2025年1月3日金曜日

20250103 立ち読みと集中力から ~意識の変容について~

 昨年末は慌ただしく過ぎ、今年に入ってからも、未だ新年の実感が乏しいのですが、久々に連日散歩に出ました。本日の神田神保町には既に営業している書店がいくつかあり、入って立ち読みをしていますと、やがて面白そうな書籍を見つけ、しばし、それに読み入り、そして、こうした行為を何度か繰り返すことにより、いつの間にか意識が変容していることが、書店や図書館などでの立ち読みでの一つの醍醐味ではないか?と、何故であるか久々に感じられました。この立ち読みによる意識の変容については、以前、当ブログにて述べたことがあったと思われますが、かつて和歌山市在住の頃、住んでいたアパートから自動車で10分程度の場所に比較的大きなショッピングセンターがあり、その中に、これまた大きな書店があり、その書店は大学からも近いためか、専門書なども揃えてあり、大学図書館とはまた違った楽しさがあり、さらに当時は24時間営業であったことから、アパートで調べものや文章の作成などをしていて煮詰まってきますと、時間帯を問わずここに来て、全く異分野の書籍の立ち読みなどをしばらくしていますと、不思議なことにリフレッシュされて、やがてショッピングセンター内のスーパーマーケットで氷菓などを購入して、それを食べつつ帰路につくため駐車場に戻るわけですが、そうした際に、自分がこの比較的大規模なショッピングセンターの駐車場の何処に駐車したのかを、キレイに忘れていることが何度かありました。他方で、その10分ほど前に読んでいた書籍の内容については、比較的明瞭に憶えているにもかかわらず…。そして、その後しばらく自己嫌悪の念を抱きつつ、自分が駐車した場所を探し続けるのですが、しかし同時に、こうした明確な意識の断層が生じるほどの意識の変容が生じることが、冒頭にて述べた「立ち読みの醍醐味」とも通底するものがあるのだと考えます。そして、それを肯定的に捉えるのであれば「集中力」と捉えることが出来ると云えます。そして端的に、当時の私は、それまであまり鍛えてこなかった「集中力」を、読書などにより自分なりに鍛えていたのだとも云えます。修士院生当時は、それまでではあり得ないほどの量の読書をしました。私は元来、興味を持った分野での読書であれば、あまり苦にならない性質であることから、当時は、本来の専攻であった地域学以外にも民俗学、考古学、古代史、経済学、社会学、近現代史など、それなりに多岐にわたる分野の書籍を読むことが出来たのだと云えます。そしてまた、それぞれの分野での読書が、他の何らかの分野での読書から生じたストレスを緩和する意味もあったことから、こうしたことが出来たのだと云えますが、しかしながら他方で、人文系の大学院修士課程では、このようなことは特に珍しくはないと云えます…。そして、この「集中力」は当時と比較しますと、現在は明らかに減衰したと感じられます。その理由の多くにはスマホ画面を見続けることによる視力の衰えもあるとは考えますが、こうしたことは読書の進み具合などから、自身としては比較的明瞭に認識することが出来ます。それ故、若くて目が健康で強いうちに、出来るだけ多くの難しそうな書籍を集中して読むことをおススメします。若い頃にそうした書籍に取り組み、理解出来た記憶があるのであれば、その後も、その記憶の経験を足場として、また新たな難しそうな書籍などにもあまり臆せずに取り組むことが出来ると考えます。そして、私もまた、そうした経験を足場として、昨年は2024年ノーベル経済学賞受賞の研究者等による著作を(どうにか)通読することが出来ましたが、おそらく、これも、それまでの読書経験があったからであると考えます。とはいえ、昨2024年は、目まぐるしく変転する国内外の情勢を自分なりに理解するために、これまで読まなかった分野での著作を立て続けに読んだためであるのか、現在に至るまで、少しバテ気味であり、そしてまた、この状態には、さきに述べた「以前であれば余裕であったのに…」と感じられる「集中力の減衰」があると私は考えています…。


*ChatGPTによる添削後
 昨年末は慌ただしく過ぎていき、今年に入ってからもまだ実感が湧かないままの日々が続いています。しかし、今年に入ってからは久しぶりに連日散歩に出かけました。本日の神田神保町では既に営業している書店がいくつかあり、立ち寄って立ち読みをしていると、やがて興味を引く書籍を見つけ、しばらくそれに読みふけっていました。このように立ち読みを繰り返すうちに、いつの間にか意識が変容していることに気づきました。こうした感覚は、書店や図書館で立ち読みをする醍醐味の一つではないかと、久しぶりに実感した次第です。

 この「立ち読みによる意識の変容」については、以前、当ブログでも述べた記憶があります。かつて和歌山市在住の頃、住んでいたアパートから車で10分ほどの場所に比較的大きなショッピングセンターがあり、その中に大規模な書店がありました。その書店は大学からも近かったためか、専門書も充実しており、大学図書館とは異なる楽しさがありました。また、当時は24時間営業だったこともあり、アパートで文章作成などをして行き詰まると、時間を問わずそこに出向いて、全く異なる分野の書籍をしばらく立ち読みすることがよくありました。不思議なことに、そうすると気分がリフレッシュし、その後、ショッピングセンター内のスーパーでアイスを買い、食べながら帰路につくのが常でした。

 ただし、帰り際に駐車場で自分がどこに車を停めたかをきれいに忘れてしまうことが何度かありました。一方で、その直前に読んでいた書籍の内容は比較的鮮明に覚えているのです。このような意識の断層が生じること自体、立ち読みの「意識変容の醍醐味」と通じる部分があるのだと感じます。この現象を肯定的に捉えれば、集中力の発露とも言えるのではないでしょうか。

 当時の私は、それまであまり鍛えてこなかった集中力を、読書を通じて鍛えていたのだと思います。修士課程時代には、それまでの人生で考えられないほど多くの読書をしました。元来、興味を持つ分野の読書であれば苦にならない性質だったため、本来の専攻である地域学に加え、民俗学、考古学、古代史、経済学、社会学、近現代史など、多岐にわたる分野の書籍を読むことができました。また、それぞれの分野の読書が、他の分野での読書によるストレスを和らげる役割も果たしていたため、これだけ多くの読書が可能だったのだと思います。もっとも、人文系大学院の修士課程では、このようなことは珍しくないとも考えられます。

 しかしながら、この集中力は現在、明らかに減衰したように感じます。その理由の一つとして、スマホ画面を長時間見ることで視力が衰えたことが挙げられます。この影響は読書の進み具合からも自覚できるところです。そのため、若く視力が健康なうちに、できるだけ多くの難しい書籍を集中して読むことをお勧めします。若い頃にそうした書籍に取り組み、理解した経験があれば、その後もその記憶を足場に新たな難しい書籍に臆せず挑むことができるでしょう。

 私自身もそのような経験を足場に、昨年は2024年ノーベル経済学賞受賞者の著作をどうにか通読することができました。これも過去の読書経験があったおかげだと感じます。ただ、昨2024年は、変化の激しい国内外の情勢を把握しようと、それまで手に取らなかった分野の著作を次々に読んだこともあり、少々疲れが残っています。また、この状態には、先に述べた「以前は余裕でできていたことができなくなった」という集中力の減衰が影響していると感じます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。