2017年7月26日水曜日

20170725 其の2 この時期になると思い出すこと 大隅半島東側の古墳から・・

A「本日分の記事投稿はさきの書籍からの抜粋引用にて充てようと考えておりましたが、現在700記事到達目前という事情もあり、本日もまた何かしら自分で書いてみようと思い立ちつい先ほど新たに記事作成を始めた次第です・・(笑)。

さて、この夏は未だどこかへ遠出するということもなく、蒸し暑い都会の雑踏を性懲りもなく動き回っている次第ですが、こうした状態が常態となりますと、私の場合、南方的とも云える横溢な植生の自然環境への憧れが強くなり、また同時に、かつてのそうした記憶がほぼ自動的に想起され易くなるようです・・(笑)。

さて、何年か前の鹿児島在住時のこの時期、大隅半島東側に古墳が多いということを書籍にて知り、一人原付にてフェリーに乗り大隅半島に渡り、志布志大崎東串良肝付周辺の古墳巡りをしたことがあります。

面白いことに鹿児島県では薩摩半島側には、あまり主だった古墳は見受けられず、それに対し大隅半島側では、国内でも名高い宮崎・日向の西都原古墳群あるいは畿内王権の大動脈とも云える瀬戸内海の延長線とも云える地域ということもあり、その東海岸沿いには大型の前方後円墳をも含む古墳群といったものが散見されるのです。

さて、実際にそうした古墳・古墳群に行ってみますと、それらは特に整備されているといった様子ではなく、概ねごく自然のままで、あるいは墳丘に社が設けられていることもあり、見方によれば、それらのうちのいくつかは、未だ地域にて祀られている存在であるとも見て取れました

とはいえ、こうした古墳のあり方とは、ここのみにおいて特徴的であるというわけでもなく、少なくとも、これまでに私が見た和歌山、福岡など西日本の古墳においても類似・同様と評しても良いものが複数見受けることが出来ました。

そして、そうした中においても、これら大隅半島東海岸近くの古墳・古墳群を特徴付ける要素とは、大型の古墳が草生した丘状となり、また付近に多く点在するとされる南九州東側特有の墓制にて造営された地下式横穴墓とは、地上に古墳の存在を知らせる要素がほぼ皆無であることから、事前の情報あるいは現地での標識・案内板がなければ、そこが古墳・古墳群であることすら判別が困難であったということです。

当時の私は、こうした状況に対し、いささか不満をおぼえたのではありますが、現在、冒頭に書いたような状況にある私としては『あるいはこれもまたこれで良いのではないだろうか?』とも考えるようになりました・・。

それを言い換えますと『そこに古墳の存在を知らせる要素がなくとも、実際そこに古墳があるのであれば、何かしら考えることが出来るのではないだろうか?そして、そちらの方がより想像力を働かせることが出来、そこからまた更なる考えを生むことが出来るのではないだろうか?』といった感じになります。

そして、こうしたことから貴重な史跡・遺跡の取り扱いとは、遺跡・地域毎に無作為の無意識に基づくものではあれ、さまざまな方法・様式があっても良いのではないかと考えに至るのですが、さて如何でしょうか・・?


ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域の生活諸インフラの復旧そしてその後の早期の復興を祈念しています。』


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