「音楽と生活」pp.153-157より抜粋
ISBN-10 : 400331901XISBN-13 : 978-4003319017
ニッポンの流行唄はニッポン語で唄われる。ニッポン語の性質からひどく離れたものは私共になつかしみを感じさせにくい。例えば世界的に有名な流行唄「暗い日曜日」は私が確に一番美しい、一番おもしろいと思った曲の一つである。私はあの曲に気品さえ感じる。しかしそれをニッポン語で唄うと何となくおかしい。不自然である。フランス語で聞く美しさの半分以上はなくなる。やはりニッポンの流行唄はニッポンの言葉にあったニッポンのふしでなくては本当には成立しない。この事実が学校唱歌だの国民歌謡だのいうような西洋音楽の組織を基礎にした曲が、心底から私共大衆の感情になずまない理由の一つであろうと思う。
ここで話が非常に面倒になる。一体何がニッポンのふしであるか?一体ニッポンのふしというような特別なものが存在するか?-それが話の中心になる。
私はまず第一に声の質の事を考える。それに何かニッポン風なものがありはしないだろうか。そしてそれが私共にニッポン風な流行唄に、特に親しみを感じさせるのではあるまいか。殊に女の声はそうではないだろうか。今まで正式に西洋風な発声法を練習した女の唄で一世を風靡したというような例は割合に少ない。それよりも芸者の唄の方が段違いに一般から選ばれた。私もあのような声は一種の綺麗さをもっていると思う。表情は乏しいし、力がないし、音域が狭いが、しかし綺麗で、そして何よりもいい事は、唄の文句がよくわかる。発音が十分にニッポン語に適している。あれを正式のアルトやゾプラン風にやったとしたら、文句の意味はあれほど明瞭にわかるまい。国民歌謡を本当に流行させる必要があるならば、今はやりの「ああそれなのに」を唄った芸者に唄ってもらうのは確に一つの方法である。
私はこのような発音や唄い方の相違が、実際音波の上にどんな形になってあらわれているかを顕微鏡で見ようとした。しかし今私共はここでその数字やグラフを振回そうというのではない。またこのような事は現象が非常に複雑で、一朝一夕には真相はわからない。ただ私が今までおぼろげに知った事の一つはこうである。―西洋の発声法は咽喉を一種の楽器にする事である。性質がよほど楽器の音に似ている。ニッポンの唄は結局ニッポン語の朗読や談話の一種である。普通の話の声に近い。
流行唄の文句は都会の若い生活の裏面をよく面白く歌っている。文句がなかなか巧みである。「怒るのがあたりまえでしょうが」だとか「×××素肌のはずかしさ」だとか、とにかく何となく人の気持に訴えるように、うまく出来ている。正に小唄を唄うのに適している。文句がよくわかることは絶対に必要である。ニッポンの流行唄が何も知らない芸者たちにニッポン語らしく唄われることには、十分意味があると私は思う。
しかしまだ一つ難題が残っている。-ではニッポン風のふしというものがあるのか?もちろん、ただふしだけを取るならば、ニッポン風のふしというものがあるにきまっている。長唄のふし、清元のふし、謡曲のふし、ニッポン各地の民謡のふしというようなものである。そのようなものは西洋のどこにもないから、いうまでもなくニッポン特有のものである。今私共の問題は、それが何かの必然性を持つかどうかということである。つまりそのようなふしの根底は、ニッポン語そのものの性質のなかになって、ニッポンのふしとニッポン語とは、必然的に離れられない関係にあるかどうか、というのである。
これは私の口癖でなく、実際難問である。それを考えるためには、まだまだ沢山の実験と沢山の観察とがいる。
私はこれまでニッポンの言葉やニッポン語の文句を読んだ場合や、あるいは唄った場合をフィルムに記録した。そしてそれを高さだけについて測定して、いろいろのグラフをかいてみた。そしてニッポン語とニッポンの唄との何か離れられない関係があるかどうかを考えようとした。もちろんこのような実験は、そう急にはまとまらない。今私はそれについて何も断案を下すことは出来ない。ただこれまでに私はおぼろげに知った事は、前にニッポン風な唄の声の質について述べた事と非常によく一致している。それは次のような事である。-ニッポンのふしはニッポンの唄の文句を読んだ場合と性質がよく似ている。ニッポンのふしはニッポンの唄の文句の朗読の一種である。しかし西洋音楽による唄では、文句を読む時の語調Sprach-melodieは相当無視される。そしてふしはほとんど楽器と同じような約束で動く。この系統は別々な音楽の系統である。
この事は私共の常識ともよく一致する。今までに大喝采を博した唄い手には多くの芸者があった。それには物珍しさも手伝ったであろうが、唄い方にも何か大いに人の心に訴える処があったであろう。しかし彼らは音階の練習どころでなく、「ド」と「レ」とどちらが高いか低いかどころでなく、初めからド・レ・ミという言葉さえも聞いた事はあるまい。本格的な音楽には全然素人であった。それであれほどの大成功をかち得ている。また作曲者にしても、和声学教科書の例題をピアノで弾かせたら、どれほど正確に弾ける自信があるか怪しいものだそうである。しかし彼らはそれで一世を動かす名流行唄を作っている。これを見ても本格的な音楽的訓練と流行唄とは相当物が違っている事がわかる。
また私共が流行唄のレコードをかけて発売の楽譜を見ながら、その芸者の唄った声の通りをピアノで弾くとする。ピアノはレコードのふしと似るには似るが、しかし完全には一致しない。ただ似るというだけの事である。声そのものの高さにも、ふしの唄い方にも西洋の楽器では出来ない処がある。楽譜もそこまでは書く事が出来ない。レコードの中のふしを楽器でやる一節のあるものなら、その楽器の部分と声の部分とを比べて見てもすぐわかる。西洋の音楽や楽器の系統とニッポン人の唄のふしとは、物理的な約束の違う処がある。似てはいるが、一致しない。そこへ西洋音楽の長短の音階の構造などを不用意に持ち出して来ても、それは少々お門が違う。ニッポン人の唄はニッポン語の語調を基礎として、もう一度その性質を考えて見なくてはならないものである。私共一般の流行唄を好む大衆は、このニッポン風なものの方に親しみを感じている。
それはニッポン語の唄として誠に当然な事である。そして西洋の系統の音楽を聞く時には、その時にはまた、そのような気持で聞く。それが本格的な、大仕掛けなものになれば、「冬の旅」の演奏になり、ちょっとした模倣ということになれば、学校唱歌だの国民歌謡だのいうようなものになる。その時には私共はニッポン語が明らかに西洋音楽の約束に従って鋳直されたものであるという感じを受ける。