2016年9月8日木曜日

20160908 このような天気の日には・・

A「本日首都圏は雨が降ったり止んだりを繰り返し、なんとも落ち着かない、よく分からない天気でした・・。
また、それと同時に気温は普通に上昇したため、やけに蒸し暑く感じました・・。

こうした天気、気温の日は何ともいえず疲れます・・。

とはいうものの、本日も何かしらブログ記事は作成しようと思い、記しはじめた次第です・・。

また、400記事の投稿から既に10記事以上記しており、この調子にて投稿し続けますと、案外近いうち(10月半ば過ぎ頃)に450記事まで到達してしまうのではないかとも思います・・(笑)。

また、このように書いておりますと、不思議なことに450あるいは500記事もそこまで大きな数字、目標(年内中?)であるとは思えなくなってきます・・(笑)。

とはいえ、それを構成するものは、ほぼ毎日呻吟しつつ記し続けている一つ一つのブログ記事であるのです・・(苦笑)。

こうしたことを考えてみますと、少なくとも私とは、ほぼ無意識ながら、そうしたこと(全体と個別)を判断する基準といったものを複数持っているのかもしれません・・。

しかし、それらの判断基準を適宜、場面に応じて用いているかと考えてみますと、それは大変難しい問題であると思います・・。

また、上に記したように、自身の内心、内面に対し疑問を呈する(自身の(ほぼ)無意識を意識の対象とする)ようになりますと、何だか心身が疲れてくるのではないかと思われます・・(苦笑)。

しかし、これは若い頃には、ある程度、深く味わっておいた方が良い感覚ではないかとも思われます。

その意味において、私はあくまでも全面的に反対するわけではありませんが、成年がマンガ(のみ)を読んだり、スマホのゲームに興じたりする傾向とは、あまり良いものではなく、そうした意識の集中の仕方により彼ら、彼女等から何か大切な感覚を奪い取られているような感じを受けます・・。

また、それと多少関連すると思われるため記しますと、先日、不図観ていたテレビ番組にて、出演していた芸能人が、ある現象について解説をしていた研究者に向い「その現象をマンガにして説明しなさい」といった意味のことを述べているのを観て少し眉をひそめました・・。

こうした現代の社会とは、かつてに比べ、その精神あるいは、その基盤となる感情が多少なりとも劣化しているのではないかと考えさせられます・・。

そして、こうしたことを考えてみますと、社会一般において、何らかの宗教といった非合理的側面を良しとする側面を持つ考えが存在しないと、こうした傾向とは、是正されることなく、強化される一方であるのかもしれません・・。

しかしながら、我が国においては古くからの社会に根差した宗教、観念的基盤といったものが存在せず、現世的価値観のみを重視する極めて此岸的な社会であることから、こうした主張とは、結局のところ「空気を読まない意見」、「引かれ者の小唄」といった評価が為されるのが妥当であるものと考えます・・(苦笑)。

本日のようなよく分からない天候の日には、上のようなつまらない考えが出てくるようです(笑)。

とはいえ、本日もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の今後の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして復興を祈念いたします。」