2016年8月2日火曜日

20160802 地域性および抽象思考の積重ね・・★★★

A「昨日記した記事から、もしかしたら私の作成、投稿したブログ記事とは思わぬところで読まれているのではないかという推察が為されますが、それでもそうしたことをあまり気にしないで今後も記事作成を継続しようと思います・・(笑)。

さて、それと同時に最近再び直近に投稿した記事内容に関連する記事が多く読まれていることに気が付かされるようにもなりました・・。

このような感性とは、もしかしたら周り巡っているのでしょうか・・(笑)。

あるいは昨日夜に多少硬い書籍を読んだことによるのでしょうか?

先日記したように最近はあまり硬くない?地域性について書かれた書籍を読んでおりました。

そうしたものを読んでおりますと、今度はもう少しそれら内容についての具体的な事象、来歴、起因等について記された書籍を自然と読んでみたくなります・・。

まあ、概論が大抵理解出来たら各論に行くようなモデルであるのかもしれません・・。

・・いや、こうした表現とは必ずしも適切ではなく、それはある程度歴史の流れを知ったならば、今度はその背景にある各時代の人々が持っていた思想の流れを知りたくなるような、つまり抽象化への指向であるとも言い表すことが出来るのかもしれません・・。

抽象、あるいは抽象化などと書きますと、一般的に具体的でなく、分かり難い、人を言いくるめるような良からぬものといった認識が比較的強くあるのではないかと思われます・・。


しかし同時に、それを適切に行うことにより、実地に沿った的確な推論、思考が為され、そしてそれらを表出、積重ねることにより、精緻な考察を行うことが出来るのではないかとも思われます。

また同時に、これは様々な条件による実験を繰り返し、検討・考察を重ね、ようやく結論に至る理系学問分野における背景思想と親和性があるのではないかとも思われます。

そういえば、山本七平我々日本人とは、こうした時代毎の推論、思考の表出、積重ねといった作業が苦手であり、時代の区切り毎に新たに仕切りなおすといった習性らしきものがあるといったことを記していました。

こうしたことは、民俗学でいえば古来よりの「ハレ」、「ケ」そして「ケガレ」思想の関係と表現することが出来るのかもしれません・・。

あるいは儒教における「易姓革命」思想、さらにはフレーザーの「金枝篇」に記されている古代印欧語諸族における「殺される王」といった思想とも何かしら関連があるのかもしれません・・。

とはいえ「我々日本人とは、抽象的な思想を加上的に積重ねてゆく作業が苦手であるのではないか?」という、さきの山本七平の意見とは、私自身からしますと、かなり耳が痛く苦渋の肯定を余儀なくさせる何かがあります・・。

しかしながら、一方において我が国とは世界的に見て理系学問分野が強い国であるとも考えますので「では、こうした矛盾ともいえいることは、如何にして生じるのであろうか?」と考えてみますと、どうも上手く言語化することができません・・。

さて、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。」