また、この期間(7年以上)では、その全日数の7割以上の数の文章(ブログ記事)を作成、投稿してきましたので、おそらく、私のこれまでの人生のなかでは、最もアウトプットが多い期間であったとも云えます。そしてまた、その意味において「ブログ」や「ツイッター」といった発信手段があったことは、私にとっては幸運であったとも云えます。
くわえて、これまで数年間(どうにか)ブログ記事の作成を続けてきたためであるのか、昨今はごく稀に(大抵は目上の)知人から「おお、ブログ読んでいるよ!」であるとか「この頃ブログ書いていないようだけれど、どうかしたの?」などと声を掛けて頂くことがあります。面白いことにそうして声を掛けてくださる方々は、医歯系あるいは理工系の先生方であり、やはり、それらの背景にある言語世界に、何らかの関連性があるのではないかと思われました・・。
そして、そのように考えてみますと、再び思い出されるのが文系の師匠であり、20代当時の私は、この師匠が話される歴史ネタの話を大変興味深く、面白いと感じて、話題に出た書籍や映画などを読むなり視るなどして、自分なりの知見を得ようとしていましたが、どうもそこに至るまでには、かなりの時間と努力が必要であることが分かったのが、しばらく経ち社会人になってからであり、また同時にそこで、私は自分の興味関心がある分野であれば、そこまで苦痛を感じることなく、ある程度は楽しんで、それなりに硬質な文章の書籍をも読むことが出来るということが分かりました。
そこから「やはり、当初の希望通りに人文系の大学院に進んでいた方が良かったのかもしれない」とも思われるかもしれませんが、しかし、ここが、とても面白いところであると思うのですが、そこで私は、はじめに希望していたヨーロッパ文化についての研究を専攻することなく、会社の転勤によって(当初は心ならずも)在住することになり、また、後には、その民俗文化などに引っ掛った地域である南紀、そして紀州和歌山の文化についてを専攻しようと考えたことです。
このことも、以前にブログ記事として述べた記憶がありますが、私にとっては、やはり南紀での在住経験が、大きな意味を持っていたのだと思われるのです・・。おそらく、ある程度年齢が若い頃は、たとえはじめは気が進まなくとも、しばらくその地に在住していますと、徐々にそれを受け容れて、適応していくことが、多くの場合、出来るのだと思われるのですが、他方で、当初からの計画通りに、全てを推し進めるのが良いとする視座に拠りますと、こうしたことを受け容れ入ることが自体が困難になってくるのかもしれませんが、しかし、こうした偶然のように、コントロール可能な制御可能範囲の外部からの出来事に対応することによって、我々は何と云いますか、より創造的な未来を見出すことが出来るようになるのではないかと思われるのです。そして、そうした意味からも、太平洋戦争では負けましたが、そうではあっても、さまざまなホンモノの歴史や文化などに対して、血の通った内からの興味を持ち続けることが、思いのほかに大事であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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