2021年3月2日火曜日

20210302 「語句」の意味と、それを含む「文章」の意味について思ったこと・・ブログ記事を作成する意味?

当ブログを始めた2015年6月から2018年の夏までの期間は、概ね毎日1記事ずつ投稿してきました。そして、そこから3年近く経った現在では、およそ2日に1記事のペースにて新規投稿をしています。これを今後、多少ペースが乱れることはあっても、3日に2記事あるいは4日に3記事程度の投稿頻度にしたいと考えていますが、現在の投稿ペースに慣れてしまっているのか、なかなかそこから抜け出すことが出来ません。これは以前と比べますと一種の「堕落」であることは認めざるを得ませんが、他方で、そうした自身の心情をも記事にしようとしていることは、わずかではあれ、評価される要素と云えるのかもしれません(笑)。

くわえて、ここ最近は再び、ブログ記事題材となりそうなことを思い付いた際、PCであれ紙であれ書き留めるようにしていますが、これも、ある程度続けていると、何らかの効果が生じてくるのではないかとも思われます。また、そうしますと昨年から当ブロガーと連携しているツイッターでの投稿も、そうしたメモ的な目的として用いることも出来るかもしれませんが、他方でツイッターは、文字数が少なく慎重な投稿は困難であるようにも思われます。

「短い文量にてより多くを伝える」ということは、たしかに素晴らしいことであり、また俳句などの文化からも分かる通り、我が国では、そうした要素は重要視されていると云えますが、同時に、そこの前提にあるものは、何故であるか、あまり指摘されませんが「用いる語句と、その意味との精確な対応関係」と云えます。これがなければ、さきの俳句の場合ですと、季語などの存在から、その本質や意味が崩れてしまいますので・・。

とはいえ、この語句と意味との対応関係とは、歴史的視点から眺め、考えてみますと、時代と共に変化するものであることが分かり、同じ語句であっても時代によって、それが指し示す意味が異なるものも少なからず存在します。

こうした時代によって、その示す意味が異なる語句がある一方で、それが含まれる文章全体からは、現在とも通底あるいは類似するような「内容」を持つ文章もまた往々にしてあると云え、そうしたある種、抽象的にして観念的なものを発見した際の感覚は、大小ありますが、なかなかのものであり、語句の意味など、比較的理解され易いものと比べますと、より一層強烈であるように思われます。

そしてまた、大変面白いことに、こうしたブログ記事を書き続けていますと、どうしたわけか、そうした「発見」のようなものが「まとまって生じる時期」があるように感じられるのです。こうした感覚もまた「まあ、毎度の天動説的なものだろう・・。」と思われるかもしれませんが、ボクの現在の感覚としては「たしかに天動説的なものであるかもしれないが、それだけでもないのではないか?」といったところです。とはいえ、こうした感覚もまた今しばらく記事作成を継続してみませんと、判然としないと思われますので、今後は、さきに述べたように、もう少し頻度を上げて記事投稿を行って行きたいと考えています。

ちなみに現在の私は欝々としてスランプ気味であり、さきに述べた「発見の頻発」からは遠い状態にあると云えますが、こうした時にも、多少面倒ではあれ、書き続けることが重要であるように思われます。そしてまた、こうしたことを綴っている際に、私の精神では如何なることが行われているのでしょうか・・(笑)。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



ISBN978-4-263-46420-5

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