2016年8月27日土曜日

20160827加筆修正 「20150704古墳造営様式の類似性と様々な文化の移住を示唆するものについて」

和歌山県内の古墳とは、県北西部のほぼ和歌山市全域を含む紀ノ川下流域に集中(県内古墳全体の約7割)していることが、まず第一の特徴として挙げられます。

そして第二の特徴として、これも第一の特徴と関連するのですが、それら古墳のうちの多くが関西、近畿地方においては古墳時代後期以降(概ね6世紀~)を特徴づけるものとされる横穴式石室という造営様式が用いられているということが挙げられます。

以上のことから、和歌山県内における古墳全体の特徴とは、端的に表現しますと、県北西部の紀の川下流域に横穴式石室をその造営様式とする古墳が集中していることであるといえます。

さらに、これら古墳のうちの多くが紀の川南岸の平野から丘陵地に至る地域において集中的に見出されます。
こうした古墳がある特定の地域に集中的に造営されている様式を群集墳といいます。

この群集墳とは、国内各地に数多く見出されますが、紀の川南岸におけるそれは、その数(残存する、確認され得る)においても全国有数であり、また、それを構成する古墳の造営様式においても特色、地域性といったものが見られます。

その造営様式における特色、地域性とは、第一に石室(玄室、羨道)造営に用いられている石材が紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて採掘される板状に加工するのに適した緑泥片岩であり、それを積層し、その石室(玄室、羨道)を造営していることです。

第二に、さきのことと関連しますが、この板状に加工された石材(緑泥片岩)を石室内に懸架させた棚状の構造物(石棚)を持つ古墳が少なからず存在することが挙げられます。

そして第三に、群集墳を構成する各々墳墓とは概して中小規模であり、墳丘径50m超の(ある程度)大規模といえる古墳は、数百ある群集墳を構成する墳墓のうちのほんの一握りであることが挙げられます。

また、さきに記した紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて多く採掘される板状への加工に適した緑泥片岩とは、先行する弥生時代の墳墓における石槨(墓穴の仕切り板)、あるいは銅鐸の舌などとして加工され用いられていたことから、おそらくその時代間(弥生~古墳)に断層ともいえるような住民の大きな変化とは、なかったのではないかと考えられます。

さらに、さきに同様に記した緑泥片岩を舌として用いたとされる銅鐸とは、現在のJR和歌山駅周辺の太田黒田遺跡から出土されたものであり、面白いことにこの銅鐸と同じ鋳型にて作成された四つの銅鐸が、現在国内にて最も多く(39)の銅鐸が出土した島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から出土(1996)しております。

さて、こうしたことは一体何を示唆しているのでしょうか・・。

また今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、
どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の速やかな諸インフラの復旧とその後の復興を祈念しております。


緑泥片岩

20160827 400記事到達・・『嬉戯』としてのブログ記事作成

本日のブログ記事投稿により、全投稿記事数が400に到達します。思えばある程度長い道程ではありましたが、しかし特にこれといった感慨らしきものはありません・・。

ただ「さて、本日分のブログ記事を書くとしようか・・。」といったところです(笑)。

また、その主題、内容は予めカチッと決まっているわけではありませんが、ただ、本日は日中、外に出ており、その際に思ったことを題材に書きはじめようと思っています。

さて、本日仕事にて出向いた御茶ノ水周辺にて工事現場近くを通ったところ、風で砂ぼこりを少し受けてしまい、唇に付着した砂が口腔内に入り、上下顎切歯のわずかな接触の際、砂のその感触を感じました・・。

そして、この時面白いことに鹿児島在住時の夏季に原付を運転している自分を不図そして比較的明瞭に思い起こしました・・(笑)。

こうしたことは自覚して思い起こすよりも先に、そうした感覚が意識上に顕現するものらしいです・・(笑)。

しかし、不思議に思うのは、何故その口腔内で得た砂の感触から思い起こされた記憶が、鹿児島在住時におけるものであると自覚的に判断することが出来たのかということです・・。

また、おそらくこのあたりに虚偽が入っていても、大抵の方々は気づくことが出来ないと思います。

そして、それを良い方にとらえれば一つの創造的な行為と評されるのでしょうが、しかし一方、私見ではありますが、そうしたことを続けていると、より深い意味での創造が出来なくなるのではないかといったある種原始的な恐怖を感じます・・。

またそれは、当ブログ記事初期~中期に多く見られた書籍からの抜粋引用を(ある程度以上)続けてゆくと、それは自身の創造性をも壊死させてしまうのではなかろうか・・?といった怖れともまた類縁関係があるのではないかと考えさせられます・・。

また、現在考えてみますと、そうした怖れにより書籍からの抜粋引用を控え、たとえ稚拙ではあっても、なるべく自身の文章にてブログ記事を記していこうと考えたことは、少なくとも「間違い」ではなかったと考えております・・(笑)。

とはいえ一方、この「稚拙」に関しては、今現在なお、かなり検討、改善の余地があるものと考えております・・(苦笑)。

そして、そのように考えてみますと「文体の獲得」とは、なかなか難しいものであり、おいそれと簡単に出来るものではないということを改めて実感させられます・・。

しかし、そうはいうものの、これまで(ある時期から)出来るだけ自身の文章にてブログ記事を作成し続けたことにより、自身の言明したいことを以前よりかは(より多く)表現することが出来るようになったのではないかとも思われますので、こうしたこと(文体の獲得)とは、漸進的な進化発展により得られる、為される性質のものであるのかもしれません・(笑)。

また、ハナシはさきほどの想起されたこと自体に戻りますと、五感、六感に対するある種の刺激により惹起せられた記憶、想念といったものの(虚偽を含まない)言明、表白を継続することにより何といいますか、人間の創造性とは練磨、洗練されるものではないでしょうか?

また現在では概ね制度化されている勉強、研究などといったものも、その古典と呼ばれるものを読むにつけ、根源的にそれら(勉強、研究)とは、原初からの我々人間に付随する『嬉戯』の一種であったのではないかと考えさせられるのです・・。

そして、これまでに私が作成してきた一連のブログ記事とは、本質的にはそうしたもの(嬉戯)であることを願っているのですが、なかなかそればかりではいかないところがまた、見方によっては面白いのかもしれません・・(笑)。

あるいはまた、そうであることを願うことにより、これまでどうにかブログ記事作成を継続出来たのではないかとも思います・・。

また、これは自明のことではありますが、それと同時に一連のブログ記事を(興味を持って)読んでくださる(私にとって多くの)方々がいらっしゃることにより為されたことをここに明記しておきます。

そして、今回もまた興味を持って記事を読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

今後も引き続き継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

また、ここにきて不図思い起こしたのは下に示すフリードリヒ・ニーチェの格言です。

「成熟とは、子供のときに遊戯に示したあの真剣さを再び見出したことである。」

さる四月に熊本を中心に発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。