2017年11月18日土曜日

20171117 文章を書く際の大きな波と小さな波 および書籍からの抜粋引用『司馬朗太郎対談集』より

本日は帰宅が遅くなったことから、ブログ記事の作成は止めておこうと考えましたが、習慣とは恐ろしいもので、何かしら書いておかないとどうも落ち着きません。

とはいえ、本日に関しては昨日までの我が国の古代史もしくは民俗文化に関連する事柄を比較的硬質な文体にて書くことは困難であると思われたため、散文的な文体にて書いていこうと思います。

さて、ここ数日にて首都圏はまたもう一段階寒さが増したように思われます。ここ関東地方の冬も既に四回目ではありますが、未だにこれに『慣れた』といった感じはありません・・。

一方、ブログ記事の作成に関しては昨今は多少慣れてきたようであり、比較的硬質な文章も、こうした散文的な文章を書くことも『波に乗れば』特に無理なく書くことが出来るように思われます。

しかし、
こうしたものにも、さらに大きな視点での『波』があるようであり、おそらく現在の私とは、この大きな視点における『波』に関しては、そこまで悪い状態ではないように思われます。

また、毎度毎度ブログ記事作成時における『波』は、何かしら書き始めることにより、徐々にスイッチが入っていくような感じがあると思われます。

他方、
大きな視点での『波』とは、書き手自身の人生の『波』あるいは『バイオリズム』らしきものと少なからぬ関連があるのではないかと思われます。

また、毎度感じる、小規模な『波』に関しては、自身の工夫により、ある程度制御、調節することが出来るのではないかとも思われます。

くわえて、ここ(小規模な『波』)における工夫の仕方によって、そこで作成されたブログ記事を読んで頂く方々の数が変化するのではないかと思われます。

しかし、現段階において文章として表現することが可能であるのは、ここまでであり、その先にある『具体的に如何なる工夫により記事閲覧者数を増やすことが出来るのか?』といったことは未だよく分かっておりません・・(苦笑)。

あるいはそれは、その時・その時にて読んでいる書籍からの半ば無意識における影響によるものであろうか・・?

それでも
、自身がここまで実感を以って考えることが出来るようになった背景には、これまでに継続してきたブログ記事の作成があると思われますので、その意味においては、これまでのブログ記事作成とは、自身にとって多少の成長を与えてくれたのではないかとも思われます・・。

そしてまた、閲覧して頂いている方々の中で、それら記事を読むことにより、何らかの新たな発見あるいは興味、関心の対象が生じたのであれば、それは記事を作成した者にとって望外の僥倖と云えます・・(笑)。

さて、ここまで書いており、先日偶然読んでいた書籍にて少し気になった部分を以下に抜粋引用します。
朝日新聞社刊 司馬遼太郎対談集 『日本人の顔』pp.38-39
対談は司馬遼太郎江崎玲於奈
ISBN-10: 4022602732
ISBN-13: 978-4022602732

江崎 試験の話に戻りますと、日本の試験制度はたしかに創造的にものを考える人間には不向きだと思います。しかし、それは日本が創造性を必要としない社会だからでしょう。考えようによっては、これで日本人がクリエイティビティをもったらとんでもないことになるし、あんまり繁栄し過ぎるんじゃないですか。(笑)

司馬 国立がみな同じ入試形態でやっているのはおかしいですね。つまり東京大学はそうだけれども、京都大学は違う方法でやる。数学が出来るやつは全部入れちゃうとか、数学ができなくても、おまえはこういう方面の才能が伸ばせるような席だけは与えてやるとかいうことがないでしょう。全部画一です。どういう民族をつくるつもりでそうするのか、よくわからない。いま、一番の秀才の集まるのは医学部だそうですね。医学進学コースは平均七〇点ぐらいとらなきゃ入れない。医者が重んぜられる社会は無目的社会といえませんか。医者になるというのは、生活の安定を望むというだけが目的の場合が多いから、それだけエネルギッシュな秀才少年たちの志としたら、どうしようもない。ところがいま優秀な少年の志がまさにそれでしょう。

江崎 全国画一の試験が実施できる国だということは、逆にいえばメリットの一つでしょう。日本は創造性をあまり必要としない国であってよいのかもしれません。金をため込むことが目的だったら、金をため込むこと自体に快感を感じればいいわけです。だけど金色夜叉みたいになってしまう・・・(笑)。

司馬 知能の限り傾けて金をためる。一種の復讐かな。(笑)

江崎 戦争に負けた復讐かもしれませんよ(笑)。日本は戦争に負けて、もうだめになるかもしれないと思われたのに、経済を復興させたうえ、経済進出を三十年かけて成し遂げた。その実績から言えば、日本人は今後もかなりの難問題でも、実行能力にものを言わせて何とか切り抜けるでしょう。しかしそのような行き方には限界がありますね。戦争という形ではカタストロフィーは起こらないでしょうけれども、抽象的な意味で日本沈没が起こる可能性はなきにしもあらずではないでしょうか。それはどういうことかといいますと、カタストロフィーに向かったときにブレーキをかける社会的な力が弱いということです。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を受けた諸地域のインフラの復旧、回復そして復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。