どうにか1700記事への到達も、以前より現実味を帯びてきたとは云えますが、それでも、その先については全く考えておらず、あるいは(無事に)1700記事へ到達出来ましたら、1カ月程休んでみた方が良いのではないかとも思われます・・。2015年に始まり、現在に至るまで概ね6年半にわたってどうにか当ブログを続けてはきましたが、以前にも述べました通り、ここ最近、何度か、そして何故か「たまにブログ読んでいますよ。」と云われることがありました。
そういえば、当ブログを始めるきっかけとは、以前にも何度か述べましたが、何人かの方々から、同時期に「ブログを始めてみては?」と云われたことです。そこから、最近の「たまにブログ読んでいますよ。」もまた、あるいは何かしらの「意味」があるのかもしれません・・。いや、より精確には、元々それは単なる偶然であったとしても、そこに「意味」を見出そうとする行動、すなわち「ブログのさらなる継続」によって、そこに本当の「意味」が生じてくるといったメカニズムのようなものがあるのかもしれません・・。
これは、未だ判然とはしていませんが、こうした因果関係とも見受けられる事がらは、もう少し考えてみますと、その筋道、ストーリーは全て後知恵と評し得るものであり、それは事後の時系列的な整理、あるいは物語化のためには好都合であるのかもしれませんが、その現実の渦中においては、まさに五里霧中とも云える状態であると云え、ただ自分の信じる「何かの価値」に基づいて行動しつつ、時々は周囲の様子をも窺うといった感じであるのではないでしょうか?
ともあれ、そうした中において、事後的にではあれ、私はこの一連のブログに、その「何かの価値」の主軸を置いてきたように思われるのです・・。おそらく、この6年半に、もっと多くの面白い記事を投稿することが出来れば、そこから何らかの収入を得ることも出来たのかもしれませんが、そうしたことは頭の片隅にはあると云えばありますが、それよりも、新規1記事の投稿の方が現在の私にとっては重要であり、その先にある、1700記事、さらにその先にある、1800記事、そして来年6月のブログ開始から丸7年を迎えるまで(どうにか)続けることが出来れば、また何か新たな見解が腹に落ちて、さらに「収入を得る」なども含めた次の展開のようなものが判然としてくるのではないかと思われるのです・・。
そして、上に述べたことは、あくまでも仮説ではありますが、同時に、これまでに(どうにか)ブログを継続してきた中で得た感覚に基づくものでもあり、それは自分としては概ね進化であると認識しています。
しかし、その反面、この新たな感覚を得る過程において失ってきた性質・性能もまた、少なくないように思われます・・。そして、見方によりますと、それが所謂「創造的退行」と称されるものであるのかもしれませんが、そのように考えてきますと「創造性を発揮する」ということは、人によって、その傾向に相違があるとは思われますが、端的には、創造性を発揮し得る「何か」に対して過分に活力を配分することによって、はじめて駆動することが出来るのではないかと思われるのです・・。そしてまた、それこそが「個性の発揮」であるとしますと、我々の社会全般における強力な「同調圧力」とは、昨今、その必要性が叫ばれているイノベーションの本質とも云える「創造的破壊」と敵対、あるいは拒む性質のものとも云えます。
そして、これを視座として、現在の我が国にて生じているさまざまな事件、出来事などを眺めてみますと、やはり、多少暗澹とした気分になってくることは否めないように思われてくるのですが、さて如何でしょうか・・?
また、それをどうにか回避するためにも、今後もうしばらく、無理をしない程度に【架空の話】を続けてみようと思います。
今回もまた、読んで頂き、どうもありがとうございます!
ともあれ、そうした中において、事後的にではあれ、私はこの一連のブログに、その「何かの価値」の主軸を置いてきたように思われるのです・・。おそらく、この6年半に、もっと多くの面白い記事を投稿することが出来れば、そこから何らかの収入を得ることも出来たのかもしれませんが、そうしたことは頭の片隅にはあると云えばありますが、それよりも、新規1記事の投稿の方が現在の私にとっては重要であり、その先にある、1700記事、さらにその先にある、1800記事、そして来年6月のブログ開始から丸7年を迎えるまで(どうにか)続けることが出来れば、また何か新たな見解が腹に落ちて、さらに「収入を得る」なども含めた次の展開のようなものが判然としてくるのではないかと思われるのです・・。
そして、上に述べたことは、あくまでも仮説ではありますが、同時に、これまでに(どうにか)ブログを継続してきた中で得た感覚に基づくものでもあり、それは自分としては概ね進化であると認識しています。
しかし、その反面、この新たな感覚を得る過程において失ってきた性質・性能もまた、少なくないように思われます・・。そして、見方によりますと、それが所謂「創造的退行」と称されるものであるのかもしれませんが、そのように考えてきますと「創造性を発揮する」ということは、人によって、その傾向に相違があるとは思われますが、端的には、創造性を発揮し得る「何か」に対して過分に活力を配分することによって、はじめて駆動することが出来るのではないかと思われるのです・・。そしてまた、それこそが「個性の発揮」であるとしますと、我々の社会全般における強力な「同調圧力」とは、昨今、その必要性が叫ばれているイノベーションの本質とも云える「創造的破壊」と敵対、あるいは拒む性質のものとも云えます。
そして、これを視座として、現在の我が国にて生じているさまざまな事件、出来事などを眺めてみますと、やはり、多少暗澹とした気分になってくることは否めないように思われてくるのですが、さて如何でしょうか・・?
また、それをどうにか回避するためにも、今後もうしばらく、無理をしない程度に【架空の話】を続けてみようと思います。
今回もまた、読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。