株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.105‐108より抜粋
ISBN-10 : 4065314054
ISBN-13 : 978-4065314050
東 新興宗教の犯罪性が問題になるとすぐに「宗教がダメだ」という論調になるのは、逆に宗教についての考えが貧しいことの表れだと思います。日本では人の心を安定させるシステムがうまく機能していないので、「娯楽産業」という名のもとに変な商売が大量に作り出されている。だれも知らないアイドルに何百万もつぎ込むのがよしとされているような文化は、ふつうに考えて異様です。そういった歪んだ部分が「クールジャパン」と呼ばれる面白い部分を作り出しているのも事実なのでしょうけど、長続きはしないと思います。
茂木 いわゆる自己肯定感が低いことも共通の基盤があるんでしょうね。本当の意味で自分の個性を受け入れることができないから、表層的な文化で右往左往する。それが日本の魅力であると同時に、本質的な限界になっています。
養老 宗教の問題は前から気になっていました。学生運動が落ち着いた後も、学生たちはしょっちゅうケンカをしていて、大体全共闘、創価学会、統一教会(原理研究会)の三つのグループが対立する。どうしたもんかと思って、当時、駒場にあった統一教会の寮に行ってみたことがあります。信者の女性が食事の世話なんかをしていました。どういう子が集まっているのかと思ってみてみると、公に相談ができにくい事情を持っている子たちなんです。親がゲリラ組織にいるとか、ごく一般の学生とはうまく話ができないような複雑な背景をもった子たちが集まっていた。
オウムの問題なんかもあって、ずっと「古い宗教が安心だ」と言ってきたけど、そのわりにお坊さんがサボってししないか。コンビニより寺の数が多いと言われるのに、ぜんぜん機能しているように見えない。
東 そもそも「人の悩みを聞く人」が少ないという問題かな、と思います。人が人に真面目に悩みを話す、それを聞く、というまともなコミュニケーションの場があまりに少なく、表面的な社交ばかりしている気がする。
茂木 八百万の神はいい部分も多いけど、神の敷居が低いということでもあって、いろんなことが「神化」しやすいという問題もありますよね。
東 そうかもしれません。「プチ神」みたいなのが多いですよね。
茂木 「ひろゆき」を神化してしまうような脆弱なメンタリティは何だろうと思います。ひろゆきさん本人は、むしろ謙虚だし、自分の限界もわかっている。もちろん卓越している点もあるわけですが。
東 彼ら自身はむしろ強いと思っているのでしょう。ひろゆきさんと同一化することで心の穴が満たされ、現実の悩みをやり過ごすことができる。それは若さゆえの強がりであったことに、四〇代、五〇代になって気付くのかもしれない。
日本では悩み相談みたいなものもコンビニ化していて、ちょっと寂しいときに時間を潰せる「元気をくれるサプリメント」みたいなコンテンツがたくさんある。僕自身、かつてポストモダン社会ではそういうものが機能するはずだと考えていたこともあるのですが、現実はそうではなかったですね。
養老 戦争後の脳天気な転換もそうですね。うまくいくだろう、という感じでやってきたけど、歪みがいろいろ出てきた。こっちはそれをずっと抱えてこの歳まで生きてきたけど、それでも何ができたわけでもなくて、満州からの引き揚げ者が同級生に三人もいたことすら今になって知りました。彼らはどうやって戦争のトラウマを片付けてきたのだろうと思いますが、今更、何も言わないでしょうね。この社会はそういう問題に蓋をしたまま、コンビニ的なサービスで間に合わせてきたんですから。
東 戦争については、九〇年代くらいまでは社会の中に戦争経験者が現役でいたので、いまとはまったく語り方が違っていたと思います。でも彼らが死んでしまうと、戦争の記憶がバーチャル化してしまって、戦争の話は生々しい人間の話ではなく、データを組みあわせて作る物語になってしまう。
茂木 その話はまさに歴史実証主義の限界を示していると思います。残った記憶だけでその人がどういう人だったか、この事件が何だったかなんてわかるわけない。たまたまそれが残っているだけかもしれないし、立場によって見えるものは違うわけです。歴史実証主義の「ドキュメンテーションがないものは信じない」という態度は、まさに東さんの言った、人の経験はそれ自体が本来は重要なのに、死んでしまうと残された「データ」だけが参照されて、経験への想像力がなくなるという問題とつながっているように思います。