2020年12月15日火曜日

20201214【架空の話】・其の54

 Kに住むようになり早や一週間近くが過ぎた。入学式まではあと数日あり、また東京から送った引越荷物も無事に届き、それらの開封・整理を行い、どうにか生活出来る状態にはなった。この時季のKは既にして暖かく、日中、家電などの配置のための力仕事を行っていると、思いのほかに汗をかいてしまうほどであった。

部屋の片付けを行い、一人暮らしで初めての自炊を行ったが、その献立は納豆ご飯に豚汁といった至極質素なものであったが自身の作としては悪くなく、その献立の残りは翌日に持ち越されたが特にイヤだと思うこともなかった。

また、Kに発つ直前に父から教えてもらった遠い親戚を挨拶のため訪問しようと、その住所をグーグルマップにて調べると、現在地から徒歩や市電やバスを乗り継いで1時間ほどかかるとのことであった。

書かれた住所は診療所のようであり、そこに冠された苗字は私のそれと同じであった。市電とバスを乗り継いでK市内の郊外と云えそうな場所、地域の小中学校の近くに診療所はあり、個人事業としては決して小さくはなく、またそのすぐ近くには診療所が併設したと思しきデイケア施設や訪問看護ステーションがあった。

どうやら、この診療所は当地域では古い存在であるようで、デイケアからは元気そうな声が聞こえてきた。私は決して新しいとは云えない造作の診療所に入ると、受付窓口にいる女性に「すみません***と申しますが、***(同じ苗字)先生はいらっしゃいますでしょうか?と、父から預かった名刺を差し出して訊ねると、その女性は名刺を両手で受取り、しばらく怪訝そうな顔をした後「ああ、院長先生ですね。ちょっと待ってください。」と云って、さらに後ろにある事務方の机の間を通り、その途中で何か会話をしていたが、やがて事務室のドアから出て、私のいる待合ロビーまで来て、そのまま診療所玄関の右手にある階段で二階に通された。二階に上がると、消毒臭というのだろうか、いかにも病院らしい匂いがしてきて、さらに廊下には白衣を着た医療職と思しき方々が歩いていたが、私は古風にも「院長室」と書かれた部屋に通され、そこで待つようにと慇懃な調子で云われた。

この「院長室」はまさに前世代、いや、より精確には昭和後期の「院長室」といった趣が濃厚で、あるいは、ひと昔前のドラマに登場する医学部教授室といった感じであった。とはいえ、室内に置かれている調度品や絵画がそれなりに格式があり、品良く思われたため、時代遅れで悪趣味といった感じは受けなかった。

やがて、さきとは別のスタッフの方がお茶を運んで来てくれて「院長先生はもうじき診察が終わって来ますので、もうしばらくお待ちください。」と云って去って行った。

さらにしばらく待っていると、やがてあまり身長が高くなく、どちらかといえばズングリした体型に白衣を着た、初老少し前、私の父とほぼ同年輩の精悍な感じの男性が入ってきた。この男性を見て直観的に思い出したのは、父と少し似たところがある沼津在住の親戚であり、肌の色合が何となく似ているように思われた。頭髪は額から後退気味であるものの整えられ、オシャレ感の乏しい銀縁の眼鏡をかけ、そして白衣の下には白のワイシャツを着て、ダークブラウンのニットタイを締めていた。おそらく毎日そのような感じであるのだろう。

院長はさきほど私が受付女性に渡した父の名刺を見て「ああ***さんの息子さんか。こっちの市民病院近くの新設の専門職大学に入るんだって・・。学部、いや学科はどこかね?」と訊ねてきた。

その感じは一種、鷹揚な快活さがあり、この後の経験で知ったことだが、開業医にはこうしたタイプは割合多いように思われる。

私はソファから立ち上がり、院長と相対していたが、この質問を聞くと「・・はい、あの口腔保健工学科というところでして、歯科技工士を養成するところです。」と若干緊張気味に返事をすると、院長は手振りで、私に座るように促され、そして自分も座り、おもむろに机上の電話機を取り、おそらく内線電話であろう相手に「ああ、私だが今日はここで昼食を摂るから、お弁当を二つこっちに持って来てくれないか?」と云い、さらに「あと、私にもお茶を持って来てくれないか?うん、それで良いよ、ありがとう。」と付け加えて受話器を置いた。

そのやりとりを見つつ、ボンヤリとキャビネットの上に置かれた木製彫刻に嵌め込まれた重厚な感じの置時計を見ると、丁度正午を15分ほど過ぎていた。

昼食時に訪問した非礼を詫びようと、少し口ごもると、院長はそれを制するように「うん、あの大学は最近出来て、ようやく去年あたりから卒業生が出るようになったのかな?私もあの大学の設置には少し働いたのだがね、まあ私が知っているのは看護学科だけかな?残念だが口腔だから歯科系の先生では知っているのはいないなあ・・。まあ、しかし、君のお父さんとは法事でこれまでに何度か会って、あと若い頃は会社の出張の時に会ったこともあるけれど、君はその息子さんかあ・・。と両手を組んで感慨深げにこちらを眺めた。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!
鶴木クリニック医科・歯科
歯科衛生士さん募集中