2024年12月9日月曜日

20241209 クリミア戦争について

クリミア戦争は、19世紀中盤の欧州において、ナポレオン戦争以来の大きな転換点となった出来事と云える。この戦争は、単にロシアとオスマン帝国の間の対立だけではなく、列強諸国の複雑な利害と戦略が絡み合った国際的な衝突であった。

戦争の大きな背景には、衰退するオスマン帝国と、それを利用して南下を狙うロシアの野心がある。また、バルカン半島での民族主義運動は、ロシアにとって、同胞スラヴ民族を保護・支援する名目でオスマン帝国領土に介入する好機と考えた。そして、こうした一連のロシアの動向の先には地中海への進出という大きな戦略的野望があった。しかし、それは西欧列強であるフランスや英国からの強い警戒を招くものであり、特に第二帝政時代のフランスのナポレオン3世は、国内での支持を集めるためロシアとの対立を選び、英国はインドへの航路の安全確保のため地中海の安定を最優先とした。こうした背景からフランス・英国共にロシアの更なる南下を阻止するためオスマン帝国側で参戦した。

1853年7月にロシアがオスマン帝国領内に軍を派遣し、バルカン半島への進攻を開始したことで戦争は始まった。当時の西欧列強は、1815年のナポレオン戦争以来のウィーン体制を維持しようと試みたが、この戦争の勃発により、この体制は崩壊した。ロシアの行動は欧州全体の平和を脅かすものとされ、列強間との対立が一気に表面化した。そこで、外交交渉が試みられましたが、ロシアはこれを拒否して戦争へと突き進んだ。

戦場の中心はクリミア半島であった。特にセヴァストポリ攻防戦は、近代的な兵器や塹壕戦が初めて大規模に使用されたことで、新たな戦争の様相を示した。そして、この戦争では70万人以上が命を落とし、また、戦場の不衛生な環境による感染症での戦病死者数も多く、そうした様子は、写真を掲載した新聞によって速やかに本国に知らされ、近代的な戦争の残酷さが浮き彫りになった。フローレンス・ナイチンゲールは、この戦争を通じて看護活動の重要性を世界に示し、後の近代的な医療制度の基礎を築いた。

1856年、パリ条約によって戦争は終結した。この条約によりロシアは黒海での軍事力を制限され、領土の割譲を強いられた。結果とし欧州諸国の勢力均衡は再編されて、ロシアの影響力は一時的に後退した。一方で、英国とフランスが中心となる、新たなパワーバランスが形成された。

クリミア戦争は近代化された戦争を象徴する出来事であり、同時に国際社会のパワー・バランスを変えた。この戦争からの教訓は、工業化を経た近代の戦争がいかに破壊的であり、また、医療体制がいかに重要かを示している。さらに、国際関係では、列強諸国が新たな勢力均衡を模索するきっかけにもなった。そして、この戦争による影響は、現在なおも続いている第二次宇露戦争の経緯や帰趨を考えるする上においても重要であると云える。

そして最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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メールアドレス: clinic@tsuruki.org

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どうぞよろしくお願い申し上げます。



20241208 「文明開化の光と影:日本社会の発展と文化的アイデンティティ」開戦の日に寄せて

 明治維新による西洋近代化の影響は、現代の我が国の社会に深く根付いていると云えるが、我々の多くは、この影響の元である明治以降の西洋近代化について、あまり多くは理解していないのが現状と云える。そこから、現代の我が国社会にも影響を与えている西洋近代化、即ち「文明開化」について考え、その本質を理解することは、今後の社会を考えるうえで重要であると考える。

 「文明開化」を考えるに際しては、ある程度、明瞭な定義を付与するのが適切と云える。しかしながら、定義があまりにも厳密であると、現実での変化に定義の方が対応し難くなり、たとえば、円を「中心から円周上の任意の点までの距離が等しい図形」と定義しても、現実世界の円とは常に完璧な形状ではない。そこから、定義に対する柔軟性の重要さは、我々の活力の発現の仕方にも通じるものがあり、時には活力が節約され、あるいはまた別の時には、好んで消費されるといった様相をがあると云える。

 このことをもう少し述べると、活力には、効率を求めエネルギーを節約する性質と、楽しみや快楽を追求して積極的に消耗するといった性質がある。そして、これらの性質が相互に作用し合い、競争が激化したり、生活が複雑化してきたが、概して、我々の社会は進化発展を遂げてきたと云い得る。

 我が国の文明開化とは、19世紀当時の西欧列強からの圧力による外発的な社会変化の典型例であると云える。そして、急激な外圧による影響を受ける過程で、我が国の社会は、それまで自然に行ってきた自らの国・地域の文化伝統を十分に時間を掛けて吸収するだけの余裕を失い、さらに続く西洋からの影響を受容するために、以前からの文化伝統をも放棄せざるを得ない場面が多くなり、そのたびに不安や虚無感を覚え、やがて、ものごとを深くから理解しようとする内発性が徐々に削がれていった。

 そして、我が国で文明開化が進行するほど、我々の生活は競争が激化して、困難を伴うものとなり、他方で幸福度はあまり向上せずに矛盾した様相を示すようになった。そこから、この「文明開化」は一見すると、その後の我々の社会に便利さや繁栄をもたらしたとは云えるが、その反面で、急速な変化への適応によって内的葛藤を強いている。競争が激化し、生活が複雑化する一方で、生存に対する不安や努力の本質といったものは、時代を超えて変わらない点は注目すべきことである。

 こうした状況下で、我が国の文明開化では「外発的な刺激による急速な変化」を特徴とする一方で、内発的な変化に伴う自然な感覚や、その持続性を欠いていたことから、我々は常に文化的な変化のさなかに自らのアイデンティティ(自己同一性)を模索し続けなければならなかった。こうした外発的な変化が与える心理的負担は、現代においてもなお継続しており、それが我が国国民多くの抱える精神的な困難の根源であると考える。

 文明開化により形成され、現在までも続く我が国の社会は、西洋技術による効率化などの恩恵を享受しながらも、文化的アイデンティティ(自己同一性)の喪失などに不安や戸惑いを覚えている。これらを踏まえると、さきの文開化を再評価して、社会が持続可能な発展を実現するためには、一方的に外部からの影響を受容するだけではなく、内発的な文化の成熟を育む努力が必要であるのではないかと考える。

そして最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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