また、この映画とは、たしかに、私がこれまでに観た映画にて最も戦車の戦いを忠実に再現しているのではないかと思われました。
そして、この映画を観ることにより、はじめて司馬遼太郎が御自身の経験に基づいて、さまざまな著作に書いた戦車で戦うことのおぞましさ、またそれを想像することによって生じてしまう憂鬱さといったものを、ほんの少しは分かるようにも思えました・・。
とはいえ、そうした事情によるものか、我が国の太平洋戦争を題材とした数々の映画の中において、戦車を題材とした映画とは、かなり少ないのではないかと思われます・・。
その理由について考えてみますと、太平洋戦争での主たる戦場とは、戦車同士が叩き合うのに適した見通しのきく平原は少なく、また、当時の我が国における戦車の位置づけとは、発祥の地、欧州での開発当初の目的であった前進する歩兵の援護を主としたままであり、さらには軍艦、飛行機を題材とした映画のように模型を以って撮影部分をあてることが困難であったことから、華々しい戦場での活躍あるいはそこから派生する悲劇を描写するには『地味』過ぎる且つ予算が掛かりすぎる題材であったのではないかと思われます。
以上のような理由から、少なくとも我々日本人は、第二次世界大戦・太平洋戦争における戦車による戦いとは、書籍・文献を通してのみで知る他はなく、そのことから、当時の戦車同士の叩き合い、戦車を用いた戦闘をあまりリアルに想像することが出来なかったのではないかと考えられます。
その意味において冒頭に書いた映画『Fury』とは、かなりその実情・実相を伝えていると思われることから、あらためて太平洋戦争時に戦車隊に属していた司馬遼太郎が戦車を題材として書いた内容の意味を(ある程度深く)理解することが出来るのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、その一方で、昨今戦車での戦いを題材としたアニメが広く認知されているようですが、そのアニメでの戦車の戦いと、さきの『Fury』を観比べてみますと、そこからもまた日米双方の文化の違いらしきものを感じ取ることが出来るのではないかと思われます。
しかしながら、毎度不思議に思うことは、何故昨今の我が国の多くのアニメ・マンガとは、少女を主人公として武器を持って戦うといった設定を好むのでしょうか・・?
いや、それはアニメ・マンガに限らずドラマ・映画においても同様であるのかもしれません・・。
おそらく、そうした傾向とは、戦前においては現在ほど顕著ではなかったと漠然と思うのですが、それが戦後の如何なる時代精神と感応し、こうした傾向が生まれたのかとは、今後もう少し機を見て考え続けていこうと思います・・。
あるいは、仮説として、こうした傾向とは、男性側が保持する文化・伝統が大戦争により敗れ、その敗れた文化・伝統が強い側・勝った側(欧米)に不断に靡こうとする女性側の文化・伝統を必死に押し留めるための努力であるのかもしれないとも考えられますが、さて如何でしょうか・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域の生活諸インフラの出来るだけ早期の回復・復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しています。』