読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
さて、これら両記事は現在住んでいる徳島を題材としたものですが、こうした記事はおそらく在住期間でしか作成することが出来ないと思われることから、今後も機に応じ、こうした記事を作成しようと考えています。
とはいえ、無理に書こうとしますと、どうもおかしくなるように思われることから、こうした記事はあくまでも機に応じての作成が望ましいのではないかと考えます。そして、その意味で一昨日、眉山にのぼり、そして徒歩にて下山したことは、記事作成への大変良い刺激・契機になったのではないかと思われます。
また、そのように考えてみますと、以前、鹿児島在住時も時折山にのぼり、あるいは市街地にて長めの散歩をしておりましたが、こうした記事作成に結びつくことはあまりありませんでした・・。そこから、当時と比較してみますと、実感らしきものはないものの、やはり自身の文章作成能力はいくらか、そして有意に向上したと云えるのかもしれません。
そして、これを継続することにより、今後いくらかは文章作成能力が更に向上していくのでしょうか?
しかし他方、鹿児島在住時は学位取得と云う至上命題があったことから、その生活はより圧が高く・緊張に満ちたものであったのかもしれません・・。そして、このことも、現在となってみますと、その実感を思い出すことが出来ません。
また、その後の求職活動の時期は、まさに出口の見えない迷路に放り込まれて右往左往しているような状態であり、博士課程の時期と比較しますと、日常的な緊張感は少ないのかもしれませんが、何かを行っていないと絶望感が立ち込めてくるような感覚があり、これもなかなか辛いものがありました・・。
その意味で自身は2010年の丁度この時季に師匠が退職されて以来、落ち着くことのない不安定な時期が続いてきたと云えます。それは仕方のないことであるのか、未だによく分かりませんが、しかし、そのことに対し焦点を当て、しばらく考えていますと、今ではすっかり忘れたと思われていた暴力的な衝動が沸き起こりそうになり、あわてて違うことを考え、それに焦点を当てないようにするのです・・(苦笑)。
あるいはそうした衝動が沸き起こらないようにするために、これまで一連のブログ記事を作成してきたのかもしれません・・。そして、そのように考えてみますと、皮肉なことに、さきのような不安定な時期の経験があることから、自身はこれまでどうにかブログ記事の作成を継続することが出来たとも云えるのです・・。しかし、であるからと云って『自身にこうした経験をくださった方々に対し寛容になれるか?』と問われますと、少なくとも現時点では、それは難しいように思われるのです・・。もう少し書き続け、あるいは何か良いことが起き続けることにより、そうした、いわば凝固した感情のようなものは多少は変化していくものなのでしょうか?