A「様々な書籍、資料を読んでおりますと、その中から、少なくとも近代以降の我が国においては、時代によって過度に憧れの対象となる職業があるように思われます。
そして、現在におけるそれは医師をはじめとする医療系の職種ではないでしょうか?
たしかに、それらの職種は、相対的に高給であり、安定しているといって良いと思います。
それに加え、景気的には低迷を続け、且つ国際情勢も不安定な我が国の現状から、より一層、医療系の職種が憧れの対象となるのではないかと思われます・・。
そして、戦前から戦中における、そうした職種とは、役人、軍人などであり、当時のそういった職種を養成する教育機関とは、現在における大学医学部、医科大学に近いような位置づけではなかったかと思われます。
そして、戦後しばらく経ち、時代も変わり、それら憧れの対象となる職種を養成する教育機関の位置づけ、および自身の学力が数値的にある程度具体的に測る(?)ことができるようになったことにより、それら教育機関への凝集とは、より強まったのではないかと思われます・・。
それに加え、そうした要素(数値的なマッチング)とは、時、人により自身の性質を内省し、その進路を決めることよりも重要視され、より上記の傾向(凝集性)が助長されていったのではないかと思われます・・。
自明といえば自明なことではあるのですが、教育機関の「教育」とは、本来個人の学力、資質を高め、それにより、地域、国の様々な面における活力を高めることが目標ではあるのですが、この場合、より重点を置かれるもの、あるいは、その主体となるものが「個人であるか」、「地域、国であるか」ということが重要であり、おそらく近代以降の我が国におけるそれは「国、地域」に、より重点が置かれていた「る」ように思われます・・。
そして、こうした傾向とは、首都圏、都市部以外の地域においてより一層強いのではないかと思いますが如何でしょうか?
また、前述の教育において、より国、地域(の権威)に重点が置かれている地方の権威筋においては、実のところ、さらに中央の権威(政府)に対し、往々にして面従腹背的な心性(それは歴史的経緯により仕方がないのではないかと考えますが・・)を持っているのではないかと思われます。
そして同時に、その中央の権威を自身が背負い、権威の源泉として地域住民に対し「戦前における官の権威」に近い権力を振りかざしていることもまた、あるのではないかと考えさせられます・・。(抑圧移譲・丸山真男)
また、こうしたことは、大岡昇平の「俘虜記」において比較的明晰に記されているのではないかと思われます・・。
とはいえ、この中央の権威(政府)なるものも、その背後には、他の、より大きな権威があるのではないかとも考えさせられます・・。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
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