*ChatGPTによる添削後
昨年末は慌ただしく過ぎていき、今年に入ってからもまだ実感が湧かないままの日々が続いています。しかし、今年に入ってからは久しぶりに連日散歩に出かけました。本日の神田神保町では既に営業している書店がいくつかあり、立ち寄って立ち読みをしていると、やがて興味を引く書籍を見つけ、しばらくそれに読みふけっていました。このように立ち読みを繰り返すうちに、いつの間にか意識が変容していることに気づきました。こうした感覚は、書店や図書館で立ち読みをする醍醐味の一つではないかと、久しぶりに実感した次第です。
この「立ち読みによる意識の変容」については、以前、当ブログでも述べた記憶があります。かつて和歌山市在住の頃、住んでいたアパートから車で10分ほどの場所に比較的大きなショッピングセンターがあり、その中に大規模な書店がありました。その書店は大学からも近かったためか、専門書も充実しており、大学図書館とは異なる楽しさがありました。また、当時は24時間営業だったこともあり、アパートで文章作成などをして行き詰まると、時間を問わずそこに出向いて、全く異なる分野の書籍をしばらく立ち読みすることがよくありました。不思議なことに、そうすると気分がリフレッシュし、その後、ショッピングセンター内のスーパーでアイスを買い、食べながら帰路につくのが常でした。
ただし、帰り際に駐車場で自分がどこに車を停めたかをきれいに忘れてしまうことが何度かありました。一方で、その直前に読んでいた書籍の内容は比較的鮮明に覚えているのです。このような意識の断層が生じること自体、立ち読みの「意識変容の醍醐味」と通じる部分があるのだと感じます。この現象を肯定的に捉えれば、集中力の発露とも言えるのではないでしょうか。
当時の私は、それまであまり鍛えてこなかった集中力を、読書を通じて鍛えていたのだと思います。修士課程時代には、それまでの人生で考えられないほど多くの読書をしました。元来、興味を持つ分野の読書であれば苦にならない性質だったため、本来の専攻である地域学に加え、民俗学、考古学、古代史、経済学、社会学、近現代史など、多岐にわたる分野の書籍を読むことができました。また、それぞれの分野の読書が、他の分野での読書によるストレスを和らげる役割も果たしていたため、これだけ多くの読書が可能だったのだと思います。もっとも、人文系大学院の修士課程では、このようなことは珍しくないとも考えられます。
しかしながら、この集中力は現在、明らかに減衰したように感じます。その理由の一つとして、スマホ画面を長時間見ることで視力が衰えたことが挙げられます。この影響は読書の進み具合からも自覚できるところです。そのため、若く視力が健康なうちに、できるだけ多くの難しい書籍を集中して読むことをお勧めします。若い頃にそうした書籍に取り組み、理解した経験があれば、その後もその記憶を足場に新たな難しい書籍に臆せず挑むことができるでしょう。
私自身もそのような経験を足場に、昨年は2024年ノーベル経済学賞受賞者の著作をどうにか通読することができました。これも過去の読書経験があったおかげだと感じます。ただ、昨2024年は、変化の激しい国内外の情勢を把握しようと、それまで手に取らなかった分野の著作を次々に読んだこともあり、少々疲れが残っています。また、この状態には、先に述べた「以前は余裕でできていたことができなくなった」という集中力の減衰が影響していると感じます。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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