A「昨日の投稿記事は概ね書籍からの抜粋引用ではありましたが、思いのほか多くの方々に閲覧して頂いたようです・・。
また、これまで22カ月(660日)程度にて600記事近くの投稿を行ってきたことは、概ね10日のうち9日は何かしら記事を作成してきたことになります・・。
これもあまり自慢できることではありませんが、それでもこうしたことは以前の自身では行うことが叶わなかったと思われますので、多少大げさに表現すれば『現時点あるいは毎日の記事更新においても、その都度、新たな境地に踏み入れている』といった感があるのです・・。
とはいえ、こうした感興に浸ることは、これまでの経験から必ずしも文章作成にとって良いものではなく、むしろ、そうした感興が無い、あるいは抑えた状態の方が、どうやら文章作成においては、適しているようです・・。
また、こうしたことは、他のさまざまな精神が関与する我々の為す作業においても類似、同様の傾向が認められるのではないかと思われます・・。
しかしながら、こうした傾向『だけ』が良いというわけでもなく、場合によっては内在、蓄積された創造を伴う精神を一気に放出した方が良い場合、場面もあるとは考えますが・・。
そしてまた上記の考えに加え、一連の当ブログとも、いくらかの関連が示唆されるものとして、想起されるものは『矢数俳諧』です。
これはおそらく17世紀末頃、大阪の井原西鶴がその記録を保持しているのではないかと記憶しております・・。
とはいえ、その記憶が不確かであることから、本日も以下に書籍からの抜粋引用を行います・・。
筑摩書房刊 加藤周一著 「日本文学史序説」上巻 P.527より抜粋引用
俳諧について
「連歌の形式をとって、諧謔風刺を内容とし、主題・語彙ともに平安朝貴族趣味を離れて民衆の日常生活に即する傾向は、十六世紀に流行して、その専門家を生むに到った(俳諧師)。
十七世紀に入ると、専門家たちは忽ち技巧的となり、文献をふまえ、暗喩を多用し、言葉の奇抜な結びつけを貴んで、謎めいた句を多作するようになった、その代表的な作家が、西山宗因(一六〇八~八二)である。熊本出の元浪人で、その一派の作風は、「談林風」とよばれる。「談林風」の言葉の遊戯をもっとも徹底させた制度は、おそらく、一定の時間内に独りでどれほど多く連歌の句をつくるかを競う「矢数俳諧」であろう。
その名手が、大阪の俳諧師、井原西鶴(一六四二~一六九三)であった。西鶴は、一六七七に、二十四時間一六〇〇句の独吟に成功して有名となった。(「俳諧大矢数」)。二年後にその記録は、仙台の俳諧師に二十四時間三〇〇〇句によって破られる。そこで西鶴は、翌年(一六八〇年)、二十四時間四〇〇〇句で、さらに記録を更新し(「大矢数」)、一六八一刊)、その四年後には、遂に二十四時間二万三五〇〇句の記録を樹てたといわれている(摂津住吉の神前興行、一六八四年、その独吟が残らなかったのは、平均一分間に一六句の早口を記録することができなかったからであるらしい)。」
一分間に一六句を作成する、そしてそれを二十四時間継続することが可能な精神あるいは頭脳の状態とは一体どのようなものであったのでしょうか・・(笑)?
また、それに付随し、これまでブログ記事作成を継続して時折感じることは、長編小説などを執筆出来るその精神あるいは頭脳とは一体どのようなものなのであろうかということです・・。
とはいえ、当ブログを開始する以前は、そのようなことも現在ほど実感を以って感じ、考えることが出来なかった(純粋に読者の立場でいた)ことから、おそらくブログ開始以前の自身と比べた場合、現在とは、多少の進歩はしているのかもしれません・・。
それでも、いま少し先、伸びしろがあるとは考えますが・・(笑)。
ともあれ今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」