつの決定的な問題、すなわち古典を読むことと、古典でないすべての他の読書とを、どう関連づけるかについては書かずにはいられない。つぎのような疑問が、この問題とかかわっている。「もっと根本的なところでわれわれの時代を理解するのに役立つ本を読まないで、なぜ古典を読めというのか」そして、「時事問題にかかわる印刷物がなだれのようにわれわれを圧し潰そうとするこの時代に、古典を読む時間や余裕はどこにあるのか」。

 一日のある部分を。ルクレティウスや、ルキアノスモンテーニュエラスムスケベードマーロウ方法序説ヴィルヘルム・マイスターラスキンプルーストヴァレリー、ときに気が向けば紫式部、あるいはアイスランド・サガなどを読むためだけに、「読書の時間」をもうけている幸福な人間を想像してみよう。それも、出たばかりの新装本の書評を書く仕事、教授資格をとるための論文執筆、契約でひきうけた編集の仕事の切迫した締切りなども、この人には関係ないとしよう。この幸福な人は自分が汚染されないために、読書のダイエットをきびしく守り、新聞を読むことも新刊小説や最近行われた社会調査の誘惑からも、つねに自分を守らねばならない。さて、このような厳格主義がどれほど正しいか、あるいは有益かは、一応、別の問題として措くことにする。時事問題のたぐいは月並で不愉快なものかもしれないけれど、前に進むにしても、後に退くにしても、とにかく自分がどこに立っているかを、わからせてはくれる。そして、古典を読んで理解するためには、自分が「どこに」いてそれを読んでいるかを明確にする必要がある。さもなくば、本自体も読者も、時間から外れた雲のなかで暮らすことになるからだ。古典をもっとも有効に読む人間は、同時に時事問題を論じる読物を適宜に併せ読むことを知る人間だと私がいうのは、こういった理由からである。そのためには、かならずしも内面の静寂を前提としない。忍耐が足りなくていらいらしているときも、なにかが不満でうんざりしているときでも、古典は読める。

 理想をいえば、時事問題その他は、窓のそとの騒音ぐらいに思えるのがいちばんいい。窓のそとでは交通渋滞や天候不順があることを知りながら、部屋にいて古典の言説の透徹した格調たかいひびきに耳をかたむける、というのが。しかし、音声をいっぱいにあげたテレヴィジョンみたいな時事問題の喧騒に満ちた部屋にいて、遠くに聞こえる轟音ほどに古典の存在を感じられるなら、それでもずいぶんとましなのである。

20260203 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「テーマパーク化する地球」 pp.165-167より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「テーマパーク化する地球」
pp.165-167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188315
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188313

 では、そもそも人文学とはなにか。さまざまな定義があるだろうが、筆者はそれを、反復不可能な歴史を扱う知と考える。他方で自然科学は、反復可能な事象を扱う知だと考える。より正確にいえば、反復不可能に見える現象を反復可能な相のもとで捉え返す、それこそが自然科学の本質だと考える。ダーウィニズムは歴史を扱うではないかと反論が来そうだが、吉川浩満が「理不尽な進化」で指摘したとおり、進化論はまさに反復可能性と反復不可能性の矛盾に切り裂かれた学であり、だからこそ逆に自然科学の本質を照らし出している。

 人文学者は、「この歴史」をたった一回の奇跡として受け取る。したがって、偶然としか考えられないような歴史の細部もすべて重視し、伝統の継承なしには前に進めないと考える。対して自然科学者は、「この歴史」を、無限の反復のなかの一例、統計のひとつのサンプルと解釈する。彼らにとって、本質は歴史ではなく歴史を産出する原理のほうであり、したがって、偶然の出来事はノイズとして排除すべきだし、教科書は新しければ新しいほどよいと考える。人文学と自然科学の制度や慣習のちがいは、基本的に歯この差異から帰結する。

 このように整理すればあきらかなように、人文学と自然科学は、どちらが正しいとか、どちらが優位とかいったものではない。人間は、普遍を認識することができるが、実存としてはただいちどしか生きることができない。人類は、普遍的な認識に到達することができるが、その認識へはひとつの歴史を通してしか到達しない。人文学と自然科学の「対立」は、このような人間の存在構造そのものにより生み出されたものであり、「学際的」云々によって乗り越えられるようなものではない。人間は、人文学だけで生きていけないのと同じように、自然科学だけでも生きていけない。そもそも自然科学はその本質において自律的ではない。反復可能な事象を扱う自然科学、それそのものが反復不可能な「ヨーロッパ近代」の産物でしかないという矛盾については、かつてフッサールが「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」で扱い、またデリダも、同書付録論文への長いコメンタリーである『「幾何学の起源」序説』で主題としている。

 さて、あらためて依頼された主題に立ち返るとするならば、それゆえ、人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはないというのが筆者の考えである。人類が、ただいちど「この歴史」のなかでしか文化を築けないかぎり、いくら自然科学が発達し世界の物理的制御力が増したとしても、人文学の伝統が消え去ることはない。かりに人間が生物学的には人間ではなくなり、意識が情報になり、記憶が反復可能になり、「わたし」の数が無限に増殖可能になったとしても、そのなかに「このわたし」がいるかぎり、文学や哲学がなくなることはない。その点で人文学の未来は保証されている。人文学を必要とする人間はかならずいる。ただし、その従事者が、これからも現在のような優遇された労働環境を享受し続けることができるか、前世紀までのような社会的影響力をふたたび回復することができるのかといえば、それは保証のかぎりではない。

 人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはない。それは裏返せば、自分が人間であることに気づかない人間にとっては、人文学はほとんど価値がないということである。そして、いつの時代も、たいていの人間は自分が人間であることに気づいていない。

20260202 株式会社岩波書店刊 亀山郁夫著「ショスタコーヴィチ:引き裂かれた栄光」」 pp.364-365より抜粋

株式会社岩波書店刊 亀山郁夫著「ショスタコーヴィチ:引き裂かれた栄光」」
pp.364-365より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4006023715
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006023713

 1957年、すなわちロシア革命40周年の記念すべき年、ショスタコーヴィチは、第一次ロシア革命を描写的に描く交響曲11番を完成させる。その初演は、同年10月30日、N・ラーフリン指揮、ソヴィエト国立交響楽団の演奏によって行われた。スターリン亡き時代にあって、この交響曲が、その長大さにもかかわらず、革命20周年を記念する交響曲第5番ほどの複雑な内面性をもたなかったことは明らかである。他方、20世紀初頭の革命歌をふんだんに使用した第4楽章は、文句なしに祝祭の音楽と意味づけることができるもので、そのメッセージ性の高さからしてめざましい成功を収めることができたのは当然のことだった。初演からまもなく開かれた作曲家同盟の会議でも、「けたはずれのリアリスティックな力強さを感じさせる作品」との評価が与えられた。

 全体で4つの楽章からなっており、それぞれの楽章に標題がついている。 

 第1楽章「宮殿前広場」は1905年1月9日(ユリウス暦)に起こった「血の日曜日」事件の不気味な予感を漂わせる音楽で、革命歌「開け!」を引用しつつ、革命前夜の不穏な空気を伝える」。アレグロによる第2楽章は。「1月9日」と題されており、低弦による不気味なうごめきが、民衆の行進を描き出す。ドルマトフスキーの詩につけた「革命詩人による10の詩」から第6曲「1月9日」の自己引用がなされ、トランペットの合図によって皇帝軍による虐殺の場面が描かれるが、弦楽器とチェレスタによる音楽はまさに葬送とレクイエムのシンボルと見ることができる。これは、エイゼンシテインの映画「戦艦ポチョムキン」の名場面「オデッサの階段」の伴奏として使用され大きな注目を浴びた。周知のように、「永遠の記憶」と題された次の第3楽章では、二つの革命歌(「同志は斃れぬ」「こんにちは、自由の自由なる言葉よ」)が引用され、力強いクライマックスを迎えたあとに再びレクイエム風の音楽に戻る。第4楽章「警鐘」は、金管楽器による革命歌「狂うがよい、暴君どもよ」、次いで「ワルシャワ労働歌」が使用され、炸裂する音楽ののち最後は帝政ロシアへの警鐘によって閉じられる。

 いかに内面的な複雑さを持たない音楽でも、ショスタコーヴィチにおいてはつねに「二番底」の存在を疑ってかからなくてはならない。十月革命40周年という記念すべき年にふさわしい音楽として、1905年がテーマとして取り上げられること自体、さして問題はない。しかし、この革命がそもそも挫折した革命であることを彼はどう受け止めることができたのだろうか、しかもこの曲が書かれる前年にハンガリー事件が起こり、ショスタコーヴィチ自身が知人を介してその事件の内実にかなり深く通じていた事実もある。