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2017年11月18日土曜日

20171117 文章を書く際の大きな波と小さな波 および書籍からの抜粋引用『司馬朗太郎対談集』より

本日は帰宅が遅くなったことから、ブログ記事の作成は止めておこうと考えましたが、習慣とは恐ろしいもので、何かしら書いておかないとどうも落ち着きません。

とはいえ、本日に関しては昨日までの我が国の古代史もしくは民俗文化に関連する事柄を比較的硬質な文体にて書くことは困難であると思われたため、散文的な文体にて書いていこうと思います。

さて、ここ数日にて首都圏はまたもう一段階寒さが増したように思われます。ここ関東地方の冬も既に四回目ではありますが、未だにこれに『慣れた』といった感じはありません・・。

一方、ブログ記事の作成に関しては昨今は多少慣れてきたようであり、比較的硬質な文章も、こうした散文的な文章を書くことも『波に乗れば』特に無理なく書くことが出来るように思われます。

しかし、
こうしたものにも、さらに大きな視点での『波』があるようであり、おそらく現在の私とは、この大きな視点における『波』に関しては、そこまで悪い状態ではないように思われます。

また、毎度毎度ブログ記事作成時における『波』は、何かしら書き始めることにより、徐々にスイッチが入っていくような感じがあると思われます。

他方、
大きな視点での『波』とは、書き手自身の人生の『波』あるいは『バイオリズム』らしきものと少なからぬ関連があるのではないかと思われます。

また、毎度感じる、小規模な『波』に関しては、自身の工夫により、ある程度制御、調節することが出来るのではないかとも思われます。

くわえて、ここ(小規模な『波』)における工夫の仕方によって、そこで作成されたブログ記事を読んで頂く方々の数が変化するのではないかと思われます。

しかし、現段階において文章として表現することが可能であるのは、ここまでであり、その先にある『具体的に如何なる工夫により記事閲覧者数を増やすことが出来るのか?』といったことは未だよく分かっておりません・・(苦笑)。

あるいはそれは、その時・その時にて読んでいる書籍からの半ば無意識における影響によるものであろうか・・?

それでも
、自身がここまで実感を以って考えることが出来るようになった背景には、これまでに継続してきたブログ記事の作成があると思われますので、その意味においては、これまでのブログ記事作成とは、自身にとって多少の成長を与えてくれたのではないかとも思われます・・。

そしてまた、閲覧して頂いている方々の中で、それら記事を読むことにより、何らかの新たな発見あるいは興味、関心の対象が生じたのであれば、それは記事を作成した者にとって望外の僥倖と云えます・・(笑)。

さて、ここまで書いており、先日偶然読んでいた書籍にて少し気になった部分を以下に抜粋引用します。
朝日新聞社刊 司馬遼太郎対談集 『日本人の顔』pp.38-39
対談は司馬遼太郎と江崎玲於奈
ISBN-10: 4022602732
ISBN-13: 978-4022602732

『
江崎 試験の話に戻りますと、日本の試験制度はたしかに創造的にものを考える人間には不向きだと思います。しかし、それは日本が創造性を必要としない社会だからでしょう。考えようによっては、これで日本人がクリエイティビティをもったらとんでもないことになるし、あんまり繁栄し過ぎるんじゃないですか。(笑)

司馬 国立がみな同じ入試形態でやっているのはおかしいですね。つまり東京大学はそうだけれども、京都大学は違う方法でやる。数学が出来るやつは全部入れちゃうとか、数学ができなくても、おまえはこういう方面の才能が伸ばせるような席だけは与えてやるとかいうことがないでしょう。全部画一です。どういう民族をつくるつもりでそうするのか、よくわからない。いま、一番の秀才の集まるのは医学部だそうですね。医学進学コースは平均七〇点ぐらいとらなきゃ入れない。医者が重んぜられる社会は無目的社会といえませんか。医者になるというのは、生活の安定を望むというだけが目的の場合が多いから、それだけエネルギッシュな秀才少年たちの志としたら、どうしようもない。ところがいま優秀な少年の志がまさにそれでしょう。

江崎 全国画一の試験が実施できる国だということは、逆にいえばメリットの一つでしょう。日本は創造性をあまり必要としない国であってよいのかもしれません。金をため込むことが目的だったら、金をため込むこと自体に快感を感じればいいわけです。だけど金色夜叉みたいになってしまう・・・(笑)。

司馬 知能の限り傾けて金をためる。一種の復讐かな。(笑)

江崎 戦争に負けた復讐かもしれませんよ(笑)。日本は戦争に負けて、もうだめになるかもしれないと思われたのに、経済を復興させたうえ、経済進出を三十年かけて成し遂げた。その実績から言えば、日本人は今後もかなりの難問題でも、実行能力にものを言わせて何とか切り抜けるでしょう。しかしそのような行き方には限界がありますね。戦争という形ではカタストロフィーは起こらないでしょうけれども、抽象的な意味で日本沈没が起こる可能性はなきにしもあらずではないでしょうか。それはどういうことかといいますと、カタストロフィーに向かったときにブレーキをかける社会的な力が弱いということです。』

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を受けた諸地域のインフラの復旧、回復そして復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。









2017年8月29日火曜日

20170828 医局・講座制の今後の持続(発展)可能性について思ったこと・・

本日のブログ記事投稿により総投稿記事数が730となります。

これも、あまり区切りの良い数字ではありませんが、これにより、とりあえずの目標としている800記事まで残り70程度となり、さらに現在のペースにて記事作成を継続することにより2カ月以上3カ月未満にて、この目標に到達することが出来ます。

そのように考えてみますと、先は長いようですが、同時に、このようにして書き続ける以外に良い方法があるとは思われないことから、おそらく今後もしばらくは書き続けることになると思われます・・(苦笑)。

さて、以前に投稿したブログ記事において大学の学部・研究科により、その単位となるグループ組織の名称およびその背景文化が大きく異なると述べましたが、その中でも特に医療系(医科・歯科)にて古くから存在する医局・講座制とは、かなり独特な組織ではないかと思われます・・。

これに類似しているものを挙げるとすれば、それはあくまでも想像ですがヤクザの世界ではないかと思います・・(笑)。

また、我が国では以前より医局・講座を舞台とした小説、ドラマ、マンガなどが少なからず存在しておりますので、もしかするとヤクザの抗争ものの映画と同様、男性を主とする組織の権力闘争とは、観客として見る分においては、少なくとも、つまらないものではないのかもしれません・・(苦笑)。

・・とはいえ、であるからといって自身は医局・講座が悪いものであるとは決して考えません。

むしろ、ある程度専攻する研究分野が決まっているのであれば、その研究分野に最も近いことを主として研究してる医局・講座に属するということは、研究の効率的な進展のために望ましく、またその際に否応なく生じる上下関係などは、仕方がないというよりも当然のことではないかと思われるのです・・。

しかし、その点において文系学問での博士課程においては、全般的にもう少しフラットな自由競争に近いものであり、自身の努力・才覚如何によっては(面倒な)上下関係など飛び越え、早々に学位を取得し、研究者として就職することも可能であるとのことです・・。

以上の見識から(ある程度確からしい)結論を出すことなどは到底できませんが、それでも大きな傾向として思うことは以下のとおりです。

医療系をはじめとする(臨床)技術を基礎に置く理系学問分野においては、特に古くからの徒弟制度的な機能が(ある程度)組織にて担保・保持されていないと、その機能を媒介として更新継承され続けてきた(臨床)技術にくわえ、その機能が文化としての役割を果たし為されてきた医療倫理あるいは哲学などの更新継承が絶えてしまう(形骸化してしまう)のではないかと思われるのです・・。

私見としては、今後、医療介護などを包括するような大学外の講座(学外講座)といったものが実質を伴い増加することにより、大学および外部医療機関双方の持続(発展)可能性が強化されるのではないかと思われます。

そしてまた、そうした環境に何らかのカタチで文系の人間を合金、セラミックスの成分設計における微量元素の添加にように少数放り込んでおくと時折面白いことが生じる(こともある)のではないかと思われます・・(笑)。
そして、逆もまた同様であるかもしれません・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した地震・大雨・水害といった一連の大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧そして回復および、その後の復興を祈念します。」


2017年4月28日金曜日

20170428 最近よく眠くなること、および読んでいる著作について【抜粋引用あり】

先日の600記事到達から本日の記事投稿によって10記事作成したことになります・・。

この10記事とは案外早く感じ、あるいはこの調子で書き続ければ700記事への到達もまた、そこまで先ではないとわずかに錯覚を覚えるのですが(笑)、その一方で、やはりある程度疲労は蓄積しているようであり、先日の記事にも書きましたが、少し気が抜けるとすぐに眠たくなってきます・・。

また、そのように書いておりますと、不図思い出すのは、このようなことは以前にもあったということです・・。

それは鹿児島在住初年目2009年の暮れ頃であり、当時はどうしたわけか、常時眠くて仕方がない状態でした・・。

具体的には、電子顕微鏡で試料を観察しながら、いつの間にか意識が飛んでいたり、パソコンの前で何か作成している時もそうしたことが生じていました・・(苦笑)。

現在になり考えてみますと、それは同年11月に兄が亡くなっていたことが何かしら関係していたのではないかと思われますが、その詳細な原因とは今もって不明です・・。

また、そうしたことを思い出してみますと、今回のそれは前述2009年に経験したものに比べれば、大したことではなく、また、その原因とは継続的なブログ記事作成にあることは感覚的に理解できますので、これを改善するためには、ある程度記事作成の頻度を抑えることが効果的であろうとは自然に思い至るのですが、それでも、このように記事作成をほぼ習慣的にはじめてしまうことが、まさしく『分かっちゃいるけど止められない』といったところではないでしょうか・・(笑)。

とはいえ、そうした状態にて記事を作成しておりますと、不思議なことに比較的スムーズに文章は湧くようであり、ここまでの記事作成も割合速やかに為されております・・。

また、それは現在読み進めている夢野久作の著作の影響によるものであるかもしれません・・。

この著作もおそらく本日あるいは近日中に読了に至ると思われますが、その中で述べられている時代、地域の状況とは、おそらくある程度史実に沿った、近いものであり、また、さらにそこから既読の複数著作に思い至るわけですが、中でも中江兆民著『三酔人経綸問答』あるいは福沢諭吉著『文明論の概略』などは、この著作の時代、地域などの背景を理解する上において効果的であるのではないかと思われます・・。

また、それをさらに『地域』に重点を置いてみますと、大西巨人著『神聖喜劇』、野上彌生子著『迷路』などに描かれている世界にも相通じる部分が少なからずあるのではないかと思われます・・。

ちなみにこの夢野久作の著作とは『犬神博士』であり、その独特の文体から繰り広げられる世界観はなかなか面白く一読の価値があると考えます。
そこまで長い著作ではなく、比較的気軽に読むことが出来ると思いますので、興味のある方は読んでみてください。

では下に、この著作冒頭一部分の抜粋引用を示します。

株式会社KADOKAWA発行 夢野久作著 『犬神博士』 pp.10-11
『その次は何だ。エッ。犬神博士。
どう言う意味だ、それは・・。我輩は
大神二瓶という立派な姓名があるのだ。
その大神のアタマの大の字の横ビンタへ何で石ころをブッ付けた。
誰にことわって犬にしてしまった。我輩が犬を飼っているからと言うのか。
フーム。そうじゃない。吾輩の言う事が犬神さまみたいに適中ると言うのか。馬鹿にしている。
我輩の予言と犬神様の御託宣と一緒にする奴があるか。元来ここいらに犬神が流行るものか。
ナニ。俺がいるから流行らない。馬鹿にするな。そんなら犬神の故事来歴を知っているのか。
知らない。ソレ見ろ。知りもしないのに利いた風な事を言うな。

ナニ。犬神の話を聞かせろ。ウン。知らなきゃあ話してもいい。元来犬神というのは吾国に伝わる迷信のうちでも一番下等なものなんだが、それだけにトテモ愚劣な、モノスゴイ迷信なんだ。主として中国、山陰道方面に流行したものだがね・・。

先ず或る村で天変地異が引き続いて起る。又は神隠し、駈落ち、泥棒、人殺しなんどの類が頻々として、在来の神様に伺いを立てた位では間に合わなくなって来ると、村中の寄り合いで評議して一つ犬神様を祭ってみようかと言う動議が成立する。

そこで村役、世話役肝煎役なんどが立ち上って山の中の荒地を地均して、犬神様の御宮を建てる一方に、熱心家が手を分けて一匹の牡犬を探し出して来る。

毛色は何でも構わないが牝犬では駄目だそうだ。牝は神様になる前にヒステリーになってしまうからね。

その牡犬を地均した御宮の前に生き埋めにして、首から上だけを出したまま一週間放ったらかして置くと、腹が減ってキチガイのようになる。そこでその汐時を見計らって、その犬の眼の前に、肉だの、魚だの、冷水だのとタマラナイものばかりをベタ一面に並べて見せると犬は、モウキチガイ以上になって、眼も舌も釣り上った神々しい姿をあらわす。
その最高潮に達した一刹那を狙って、背後から不意討ちにズバリと首をチョン斬って、かねて用意の素焼きの壺に入れて黒焼きにする。
その壺を御神体にして大変なお祭り騒ぎを始める。
ところでその犬神様に何でもいいから、お犬様のお好きになりそうなものを捧げて、お神籤を上げると、ほかの神様にわからなかった事が何でも中ると言うから妙だ。
天気予報から作の収穫、漁獲のあるなしはむろんの事、神隠しが出て来る。
駈落ちが捕まる。間男、泥棒、人殺しが皆わかると言うのだが、成る程考えたね。
人間だってそんな眼に会わせたら大抵神様になるだろうが。』

・・・たしかに我々日本人にはどうもこうした傾向があるように思われ、また、現代においても、そこからあまり進化はしていないのかもしれないと考えさせることがあります・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。







2017年4月3日月曜日

20170402其の2 『時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは』

A「あと20記事未満の投稿により、総投稿記事数が600に至ります。

この600記事とは果たしてどの程度のものであるかイマイチよく分かりませんが、それでもキリの良いところまでは書き続けないとどうも気持ちが悪いものです。

しかし、その場合、果たして600という数字がキリが良いのかどうか分かりかねるところではありますが、まあ少なくとも直近のキリの良い数字としては、自身にとって多少の意味があるのではないかと思われます・・(笑)。

さて、本日分の記事は先ほど既に投稿しましたが、本日は休日ということもあり、もう1記事書くことが出来るのではないかと思い、新たに記事作成を開始した次第です・・。

こうした試みはこれまでにあまり為されていなかったことから、多少不安ではあるのですが、実際に書き始めてみますと、そこまで逡巡することなくキーボード上の手は動いてくれるようです・・(笑)。

とはいえ、その書くべき主題といったものは今現在決まっておりません・・(苦笑)。

しかし、そうした状態から書き起こし、大抵の場合はどうにか記事作成を行うことが出来ておりますので、とりあえず書き進めるにしたがい、何かしら主題は思い付くのではないかと思われます・・。

そういえば、先月の最も読まれた記事は3月10日分の記事「保守は右翼、革新は左翼・・?」であり、これも他記事の閲覧者数に比べダントツといって良い状態でした。

何故、この記事が多くの方々に閲覧して頂いたのかは書いた自身もよく分からないところではあるのですが、少なくとも現在の表層的にウヨク・サヨクに分け、難癖を付けるような風潮においては多少は意味があったのかもしれません・・(苦笑)。

また、その意味において現在の文学、映画といった文化一般において、こうしたことを能動的に考えてしまうような重み、深みがあれば良いのではないかとも思われます・・。

(現在においては時代遅れの意見であるのかもしれませんが、さまざまな文化的事物における価値の根源にあるものとは、時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」ではないかと考えます・・)

しかし一方、表層的な人気を得ようとする作品とは、概ね、そうしたことを意識的に避ける傾向があります。

たしかに、そちらの方が「君子危うきに近寄らず」で安全ではあるのかもしれませんが、そうした文化事物にて世の中が埋め尽くされてしまいますと、それはそれで逆に息苦しい社会となってしまうのではないでしょうか・・(苦笑)。

いや、それら文化の系譜、成り立ちを知らなければ、そうした状態を息苦しいとすら感じることもなく、それが当たり前と感じ、その中において文化事物に対する別の尺度による評価が為されるようになるのかもしれません・・。

また、これまでのさまざまな文化の発展もまた、見方によれば、そのような感じで為されたものも少なからずあるのではないかとも考えられます・・。

つまり、こうしたこともいわば「勝てば官軍」であり、実はその為される評価とは曖昧模糊とした基準であるのかもしれません・・。

それでも先に述べた、時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは存在するのではないかと自身は考える次第です。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」






2017年4月2日日曜日

20170401 理想が社会、歴史に対し与える影響と世界的な動きについて・・

本日もまた特に確たる主題が決まらないままブログ記事作成を開始しました・・。
そこで、今週作成した記事について書いてみようと思います。
今週作成した記事の中で最も閲覧された記事は「スーパーに並んでいて不図思ったことから・・」であり、それはダントツといって良いと云えます。

そのため、この記事をあらためて読んでみたところ、その内容は、あくまでも自身が思ったところを述べたまでであり、特に新奇なことが書かれているわけでもありません・・。

とはいえ、そこに少し付け加えるならば一般的に我々は、各々の住んでいる場所、地域周辺に対して『のみ』何と言いますか『血の通った興味、関心』を持つことができると云えます・・。

しかし、それは特に悪いことでもなく、ただ我々の日常的な生活とは、概ね、そのような基盤の上に成り立っているものであると云えます。

もっとも、こうしたことにも地域性、国民性といったものはあり、それにより『血の通った興味、関心』を持ち得る範囲もまた幾分変化するのではないかと思われます。

そしてまた、世界で生じている、さまざまな出来事の報道などを見聞きしますと、その地域、国の人々が持ち得る『血の通った興味、関心を持ち得る範囲』といったものの一面が理解することが出来るのではないかとも思われます・・。

また、そうした考えとはベルクソンが述べた『閉じた、開いた社会』とも多少関係があるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、このベルクソンの考えによる『開いた社会』は、あくまでも理想であり、現実にそのような社会とは、これまでに存在しないと云えます。

しかし、ここで重要なことは、そうした理想を広く社会にて『持つか、持たないか』であると考えます。

さらに、こうしたことは特に我が国をも含む世界の近現代史を考える上で示唆するものが大きいのではないでしょうか?

現在、世界各国にて排外的、求心、凝集的な動きが活性化していますが、こうした動きは20世紀以降の歴史を見ても周期的に生じていることであり、そして、そうした動きに乗る、便乗することは、一見安全策と見えて実は大変危険なことではないかとも思われるのです・・。

また、そうした動きに乗らずに(創造的に)乗り切りためには、先ほどのベルクソンが述べたような理想を『考え』として持つことが大事ではないかと思われるのです。

我が国が経験したさきの大戦においては大東亜共栄圏という理想がありましたが、それは実践の段階において、まさしく現実とのさまざまなギャップに苦しみ、またそこから野狐禅的に各々組織の自己利益が正当化され、後に敗戦によって、それは全て悪いものとされました・・。

とはいえ、その野狐禅的性質とは、現実において自身も含め、我が国の経済活動の実質的な指導原理となっているのではないかと思われることがあります・・(苦笑)。
(案外この歴史も古いのかもしれない・・。)

ともかく、こうしたことを考えてみますと、問題は『理想』の社会での浸透以前の、社会における内発的、能動的に考える姿勢の欠如、未発達であるように思われます・・。

これはおそらく教育が大きく関与していると思われるのですが、この点について、当然ではありますが、我が国とは、他の欧米を中心とした先進国と比べ、その基盤、背景となる歴史、文化が大きく異なると云えます。

しかし一方、具体的にそれは歴史、社会学者の多くが述べるような『圧制による負の遺産』ばかりでもないようにも思われるのです・・。

何れにせよ、こうしたことはもう少し考え続けなければならないのでしょう・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。







2017年2月5日日曜日

20170204 どの程度の深さからの反応であるのか・・

昨日の記事投稿によって総投稿記事数が530に到達しました。そして今後はとりあえず今月中あるいは来月初旬までに550記事への到達を目標とします・・。

それにしても、これまで作成投稿してきた記事によって少しは何かが変わってきているのでしょうか・・?
まさに暗中模索ではありますが、とりあえずこれも実験と同様、作成し続けませんと分かりませんので継続しようと思います・・(笑)。

さて、昨日の投稿記事に書いた『観念的』についてですが、哲学あるいは思想などを扱う文系諸学問は実験を伴う理系諸学問と比較した場合、相対的に観念的であるといえます(当然ではありますが・・)。

また、これはあくまでも私見ではありますが、特に哲学、思想などを扱う文系学問の場合、その当初から明らかにセンスの有無がかなり重要な意味を持つと考えます。

それ故、大多数の方々は、こうした学問にどこかで接したとしても特に情熱を持つに至らず、通り過ぎて行くのではないかと思われます・・。

そして、これもまた私見ではありますが、この哲学、思想などを扱う学問のセンスとは、運動神経のように『少なくともあっても損はない』といった種類のものではなく、むしろ、そのセンスがあった方が変に悩み、そして疎外されることもまた多いのではないかと思われます・・(笑)。

また、自身はそのセンスが優れているとは考えません・・。

しかし一方、そうした学問がかねてより『好き』であり、また、そうした学問およびそうした雰囲気、環境に身を置いた経験はある程度ありますので、少なくとも他者からそうしたハナシを聞いた場合、どういった反応が適切であるかは感覚的に分かるのではないかとも考えます・・。

もとより、これはセンスではなく『慣れ』に分類されるものではありますが・・(笑)。

さて、現在書店に行きますと、昨今よりの古典、教養ブームが継続しているようであり、さまざまな関連書籍が出版され、中には大変面白そうな著作も少なからずありますが、それでも、それらの大半とは『当てを狙いに行っているのではなかろうか?』と思わせるものであり、さらにはテレビにて大々的に取り上げ宣伝している著作もあり、そうした異種連携の手腕には感心しますが、おそらく書籍とは本質的に食物と同様『本人がそれを食べたい、読みたいから食べる、読む』わけであり、そうした誘導戦術らしきものとは『どうも違うのでは・・?』と考えてしまうのです・・(苦笑)。

あるいはまた、そうしたものが時代精神を形成させる何かの力(凝集力)の要素ではあるのかもしれませんが・・。

しかしながら、ここで思うことは、そうした何処からのものであれ刺激に対する反応が、一体我々のどの程度の深さから生じている、発せられているのか?ということです・・。

このことは此処首都圏において特に強く感じ、考えさせられます・・。

また、おそらくそれは欧米諸国が我が国に対して古くから感じていることではないかとも思われます・・。

そして、そうした彼等の興味、関心に基づく実験が、我が国を何かの題材として扱ったさまざまな映画、書籍等が我が国において如何なる反応を示すか?ではないかとも考えられます・・(笑)。

先日公開された遠藤周作原作の映画「沈黙」とは、それが原作に忠実であるならば、現在の我が国において『反日』と認識されても仕方のない表現、文脈が少なからず見受けられると思われます。

それは数年前に公開されたアメリカ人女優が監督した映画作品「アンブロークン」と同程度に・・。

そして、ここまで書いており不図思い出したことは、以前実験の最中に話していた大学院生との雑談で、彼の出身地を舞台とした有名な小説があり、そのことについて尋ねてみますと、その返事とは、それまでとは変わってあまり浮かない声で
「・・いや、多分あそこに住んでいる人達のほとんどが、その作品の内容なんて実は知らない、気にしていないのだと思います・・。
実際にその作品を読み、内容を知っていたとしたら、それを観光に利用しようとは考えつかないと思うのですが・・。」

これは彼(愛郷心は強い)の考えが未だ若く、現実社会への認識が浅い、甘いのか、あるいは彼の述べる感覚が正しいのかわかりませんが、少なくとも、多少はさきに述べた内容にも関連するのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
おかげさまで530記事に到達しました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。



2017年1月1日日曜日

20170101 昨日の続き「人間力」「つじつま」について・・

本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。

また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。


昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。


しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性・性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるように思われます。


このことを異言しますと、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。


また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。


おそらく、この維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?


そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。


そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。


「ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?


そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。


しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。


そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。


とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。

そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。

また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。


とはいえ、これもまた煎じ詰めますと、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。



さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

2016年10月23日日曜日

20161023 もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法

昨日投稿の「輪読会」についての記事は投稿翌日のわりには多くの方々に閲覧して頂いた。これを興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さて、本日はそれとはまた別にお世話になった師匠について記そうと思います。
この師匠との出会いは大学3年生の頃であり、その頃の私は体育会運動部に属しながら、一方において様々な書籍を無軌道に読んでいた。
こうしたことは部活内ではあまり知られず、評価もされず(当たり前ではあるが)そうした行動を知っている部員の方々は殆どいなかった。
それ故、当時の私の無軌道な読書を知っていた感づいていたのは、主に部活動以外での知人であった。
そうした知人の一人に誘われ、新しく着任してきたという教員(師匠)の研究室に行ってみようということになった。
この教員(師匠)は、それまで海外の大学に長く留学されていたということであり、今回の着任がはじめての就職ということであった。

知人に連れられ、研究室に入ると文系大学教員研究室の類例にもれず大量の和洋の書籍が書棚、机上を問わず置かれており、また、それと同時に、これまた大量の軍艦、戦車、飛行機などのプラモデル、クラシック音楽のCDがいくらか整然と室内各所に置かれていた。

これまでにそうした教員にお目に掛かったことはなかったため、興味を示し置かれてあった一つのプラモデルの飛行機を興味深げに眺めていると、おもむろにこの教員(師匠)が
「君、**君といったっけ、君が見ているその飛行機の名前を知っているかね・・?」と尋ねてきた。

その話口調はいくらか甲高く、明瞭ではあるが多少早口気味であった。

それ故、再度その飛行機のプラモデルをよく見ると、その塗装は典型的な第二次世界大戦欧州戦線におけるイギリス空軍のそれであったことによりホーカー・ハリケーンあるいはスーパーマリン・スピット・ファイアではないかと思われた。

しかし、その主翼の形状、胴体下部の特徴的な丸みを帯びた張り出しから、それは同時代のアメリカ軍の機体P51ムスタングであることが分かった。

それ故、この旨を質問の主(師匠)に返答すると、満足気に頷き、この珍しい塗装が為された機体の来歴を第二次世界大戦開戦当時の兵器開発事情、国際情勢から説明され、結びのコトバとして「こうした一つの兵器からもまた、当時の国際情勢あるいは近現代史の一幕を理解することが出来るのです。」といったことを述べられた。

そのハナシは大変興味深く、また私としては、この教員(師匠)が一応満足して頂く程度の返答をすることが出来たことに大変満足し、そのためか、その後、折を見てはこの教員の研究室に足を運ぶようになった。

また、時代が良かったのか、当時はこうしたことも大目に見られていたようであり、師匠が講義に出ている間、私が研究室で読書をしているということも度々あった・・。

そして、部活も引退する時期になると、この傾向は一段と強くなり、ついには大学院に進学し、さらに欧米の文化、歴史について勉強、研究してみようと考えるに至った。

また、幸運なことに、当ブログにて何度か取り上げているように、ごく親しい親戚の一人(これもまた師匠)が文系学問分野にて大学教員の職に就いていたことから、この願望を打ち明けたところ「それはいい考えであると思うけれども、とりあえず何年か社会に出て働いてみて、それでも大学院に行きたければ、その時に行けば良いと思うよ。」と云われ「なるほど、そういうものか。」と納得し就職活動を行い企業に就職した次第である。

しかしながら、この影響とは、その後も尾を引き生き続けたようであり結果として5年間企業にて働いた後、大学院に進学することとなった・・。

とはいえ、この間に生じた大きな変化とは、専攻研究分野に関してである。

そのことについては、以前ブログ記事にて記したが、次の機会に改めて記そうと思う。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念いたします。

2016年9月29日木曜日

20160929 昨日投稿のブログ記事に関連して・・主に書籍からの抜粋引用

昨日投稿した記事(主に書籍からの抜粋引用)と関連しているのではないかと思われる記述を以下に示します。
そして、ここまで記していて、昨日の抜粋引用部の著者である丸山眞男と本日のそれの著者である橋川文三とは師弟関係であるこが想起され、これは必然であるのかもしれませんが、なかなか面白く思われました・・(笑)。
さて、以下、抜粋引用部です。

岩波書店刊 橋川文三著 中島岳志編 「橋川文三セレクション」pp.2ー5より抜粋引用 

『われわれ日本人の生活意識もしくは文化形成契機として、「歴史意識」とよばれるものの作用はむしろ希薄であるというのが「通説」のようになっている。そのことは、卑近な日常の思考・行動様式においても、理論形成の内面的契機の問題としても、あるいは芸術的な様式活動の領域においても、同様に指摘しうるものとされている(たとえば上原専禄・加藤周一の対談「歴史感覚・歴史意識と歴史学」を参照―「思想」昭和三十二年五月号)。しばしば一種の通俗的な文化類型学的思想として、日本人の意識形態を古代ギリシャ人のそれに類推することが行われるが、その場合にも、芸術的感性の優越ということとならべて、「歴史」に対する無感覚ということが共通性の一つとされるのが普通である。ともあれ、「歴史意識」の欠如を説き、それを「持たなばならぬ」とするたぐいの発現は、われわれがしばしば耳にするところでもあり、そこにはさまざまな政治的評価もからんで、複雑な思想問題があらわれている。しかし、他方、「日本人は歴史観の上に生きることの強い国民である」(折口信夫「民俗学」-「歴史教育」昭和七年十一月、臨時増刊号)というような発言も、ごく当然のこととしてうけいれられるような状態があることも否定できないであろう。とくに戦前の教育をうけた世代にとっては、その内容がいかなる意味をもったにせよ、「歴史」からはなれて、思考や行動の意味をとらえるということはなかったともいえるのである。(そのもっとも極端な例をいえば、「八紘一宇」といった古代的イデオロギーが、少なくともたてまえとして、国民の行動原理として機能しえたのは、つい昨日のことである。)ここには明らかに概念規定における矛盾ないし困難がある。
日本人に「歴史意識」が薄いというのが真理であるならば、他方で歴史観における強さをいうことは虚偽でなければならない。(あらかじめいえば、私はそのとおりだと考える。)

そして、私は、折口のいう意味での歴史観を、コリングウッドにならって、擬歴史意識(Quasi-history)として区別することにしたい。

それなら、いわゆる「歴史意識」とは何か、このことを、予備的に検討しておくことがやはり必要であろう。まず明らかなことは、それは歴史という学問のことでもなく、歴史の知識ということでもないということである。
わが国においてもっともさかんな学問の一つが「歴史学」であることはこれまた「通説」であるから、そこに「歴史意識」が欠如しているということはありえないことになる。
また、当然のことながら、それはあくまで「意識」のことであって「歴史過程」そのものではない。
どこの国、いつの時代にも、それが存在したことは明らかである。三木清の用語にしたがえば、学問としての歴史は「ロゴスとしての歴史」、即自的な歴史過程は「存在としての歴史」ということになるが(「歴史哲学」参照、「歴史意識」はそのいずれのことでもない。
 それは「歴史感覚」というか、あるいは歴史経験というか、直接感じ方の問題として、現象の背後にある歴史的厚みを感じる実感」「その実感があるから、物事の歴史的発展が論理的にとらえられ・・・専門化して歴史学にもなる」(加藤周一、前掲対談)という、そういう性質のものにほかならない。つまりそれは「歴史学」はもとより、「歴史的認識」「歴史的思考」「歴史的態度」「歴史的立場」等々とよばれるすべてのものの根底にあって、それらと関連しながらも、基本的にはそれらと異なる『一種の精神的能力』のことである。それは、あたかも感性のアプリオリな諸形式が、人間認識の前提として与えられているのと同じように、意識に内在する、ある基本的な様式として考えられるものであろう。
したがって、心理的実質に即していえば、それは「感覚」のある作用とも考えることができる。たとえば、マイネッケがその著作の一つにVom geschichtlichen Sinn und vom sinn der Geschichte(「歴史感覚と歴史の意味について」―邦訳名「歴史主義の立場」)と題した場合などは、そこにいわれる「歴史感覚」は「歴史の意味(ジン)を感覚しうる精神作用のことであり、そのまま「歴史意識」と同じ意味で用いられたものである。それなら、本来の「歴史意識」とは何か?われわれはここで、端的にトレルチュが、それに与えた美しい規定を見ることにしよう。「・・・そういう気持(歴史的関心」もしくは歴史意識―引用者)は、人類の歴史的生活を出来る限り広く観察しようとする気持ちであり、またなんら一定の実践的目的を立てることなしに、ただ、人間存在の豊富・充溢・活発さを眺めて感激するような気持であるのです。この多種多様なる歴史的世界に現れて居るもの、またその多種多様な姿を現すことによって歴史的世界を観察する人の心に神の如き広さと大きさを注ぎ込んでくれるもの、それは尽くる所なき神の生命であり、働きである、という風に私共には見えるのです。」(歴史主義とその克服」邦訳一〇四頁)

マイネッケが歴史主義の根底にある歴史的感覚(=歴史意識)について「この新しい感覚のもっとも生命ある根元」は『人間および人間の形成物における個性的なものへの帰依』であると表現した場合にも、およそ「歴史意識」についていだかれている観念は、ほぼ同様といえるであろう。つまり、そこに共通していわれていることは、マイネッケがその名著「歴史主義の成立」の巻頭に掲げたゲーテの言葉に示されるあの個体的なるもの(Individuum est ineffabile―個体的なるものは語りつくせぬ)への意識、それが歴史意識であり、歴史主義の母胎だということである。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年8月15日月曜日

20160815 主に書籍からの抜粋 立国の根本とは・・【書籍からの抜粋あり】『忠誠と反逆』より

本日2016年8月15日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。
こうし環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、何かしら記しはじめた次第です。
さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。
また特に本日8月15日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


この著作表題となっている「忠誠と反逆」とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。
では、その一節を下に示します。


PP.55-58
「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。


この立地点が、後年、勝海舟と榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


「丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろう―これが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
「葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した。

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」

・・さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?


今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。


正調 田原坂

2015年10月5日月曜日

20150710 スセンジ・ウスキについて・・

20150707にて述べた騎射場、喜舎場の関係と類似した事例として現在の山口県山口市に存在した鋳銭司村(すせんじ)と福岡県福岡市西区の周船寺(すせんじ)が挙げられる。


これは古代の貨幣製造を行う役所の名称であり、双方にかつてそれが存在したということから同一起源であると考えられる。

一方、後者(周船寺)付近に在住時、その地名(周船寺)の由来を聞いたところ、元々周船寺とは糸島半島の東側の付け根にあたり、そこを基点として船で糸島半島を周り西の唐津側に抜けるか、あるいはその地峡に近い立地により運河あるいは陸路を用いて西側に抜けるかを選択する交通の要衝であったことによるという。


これまでに九州の島々における類似の事例を聞いたことがあり、世界的に見てもバイキングが似たような事(船を陸路でコロを用いて近くの海、河川へ移動する。)をしている絵画を以前何処かで見た記憶があることから納得できる。
しかし最後の「寺」となると豪徳寺、祐天寺などの様に同名の寺がこの地に存在しないこと、またその痕跡がない事から、おそらく鋳銭司、周船寺(すせんじ)とは前述の「古代の貨幣製造を行う役所」が起源ではないかと考えられる。
さらに類似の別事例として大分県の臼杵(うすき)市、宮崎県北部にかつて存在した臼杵(うすき)郡、鹿児島県鹿児島市の宇宿(うすき)、鹿児島県奄美市(奄美大島)の宇宿(うしゅく)が挙げられる。
かつて鹿児島県鹿児島市の宇宿周辺に在住の折、親戚が愛媛県松山市に在住しており、所用にて北部九州、山陽方面に行くと、ここに立ち寄った。そこからの帰路はJR予讃線にて松山から八幡浜に行き、そこからフェリーに乗り、右手に発電用の大きな風車の立ち並ぶ佐田岬半島を眺め豊後水道、豊予海峡を渡り臼杵港に着き、そこから徒歩にてJR臼杵駅まで行き、日豊本線にて南下し、指宿枕崎線の宇宿駅に帰着下車するといった具合である。
JR臼杵駅で切符購入の際、「宇宿(うすき)まで一枚」と伝えたら当初怪訝な顔をされたので「指宿枕崎線の宇宿まで一枚」と云い直した。
ちなみに大分県の臼杵はかつて大友氏の下で繁栄し、戦国末期には宣教師のフランシスコ・ザビエルも訪れ布教したという。
その一方において臼杵は仏教遺跡の磨崖仏でも有名である。
ちなみに磨崖仏は鹿児島においても南九州市の川辺、鹿児島市の慈眼寺などでその存在が知られている。
鹿児島における磨崖仏の起源を考えると、古来、大隅、薩摩地域は豊の国(現在の大分)からの移民が多く、これら磨崖仏もその多くは彼等、豊の国(現在の大分)からの移民集団あるいはその末裔によって製作されたものではないかと考えられる。
さらに豊の国(現在の大分)の磨崖仏の起源を考えると、我が国における磨崖仏にて有名な地域の多くは古来渡来人が多く移住した場所であったことから、朝鮮半島、そしてその作風の特徴から大隅、薩摩、豊の国のものに限定すると、半島南東部の旧新羅の地域ではないかと考えるが、これは実際に調査を行ったわけではない。