2022年4月11日月曜日

20220411 祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー pp.146‐150より抜粋

祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー
pp.146‐150より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4396500939
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4396500931

 「マッカーサーが日本を占領して天皇に「人間宣言」を出させた。そこではじめて日本人は、天皇が神であるという迷信から解放された。アメリカ人はそう信じているという話を聞きました。」

「ハハァ、面白い。というのは戦時中のアメリカの世論調査を見ると、天皇を日本人の唯一神と見ている人が44.2パーセントもいます。それが事実で、この事実がマッカーサーの一言で消えたとすれば、彼は神以上の人という、マッカーサー神話ともいうべき新しい神話が出てきたわけですな。アメリカ人も案外迷信深い。20世紀にもそまざまな神話ができるんだなあ」

「山本さんは笑っているけど、私は何とも釈然としないのです。されにそれが、神話をそのまま歴史として教えた結果だと言われるとね」

「私は昭和9年の小卒だけれども、神話をそのまま歴史として教えられた記憶はありませんね。第一、ヒコホホデミが海の底に下って海神の娘トヨタマヒメと結婚し、そこからウガヤフキアエズが生まれ、彼とその叔母、すなわちトヨタマヒメの娘のタマヨリヒメが結婚してカムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇が生まれる。これが日本神話の終わりで、「日本書紀」はここで「神代」から「人代」に移るのですが、その直系の子孫がいまの天皇だなどという話は、それを事実だと小学生に言っても、信じますまい。もっとも進化論裁判(モンキー・トライアル)をやったアメリカのファンダメンタリストなら信じるかもしれませんが、日本で進化論がタブーであったことはありませんから。マッカーサーはファンダメンタリストを連想したんじゃないですか。もっとも天地創造神話が形成されたころからの天皇制がありながら、同時にコンピューターの大メーカーがある国なんて、アメリカ人には理解しにくいでしょうなあ。これも駆け足の結果で、誤解は無理もないですが、私がこの神話を読んだのは、実は「人間宣言」の後で、小学生のときではありません。」

 なぜこういう誤解を生じたか。誤解にはもちろん「種」があり、そのことは天皇の「人間宣言」の9年前すなわち昭和12年(1937年)の文部省の次の通達に現れている。

「・・・現津神(明神)或いは現人神と申し奏るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいう意味と異なり、皇祖皇宗がその神裔にあらせられる天皇に現われまし、天皇と皇祖皇宗とは御一体にあらせられ・・・」

 表現は当時の表現で大仰だが、「現津神」とか「現人神」とかいっても、それは「絶対神とか、全知全能の神」という意味ではないということ、これまた一種の「人間宣言」であり、元来、これらの言葉は道教の用語であるから文部省の定義は正しい。

 では一体文部省はなぜこんな通達を出さねばならなかったのであろうか。それは「God」を「カミ」と訳したために生じた概念の混同であったこと、同時に当時「天皇機関説」があったからであろう。「God=カミ」の訳を「甚だしい誤訳」といった人がいるが、そうはいえないまでも、きわめて混乱を引き起こしやすい訳であった。この点、16世紀に日本に来たザビエル以下のイエズス会宣教師が「Deus」をあくまで「デウス」とし、日本語に訳さなかったのは達見である。

 では西欧のGodと混同をしなかった時代の「カミ」はどのような定義であったのか。徳川時代の学者、新井白石と本居宣長の定義を次に引用しよう。まず白石の「東雅」からー。

「我国の凡そ称してカミというは、尊尚の義なりければ、君上のごとき、首長のごとき、皆これをカミといい、近く身にとりても頭髪のごときをいい、置く場においても、上なす所をさしてカミという」

 これはきわめて受け入れられやすい一般的定義で、政府をオカミ、上流をカワカミ、国の中心地をカミガタ等、ごく普通に使われ、非常に広い意味の「上なるもの」を指す。これをもう少し限定しているのが宣長の「古事記伝」における「カミ」の定義である。

「凡そ迦微とは、古の御典等に見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊をも申し、また人はさらにも言ず、鳥獣木草のたぐい、海山など、そのほか何にまれ尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。抑、迦微は如此く種々にて、貴きもあり、賤きもあり、強きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、大かた一むきに定めて論ひがたき物になむありける」

さらに彼は説明を進めて次のようにいう。

「すぐれたるとは尊きことを善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず。悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。さて人の中の神は、先かけまくもかしこき天皇(すめらみこと)は、御世御世みな神坐すこと、申すもさらなり。其は遠つ神とも申して、凡人とは遥かに遠く、尊く可畏く坐しますが故なり。かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下を受け張りてこそあらね、一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし。さて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人皆神なりし故に、神代とは言なり」

 さらに彼は書記・万葉では、木霊も虎も猿もカミといわれ、海山も「磐根、木株、草葉のよく言語し類なども皆神なり」と記されていることを指摘する。

 もっとも現代では白石の定義も宣長の定義も、必ずしも正しいとはいえない。しかし重要なことは、西欧と接触する以前の日本人自身は「カミ」という言葉をそのように定義していたという事実である。


20220410 早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」 pp.79‐82より抜粋

早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」
pp.79‐82より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 9784151200533
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4151200533

「辞典の進行状況はどんな具合なんだ?」ウィンストンはそのしゃべり声に負けまいと声を張り上げた。

「時間がかかるね」」とサイムが答える。「形容詞を担当しているんだが、実に面白い」彼はニュースピークの話が出たとたんに顔を輝かせた。シチュー皿を脇にどけ、華奢な手の一方で厚切りパンを、もう一方で角切りチーズを取り、怒鳴らなくても済むようにテーブルの上に身体を乗り出す。

「第十一版は決定版になる」彼は言った。「ニュースピークを最終的な形に仕上げようとしているんだー誰もがニュースピーク以外話さなくなったときの形にね。それが完成した暁には、君のような仕事をしている人間は、きっともう一度すっかり学び直さなくてはならなくなる。おそらく君はわれわれの主たる職務が新語の発明だと思っているだろう。ところがどっこい、我々はことばを破壊しているんだー何十、何百という単語を、毎日のようにね。ニュースピークをぎりぎりまで切り詰めようとしている。第十一版には、2050年までに死語となるような単語は一つとして収録されないだろう。」

 彼は貪るようにパンをかじり、二度ほど口一杯に頬張って飲み込むと、衒学者の情熱とでも呼ぶべきものに突き動かされたように話を続けた。細面の浅黒い顔には生気がみなぎり、目からは嘲笑の色が消えていて、ほとんど夢見るような眼差しに変わっている。

 「麗しいことなんだよ、単語を破壊するというのは。言うまでもなく最大の無駄が見られるのは動詞と形容詞だが、名詞にも抹消すべきものが何百かはあるね。無駄なのは同義語ばかりじゃない。反義語だって無駄だ。つまるところ、ある単語の反対の意味を持つだけの単語にどんな存在意義があるというんだ。一つの単語にはそれ自体に反対概念が含まれているのだ。良い例が〈良い〉だ。〈良い〉という単語がありさえすれば、〈悪い〉という単語の必要がどこにある?〈非良い〉で十分間に合うーいや、かえってこの方がました。〈悪い〉がいささか曖昧なのに比べて、まさしく正反対の意味になるのだからね。或いはまた〈良い〉の意味を強めたい場合を考えてみても、〈素晴らしい〉とか〈申し分のない〉といった語をはじめとして山ほどある曖昧で役立たずの単語など存在するだけで無駄だろう。そうした意味は〈超良い〉で表現できるし、もっと強調したいなら〈倍超良い〉を使えばいいわけだからね。もちろんわれわれはすでにこうした新方式の用語を使っているが、ニュースピークの最終版では、これ以外の語はなくなるだろう。最後には良し悪しの全概念は六つの語ー実のところ、一つの語ーで表現されることになる。どうだい、美しいと思わないか、ウィンストン?むろん元々はB・Bのアイデアだがね」彼は後から思いついたように最後のことばを付け足した。

 〈ビッグ・ブラザー〉の名を耳にしたとき、熱意の醒めたような表情がウィンストンの顔をほんの一瞬だけよぎった。それでもサイムはすぐに相手の意気込みが萎えたのを見抜くのだった。

「ニュースピークの真価を理解していないな、ウィンストン」彼の口調はほとんど悲しげだった。「君はニュースピークで書いていても、まだオールドスピークで考えているんだ。君が《タイムズ》に時折書いているものはいくつか読ませてもらっている。なかなかいいと思うよ。だがあれは翻訳なんだ。心の中ではオールドスピークをあくまでも守りたいと思っている。その曖昧さや意味の無駄なニュアンスなんてものを含めてね。ことばの破壊が持っている美しさが分かっていない。ニュースピークが年ごとに語彙を減らしている世界で唯一の言語であることを知っているかい?」 

 ウィンストンはもちろん知っていた。彼は共感を滲ませるように微笑んだが、何かを口にする度胸はなかった。サイムは黒っぽい色をしたパンをもう一口かじり、少し噛んだだけで話を続けた。

「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。すでに第十一版で、そうした局面からほど遠からぬところまで来ている。しかしこの作業は君やぼくが死んでからもずっと長く続くだろうな。年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しづつ縮まっていく、今だってもちろん、〈思考犯罪〉をおかす理由も口実もありはしない。それは単に自己鍛錬、〈現実コントロール〉の問題だからね。