2022年6月3日金曜日

20220603 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.148‐150より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.148‐150より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

福田 僕は教育問題のほうが先だと思う。

三島 僕もそう思うね。教育問題はいま一番根本的な問題かもしれない。

福田 僕は、さっきのあなたの比喩を使えば、現状肯定の現実主義というものを疑問に思うのはね、いわゆる抽象論になるけど、ほんとうの意味の現実主義というものは現状肯定ですむはずがない、理想追求というものを人間の本能の一面として認めなきゃならないんだよ、ほんとうの意味の現実主義なら。

三島 そうなんだ。

福田 理想主義というのは、決して現実を遊離したもんじゃなくてね、人間性の現実なんだ。理想を持ち、それに殉じて死ぬということが本能なんだ。それをあたかも生命欲だけが本能であって、それに殉じて死ぬということが本能に反するものだと思ったら大間違いで、これも本能なんだ。少なくとも人間だけが持っている本能だ。

三島 それは全く同感だな。

福田 だから、現状肯定、現状維持の現実主義者というものも、実は一種の観念論なんだよ。

三島 そうなんだ。

福田 英語だったら理想主義というのも、観念論というのも、同じアイデアリズムという言葉で、その間の事情がよくわかる。その英語でいえば、アイデアリスティック・リアリズムというやつが、現状肯定の現実主義なんだ。現実主義ですべて解決できると信じられている理想主義といってもいい。そうなると、人間の現実はこうなんだと思い込んでしまう。人間の現実は現実主義的だと思い込んでしまう。これは大間違いで、人間の現実は、やっぱり理想主義的でもある。そういう意味で、いまの憲法をそのままにしておいて、自衛隊をつくっても合憲、何をしても合憲、核兵器を持っても合憲というようなことをやっていくのは、縄抜けではなくて籠抜けになってしまうんだが、これはある意味で言うと日本的なんだ。問題はこの日本的であることの弱点と長所です。ある面では、日本的であるということは長所でもあるんだけれども、弱点でもある場合もあってね。「当用憲法論」のときにも言ったんだけれど、そこから偽善が生まれるんだな。現状のままで自衛隊合憲説を唱えていると、はじめのうちは嘘と意識していても、そのうちにほんとうにそんな気になってしまう。理想はやっぱり武装放棄にあると思ったりし始めちゃう。

 こういう道徳的鈍感が恐ろしいんだが、その偽善を正当化する最後の拠点があの憲法から出ていると思うんだ。革新派だって、あんなものは信じてはないからね。その点はかれらも偽善者さ。すべての偽善の発生は、敗戦のときから始まった。憲法もその一つ。それから原爆反対運動もそうなんだ。日本人だって原爆つくりたかったんだ。先にやられちゃっただけだよ(笑)。

 それを日本は、まるで良心的であったかのように、ヒューマニストであったかのように、世界唯一の被爆国だ、なんて妙なことを自慢の種にしはじめる。戦争中と同様、米英鬼畜とくる。僕は、そういう偽善を何とか直さなきゃいかんと思うんだ。日本人の道徳観を。だから、教育が一番大事なんですよ。その教育が効果があがってくれば新憲法放棄が別に後進国特有のファナティックなナショナリズムにもミリタリズムにもならずにすむと思う。それしか僕は考えられないんだ。教育ということしか。

20220602 Penguin Modern Classics刊 George-Orwell著 「Down and Out in Paris and London」 pp.21‐22より抜粋

Penguin Modern Classics刊 George-Orwell著
「Down and Out in Paris and London」

pp.21‐22より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 9780141184388
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0141184388

I must say something about Boris, for he was a curious character and my close friend for a long time. He was a big, soldierly man of about thirty-five, and had been good-looking, but since his illness he had grown immensely fat from lying in bed. Like most Russian refugees, he had an adventurous life. His parents, killed in the Revolution, had been rich people, and he had served through the war in the Second Siberian Rifles, which, according to him, was the best regiment in the Russian Army. After the war he had first worked in a brush factory, then as a porter at Les Halles, then had become a dishwasher, and had finally worked his way up to be a waiter. When he fell ill he was at the Hotel Scribe, and taking a hundred francs a day in tips. His ambition was to become a maître d'hôtel, save fifty thousand francs, and set up a small, select restaurant on the Right Bank.

Boris always talked of the war as the happiest time of his life. War and soldiering were his passion; he had read innumerable books of strategy and military history, and could tell you all about the theories of Napoleon, kutuzof, Clausewitz, Moltke and Foch. Anything to do with soldiers pleased him. His favorite cafe was the Closerie des Lilas in Montparnasse, simply because the statue of Marshal Ney stands outside it. Later on, Boris and I sometimes went to the Rue du Commerce together. If we went by Metro, Boris always got out at Cambronne station instead of Commerce, though Commerce was nearer; he liked the association with General Cambronne, who was called on to surrender at waterloo, and answered simply, `Merde!`

The only things left to Boris by the Revolution were his medals and some photographs of his old regiment; he had kept these when everything else went to the pawnshop.