昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
また、同時にその後の反応として読まれている記事をいくつか見ますと「ご名答!」といった反応が適当ではないかと思われます・・(笑)。
その一方、自身の作成した記事がこの程度まで深く、真剣?に読まれていることに対して、あらためて身の引き締まる思いがします・・。
また、こうした反応を認めることが出来なければ、ブログ記事の作成とは、現在まで継続することができませんでした。
それ故、今後も時折は面白いと思われる記事を書けるように心掛けます・・(笑)。
とはいえ、ある程度までブログ記事を書いておりますと、自身でも記事として書く内容の傾向が限られていることに否応なく気が付かされるのです・・(苦笑)。
これは自身でも「どうにかならないものであろうか?」と時折思うのですが、同時に、具体的にどのような変化、試行を試みれば効果的であるか分からないため、今回もまたいつもの調子にて、とりあえず記事作成を行っている次第ともいえます・・(苦笑)。
あるいは、こうしたことも記事作成を継続していくうちに「ハッと!」妙案がひらめくことがあるのでしょうか・・(笑)?
ともあれ、何れにせよ記事作成を継続することが大前提であると思いますので、今後もあまり過大な期待を抱かず、とりあえず600記事程度までは書いてみようと思います・・(笑)。
さて、そこまで書いて不図、竹山道雄のある文章を思い起こしましたので下に示します。
講談社刊 竹山道雄著 「昭和の精神史」pp.206-207より抜粋引用
「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」
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