一方、昨今は、これまた当ブログにて述べてきたことではありますがChatGPTを援用したブログ記事の作成も行っています。とはいえ、この手法はいまだ確立されてはおらず、コンスタントに作成出来るわけではありません。そこから「下書き」ばかりが随分と貯まり、現時点で300記事近くあります。また、これらの「下書き」も出来具合はピンキリであり、喩えるならば、鋳造で鋳型から掘り出したばかりのものから、掘り出してからサンドブラストあるいは研磨作業まである程度進んだものまで、といった様相です。
また、以前にChatGPTを援用した文章の作成とは鋳造に似ていると述べましたが、昨今ではその見解は多少変化して、ChatGPTを用い、複数の文章を生成し、それらをさらに統合することで新たな文章を生み出せると知ったことから、いわば鋳造体に熱処理(焼きなまし)を施し、可鍛鋳鉄としてさらに加工を行う工程・手法があることを知ったようなものであると云えます。
ともあれ、上述のように、新たな文章作成の手法を試みているわけですが、これを振り返ってみますと、社会人になってからマイクロソフト社のワードやエクセルを覚え、大学院生になってからパワー・ポイントを覚えた時の感覚に近いようにも思われてきます。しかし、ChatGPTの場合は操作を覚えることがメインではありません。ワードやエクセルを用いる場合、最終的な目的は「既定形式の中で、いかに効率よく情報を処理するか」という点にありました。ところがChatGPTは、その起点そのもの、つまり「何を作るのか」「どのような視座で書くのか」「何を問いとし、何を価値と見なすのか」という形式以前の段階にまで関与してきます。
換言しますと、ChatGPTは道具であると同時に作成者の思考や意図を反映するものであり、さらに、新たな思考を惹起させる対話相手でもあります。それ故、その習熟とは、ある機能を習うというようなものではなく、むしろ、自らの思考の構造そのものを再編成し、言語化(文章化)の仕組みを更新する過程であると云えます。その意味において、ChatGPTは20年以上前に経験したワードやエクセルでの習熟とは異なるものであり、むしろ、読書や対話を通じて思考の層を掘り下げ、新たな概念の枠組みを形成していく過程に近いのではないかと思われるのです。
我々は読書によって著者の意識に触れ、そして文章の背後にある世界認識を追体験しつつ、自らの意識をチューニングしていきます。同様に、ChatGPTとの対話によって内面にある文章をより滑らかに引き出し、具現化させて、それ(ら)を、さらに別の文章と統合させることで、新たな認識へと至る手法を見出そうとしています。それ故、ChatGPTを用いた文章作成とは、単なる技術の習得ではなく、いわば「思考様式の変容」であり、さらに云えば、それは自らの精神の可塑性をどこまで維持できるのかという、ある種マゾヒスティックな鍛錬であるとも云えます…。ある程度年齢を重ねた現在、若い頃のように新たなことを覚えていくことは容易ではありませんが、それでもなお私はこの新たな人工知能(ChatGPT)を通じて、思考の柔軟性を出来るだけ維持しつつ、新たな創造を試みています。そして、この行為自体が、単に文章を生産するための新たな手段というよりも「文章作成により自己の内面を変えてゆく行為」へと変化しているのではないかといった感覚を覚えます。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

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