こうしたことも、考えてみますと、なかなか不思議なことではあるのですが、同時にそれは「ある種の必然ではなかったのだろうか?」とも考えさせられます・・。
そこでハナシを少し遡りますと、私が2009年夏にはじめて大分県の臼杵に立ち寄ったのは、当時、愛媛県松山市に在住していた親戚に「おい、美味しい魚を食べさせてあげるから、こっちに来てみたらどうか?」と云われ、それに対し二つ返事で了承したことが原因です・・。
そして丁度その直前、当時専攻していた学問分野の九州内での夏季支部会が福岡県柳川市で開催され、それに出席させていただくことになりました。
2009年とは、私が鹿児島に移った年であり、また、その支部会とは、私が初めて参加するこの専攻分野における「学会」らしきものでした・・。
また、この支部会には北部九州で開催されるそうした集まりらしく、玄界灘を挟んだ隣国の大学の方々も多く出席されておりました。
そうしますと、自然、発表する演題の内容も共通語である英語を用いることとなり、そこで私は初めて参加者の資格として、英語にて発表される学術的な発表を聴く機会を持つことになりました。
そこでは、普段日本語を話されている先生方同士が日本国内であるにも関わらず、英語にて演題発表、質問、議論される様子を間近で見て、かなりの知的興奮を味わったことが(鮮明に)思い出されます。
また、そこで発表された演題の一つが、当時私が取り組みはじめていた研究内容に近いこともあり、そのことにより、多少なりとも、その意味、内容を理解することが出来たことから、そうした感覚(知的興奮)を得ることができたのではないかと思います・・。
その影響からか、支部会後、柳川から松山に行く際の電車、フェリーの中において資料として持参していたバインダーに挟んだプリントアウトした関連英論文を電子辞書を用いて読んでおりました・・(苦笑)。
実際このようなことを今現在になり想起してみますと、恥ずかしく思わないこともありません・・(笑)。
しかし、開き直るわけではありませんが、こうしたことを何も変と思わずに平気で、よくわからない情熱らしきもので為させてしまうことこそが、大学院というところの良さではないかと思われます・・。
(そしてそれが進行するとD2病となる・・(笑)。)
とはいえ、少なくとも「それ」は私にとっては極めて有益であったように思われます。
また後年、そのような方々を自分が見受けることにもなりましたが、それはどちらかといえば、感情に理屈の衣を着せた非難ではなく、賞賛やら激励に価するのではないかと思いますが如何でしょうか?
以上、これまで大分県の臼杵にまつわるいくつかのハナシの前段階を想起したものを記してみました。
機会があれば、さらにそれ以前を想起してみたいと考えております・・。
そしてまた九州関連となりますが、
今回の熊本での大地震にて被災された地域における出来るだけ早期の様々な生活インフラの復旧、そしてその後につながる復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持ってこの記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして、今後ともどうぞよろしくお願いします。