A「昨日はかなり久しぶり【数カ月ぶり】に1日のPV数が1000を越えました。
読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。
さて、今月も終わりに近づきつつありますので、本日投稿記事の主題は『今月最も多く読まれた記事』についてにしてみます。
今月投稿された中で最も多く読まれた記事は2日投稿分の『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』であり、この閲覧者数(137)は当月にてダントツと云って良く、次点の1日投稿分の『640記事 昨日の偶然の読書から思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』(79)と60近い差がありました・・。
こうした状況をあらためて見ますと、投稿後ある程度時間が経過しても読まれている記事とは、やはり相対的によく書けているのかもしれないと感じさせられます・・。
とはいうものの、そうした比較的よく書かれた【とされる】記事をブログ記事作成のベースあるいは模範形式として用いることは、ブログ記事をも含めた散文を作成する上において本質的に『何か違うのではないか?』と考えさせられるのです・・(笑)。
私見として、継続性を重視するブログ記事作成において大事なことは、その時、その時に感じたこと、考えたことをあまり飾り立てず簡潔に表明していくことではないかと考えます。
そうした場合、自身の想念、考えのカタチをあまり形式に依らずに、むしろ泥縄式・対症療法的にその場、その場で書いていく方が、結果としては自身を鍛え、また文体の確立、獲得に近づくことが出来るのではないかと思われるのです・・(笑)。
しかし一方、ある時期においては起承転結あるいは緒言、材料・方法、結果、考察といった形式に【意識的に】則り文章を作成することもまた重要であるとも考えるのですが、この移行の仕方、時期とは、おそらく『各々の局面における必要性』によって変わってくると思われますので、その理想モデルなどは示しようがありませんし、またそれ以前に無意味ではないかとも思われます・・。【発展段階説?】
ただ思うことは、意識的に形式に則り文章を作成する時期と形式など考えずに、ただ自身の想念、考えを書いていく時期の双方を持つことが重要ではないかということです。
また弓も弦を張ったままにしておくと切れやすくなると云いますので、意識的であれ、必要に迫られてであれ、双方の時期を【幾度か繰り返し】経験することが思いのほか重要なのではないかと考えます・・。
しかし、そのようなことを書いておきながら、今月最も多く読まれた記事が小説のある部分の形式に則ったものであることは多少皮肉な結果であるのかもしれません・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」