「あ、もうすぐホームに行っておいた方が良いんじゃないかな?」と兄が言ってきたのが12:45頃であった。そこで、私は新幹線の改札口まで行き「それじゃあ、また。」とあまり畏まらずに別れの挨拶を告げると、兄の方も「おお、じゃあ、またな!」といった、ごく軽い感じにて双方別れを告げ、私は改札口を通って新幹線のホームに向かった。
新幹線の車内では持参したジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」を読んでいたが、そこに登場する亡命ロシア人ボリスのキャラクターの描写が面白く感じられ、また、その後の彼について少し興味を持った。ともあれ、ロシア革命直後のヨーロッパ各都市には、こうした亡命ロシア人のコミュニティーがあったことは想像に難くないが、その生きる姿を、全体主義批判の物語とも云える「1984年」を著したのと同一の著者が描いていることに、歴史の流れと、それを観察しようとする文筆家の執念というのかセンスというか分からないが、それらがクロスする一つの視点のようなものがあるのではないかと思われた・・。
この新幹線の旅は思いのほかに短く、16:00前には東京駅に到着していた。そこから在来線を乗り継いで家に着いたのは17:00前であった。あたりは既に暗くなっていたが、家には誰もおらず、とりあえず、落ち着く前に、今回の旅で着用した衣服やタオルを、以前から洗濯機に入っていたものと一緒に洗濯を始めた。
そうして、しばらくすると母親が帰ってきて「今日はあまり夕食は用意していなかったの・・。」と云ってたものの、昨日の夕飯の残りと出来合いのもので、それなりの夕食にはなった・・。父はまた出張で、今度は山陰方面に行っているとのことであった。母には兄の様子を色々と聞かれ、あまり驚くような変化はなかったものの、それなりに社会人らしくなっていたことを、今回の旅でのいくつかの経験を交えて話すと「うん、頑張っているのね・・。それでキチンとご飯は食べていた?」と聞かれたため、向うでの寿司や中華そばのハナシをすると「あっちは魚が美味しいと聞いているから、今度、お父さんと行ってみようかしら・・。」といった返事がかえってきた。
翌日は、久しぶりに大学に行き、昼頃に指導教員の研究室を訪問すると、果たして在室しており、いつも研究指導の時に使うソファに深く座って紅茶を飲んでいた・・。そして「やあ、もうすぐ引越しの準備じゃないかね・・。それと、先週の週末はどこかに行くと言っていましたが・・。」と、ビスケットを一つつまんでから訊ねてきた。そこで私は「ええ、兄が住んでいるWの方に行ってきましたが、これまでにない経験でとても面白かったですよ。」と返事をすると、指導教員は、さきほどのビスケットを口に入れたままで立ち上がり、ティーカップに一つティーバッグを入れ、そこに傍らに置いてある電気ポットからお湯を注ぎ、ソファ向いにある書籍やプリントが雑然と置かれた低いテーブルの空いている場所に、それをソーサーと一緒に置いて、ビスケットを咀嚼しながら、無言のままでテーブル前のもう一つのソファに座るよう促された。
私は、これまでの研究指導で座り慣れたとも云える、そのソファに座り、次に指導教員が何を云うのか待った。すると「ふうむ・・Wですか・・それはまた、これまで私は縁のなかったところですね・・。あそこはたしか南方熊楠や陸奥宗光の出身地でしたが、実際に行ってみたらどのようなところでしたか?」と、いくらか大人げないとも見える好奇心を示して訊ねてきたことから、これまでのWでの体験について書いた文章の内容をほぼ、そのまま話してみた。ハナシの最中で質問をしてくることも度々あったが、その都度、分からないことは分からないと返答し、分かりそうなことは、兄から聞いたハナシなどの耳学問を混ぜて、それらしく返答した。
このWでの体験談は、昼過ぎ頃から始まり、13:30頃まで続き、割合長い時間話していたことが分かったが、何故だか、それはとても短く感じられた。そして、この報告のような体験談を話し終えてから指導教員は、おもむろに「・・いやあ、知っているかもしれないけれど、実は春に中国地方のo大学で学会があるんだれど、その会場から、そこまで遠くないところに私のご先祖が長らく住んでいたという場所があるのだけれど、今回の君のハナシを聞いてみたら、行ってみたくなってきたよ・・。」と話しを振ってきた。
この指導教員は特に欧州の近現代史、文化全般などに関しては、おそらく、国内でも相当通じている方であると思われるのだが、他方で、自国の民俗や古代史などに関しては、これまで機会がなかったのか、そこまで知っているような感じを受けることはなかった。
ともあれ私は「ええと、先生は曾祖父の代にこっちに出てこられたとお聞きしていますが、それ以前は、その中国地方のoのあたりに代々住んでいたのですよね・・。」と、以前に聞いたハナシを思い出しつつ訊ねてみると「うん、曾祖父が出てきて以来、ずっとこちらに住んでいるけれど、地元に残った親戚筋もいてね、その中に開業医の人がいて、その方がここ最近、郷土史を調べているらしくてね、それで私の名前が出て来たらしく、つい先日連絡を頂いたんだよ・・。」とのことであった。
この指導教員の曾祖父は、我が国の近現代史を研究していると時折名前が登場するような、ある種、歴史上の人物(たしか勲功華族で男爵)でもあり、機会があり、時代がかった造りのご自宅にお邪魔してみると、これまた古めかしい造りのリビングには勲章を下げ、大礼服を着用した姿の肖像画が掛かっており、さらには、古めかしい楕円柱型の箱に入ったシルクハットなどもテーブル下の片隅に割と無造作に置かれていた。
そして、こうした指導教員に関する背景をボーっと思い出していると、私も数か月後にはKに住む予定であることが不図思い出され、そしてBに連絡してみようと思い立った。そこで指導教員には、思いがけず長時間居てしまったことを詫びて、二人分のカップとソーサーを洗ってから研究室を後にした。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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