2016年7月6日水曜日

20160706 対話形式のブログ記事の「はしり」について・・

A「昨日作成したブログ記事とは、いかなる原因によるものであるかわかりませんが、当初より閲覧者数がある程度伸びました。

また、この記事とは、さらに一昨日の記事に関して述べたものであり、そのことから「何かしらハナシが繋がっている方が閲覧者数は伸びるのかもしれない。」と短絡的に思いましたが、こうしたものは、そこまで単純ではないと思います・・(苦笑)。

とはいえ、一つの試みとして、昨日の記事のことから本日の記事作成をはじめてみました・・(笑)。

昨日の記事において、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」のことを少し取り上げました。
この著作とは、題名からして若干重そうな感じを受けますが、文量としては決して多いものではなく、読んだ当時(30歳)の私としては、若干の読み難さを感じましたが、他の哲学、思想系の著作に比べれば、そこまで読み難さを感じさせることはないと思います・・。

しかしながら、一般的に哲学、思想系の著作とは、感性が瑞々しい若いうち(20代)により多く接した方が良いなどといわれますので、それら哲学、思想系の著作から、より多くの何かを感じ取るためには、その方が相対的に良いのかもしれません・・。
もちろん断言はできませんが・・。

また、そういった意味においても、さきの「論理哲学論考」とは、他の哲学、思想系の著作とは若干毛色が異なり、実験などに終始する理系大学院生の方々が、その実験作業の合間などに読まれたりすると、(もしかすると)思いもよらぬ面白い、劇的な効果が生じることもあるのかもしれません・・(笑)。
もちろん断言はできませんが・・。

そういえば、こうしたことを書いていますと、不図、以前SNS上にて、この著作(「論理哲学論考」)についての対話形式文章を記したことを想起しました・・。

また、そのことを想起しますと、当時SNS上にて記した対話形式の「論理哲学論考」に関する文章とは、もしかすると、私がある程度の期間、当ブログ上にて記してきた対話形式の文章の「はしり」のようなものであったのかもしれません・・・(笑)。

また、そこ(SNS上)で記された対話も、これまでのブログ上にて記したものと同様、概ね実際に為された対話に基づいておりますので、特に削除の必要はなく、そのままにしておりますが、同時に現在読んでみますと、ブログ全体としては少なからず恥ずかしい部分もありますので、見ないように(は)しております・・(笑)。

しかし、そのように考えてみますと、これまでに作成した一連のブログ記事も同様、後日恥ずかしく感じる時期がやってくるのでしょうか・・?

また、さらにこうした記事、文章そして文体とは、それを作成する環境、記述者の置かれた立場などから多少なりとも影響を受けるものなのでしょうか・・?

そのように考えた場合、今後、現在と異なる地域に在住することになり、このブログを継続するとしたら、私は一体どのような内容の記事をどのような文体にて記すことになるのでしょうか・・?

こうしたものは正直、現在においては不可知であると思います。

そして、それは面白いことであるのか、あるいは不安を惹起させる要素であるのかもよくわかりません・・。

ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」