2017年4月11日火曜日

20170410 自身の文体が認識出来るようになるには・・

A「本日の首都圏は先週末に比べ若干気温が低く、肌寒く感じられました・・。

また、明日に関しても、あまり気温は上がらないとのことでした。
おそらく三寒四温と一言で云っても、幾つかの段階において、そうした現象(数日レベルでの気温の上下)を繰り返し、徐徐に平均気温が上昇していき、そして季節が変わっていくのかもしれません・・。

また、たしかに急激な数日レベルでの平均気温の上下とは、身体に対する負担も大きいことから、上記の緩徐的な季節の移り変わりとは、我々の身体にとって上手い具合に出来ているのかもしれません・・。

とはいえ、春も盛んな五月頃になりますと、五月病といったものが見受けられますが、これもその多くの場合、冬から本格的な春に移行した際の一種の体調の変化に因るものではないかと自身の経験からも思うところがあります・・(苦笑)。

また、こうしたことも、あるいは、このように事前にそうした危惧を文章化することによって、ある程度未然に防ぐことが出来るのではないかとも思われるのですが、この検証とは実際その時期になってから改めて行うことにします・・(笑)。

さて、昨日は休日ということもあってか、思いのほか、作成記事に対する閲覧者も増加しました。

しかしながら、自身は昨日投稿の記事を含め、これまでに作成した記事ほぼ全てに対し、どうも『自信』といったものを持ち得ることが出来ません・・(苦笑)。

どちらかというと書籍抜粋引用の記事の方がより『センスが良い』『面白い』のではないかと未だに思われるのですが、一方、それでも自身の文章にて記事を作成した方が良いと思われるのです。

そしてそれは、これまでに書いた記事に対し『御自分で作成された記事の方が**さんらしさが出ていて読んでいて面白いですよ。』といったご意見を頂戴することも時折あり、そのことから、ある時点(おそらく200記事あたり)から、ここに至るまで概ね自身の作成文章にてブログ記事を継続して作成することが出来ているのではないかとも考えます・・(笑)。
(この点、自身とは至極都合が良く出来ているようです・・)

また、それに加えて面白いと思うことは、そうしたご意見の中で『作成者(自身)の文体が認められる』という指摘であり、これをさらに問うたところ『上手く表現することは出来ませんが**さんの文体はありますよ・・』といった曖昧な返答ではありましたが、こうしたもの(文体)とは、作成者自身では明瞭に認識出来ないこともあるものの(ある程度そうした経験を持つ)他者が読むことにより認識出来るような性質であるのかもしれません・・(苦笑)。

また、そのことから想起されたことは、先日お目に掛かった文系師匠との会話にて出た『ある作曲家が楽曲作成の途中にて亡くなり、その後の未作成の楽章を他者が作成し楽曲完成に至った場合、その二者による作成部分とは完成された楽曲全体を聴くことにより明瞭に区別することが出来る』というハナシであり、このことは、あるいは前述のことに多少なりとも関連があるのではないかとも思われましたが如何でしょうか・・?

ちなみに自身はこの会話にて、それに適応する事例としてモーツアルトのレクイエムを想起し、そのことを師匠に話しましたが、この楽曲も、その作風の相違とは分かるものであるらしいです・・。

また、その会話の続きとして、そうした故事(ジュスマイヤーによる補作)から、後年(20世紀後半!)よりオリジナルの作曲者であるモーツアルトの作風様式に近いものが改訂版として複数出版(楽譜)されたとのことです・・。

こうしたハナシを聞きますと、欧州人のクラシック楽曲に対する情熱を感じると共に、我々日本人にはあまり見受けられない一種のリゴリズム(厳格主義)らしきものを感じさせます・・。

加えて双方文化の相違にも気が付かされます・・(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」