本日さきほど久しぶりに応募した公募の選考結果が届きました。
結果は不採用ではありましたが、とりあえずは一件目ではありますので、大変残念ではありますが、仕方がないこととあきらめます・・。
今後再び折を見て、こうした公募に応募しようと考えております。
とはいえ、やはりこうした応募結果が届きますと、膝の力がガックリと抜けるものであり、そのことから本日のブログ記事作成は断念しようかとも思いましたが、それでもこの脱力感をいくらかでも和らげるためにもブログ記事作成は有効であるかもしれないと思い立ち、今現在このように記事を作成している次第です・・(苦笑)。
また、実際にこのことを文章にして著しておりますと、多少はこの脱力感の減退に効果的であるようであり、本日に関しては、記事作成開始当初は、いささか覚束なかったキーボード上の両手も、今ではどうにか普通に動いてくれているようです・・(笑)。
さて、世の中にはさまざまな成功、失敗のジンクス、あるいはその一連の流れのパターンといったものがあるようですが、上記のような、まさしく現在の自身に生じていることがらとは、なかなか客観的に理解、判断することが難しいようであり、果たして、そうしたことがら、出来事とは、良い方向に向かっている兆しであるのか、あるいはその逆であるのかとは、一体何時になれば、そして、どのような理解、判断に至るものか、なかなか興味深いところです・・。
しかしいずれにせよ、ここで諦めるのは簡単ではありますが、それは同時に後になり悔恨を残すことになると思われますので、少なくとも、もうしばらくは、現在の仕事を継続しつつ求職活動を頑張ってみようと思います・・。
また、思い返してみますと2010年秋口より指導教員不在の状態となり、そこから2013年の学位取得、そしてその後から現在に至るまでの経緯とは、自身で考えてみても、いくつかの危ない橋を渡ってきたと思う一方、おそらく、なかなか得ることの出来ない経験も多くさせて頂いたのではないかと思われます・・。
そしてまた、それは指導教員がおられる状態にて院修了に至った場合と比べ、幸せであったかどうかとは分かりませんが、一般的に考えれば、そちらの方が幸せかどうかは別として、まともな人生となった蓋然性は(より)高いものと思われますが、しかしそれは現在となり問うても本当に本当に仕方のないことです・・。
もとより、こうした過去の経緯をしっかりと憶えていることは重要ではありますが、しかし、それにより悔恨を増大させることほど無意味なことはないと考えます・・(歴史の価値もまた同様な感じではないかと思われます・・)。
大事なことは今現在自身が目標を持っていること、そして、それを陰日なたにて見てくださっている方々がいるということであると考えます・・。
そして今回に関しても、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。