それにしても、これまで作成投稿してきた記事によって少しは何かが変わってきているのでしょうか・・?
まさに暗中模索ではありますが、とりあえずこれも実験と同様、作成し続けませんと分かりませんので継続しようと思います・・(笑)。
さて、昨日の投稿記事に書いた『観念的』についてですが、哲学あるいは思想などを扱う文系諸学問は実験を伴う理系諸学問と比較した場合、相対的に観念的であるといえます(当然ではありますが・・)。
また、これはあくまでも私見ではありますが、特に哲学、思想などを扱う文系学問の場合、その当初から明らかにセンスの有無がかなり重要な意味を持つと考えます。
それ故、大多数の方々は、こうした学問にどこかで接したとしても特に情熱を持つに至らず、通り過ぎて行くのではないかと思われます・・。
そして、これもまた私見ではありますが、この哲学、思想などを扱う学問のセンスとは、運動神経のように『少なくともあっても損はない』といった種類のものではなく、むしろ、そのセンスがあった方が変に悩み、そして疎外されることもまた多いのではないかと思われます・・(笑)。
また、自身はそのセンスが優れているとは考えません・・。
しかし一方、そうした学問がかねてより『好き』であり、また、そうした学問およびそうした雰囲気、環境に身を置いた経験はある程度ありますので、少なくとも他者からそうしたハナシを聞いた場合、どういった反応が適切であるかは感覚的に分かるのではないかとも考えます・・。
もとより、これはセンスではなく『慣れ』に分類されるものではありますが・・(笑)。
さて、現在書店に行きますと、昨今よりの古典、教養ブームが継続しているようであり、さまざまな関連書籍が出版され、中には大変面白そうな著作も少なからずありますが、それでも、それらの大半とは『当てを狙いに行っているのではなかろうか?』と思わせるものであり、さらにはテレビにて大々的に取り上げ宣伝している著作もあり、そうした異種連携の手腕には感心しますが、おそらく書籍とは本質的に食物と同様『本人がそれを食べたい、読みたいから食べる、読む』わけであり、そうした誘導戦術らしきものとは『どうも違うのでは・・?』と考えてしまうのです・・(苦笑)。
あるいはまた、そうしたものが時代精神を形成させる何かの力(凝集力)の要素ではあるのかもしれませんが・・。
しかしながら、ここで思うことは、そうした何処からのものであれ刺激に対する反応が、一体我々のどの程度の深さから生じている、発せられているのか?ということです・・。
このことは此処首都圏において特に強く感じ、考えさせられます・・。
また、おそらくそれは欧米諸国が我が国に対して古くから感じていることではないかとも思われます・・。
そして、そうした彼等の興味、関心に基づく実験が、我が国を何かの題材として扱ったさまざまな映画、書籍等が我が国において如何なる反応を示すか?ではないかとも考えられます・・(笑)。
先日公開された遠藤周作原作の映画「沈黙」とは、それが原作に忠実であるならば、現在の我が国において『反日』と認識されても仕方のない表現、文脈が少なからず見受けられると思われます。
それは数年前に公開されたアメリカ人女優が監督した映画作品「アンブロークン」と同程度に・・。
そして、ここまで書いており不図思い出したことは、以前実験の最中に話していた大学院生との雑談で、彼の出身地を舞台とした有名な小説があり、そのことについて尋ねてみますと、その返事とは、それまでとは変わってあまり浮かない声で
「・・いや、多分あそこに住んでいる人達のほとんどが、その作品の内容なんて実は知らない、気にしていないのだと思います・・。
実際にその作品を読み、内容を知っていたとしたら、それを観光に利用しようとは考えつかないと思うのですが・・。」
これは彼(愛郷心は強い)の考えが未だ若く、現実社会への認識が浅い、甘いのか、あるいは彼の述べる感覚が正しいのかわかりませんが、少なくとも、多少はさきに述べた内容にも関連するのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
おかげさまで530記事に到達しました。
昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。
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