昨日発表のあったノーベル文学賞の発表とは関係なく、先日読了した村上春樹著「風の歌を聴け」の続編とも云うべき「1973年のピンボール」を一昨日、仕事後に立寄った書店にて購入し読み始めました。当著作は、前作「風の歌を聴け」よりも文量的にも少なく、翌日の夕刻には読了に至りました。
読後の感想としては、あまり深い意味があるようには感じられませんでしたが、前作と同様、イメージ的には印象に残る作品であるということです。また、前作と比べ、曲名や作曲家、歌手あるいは衣服・靴などの名詞・固有名詞がやたら多く出てくるという点も特徴的であるように感じられました。
これは、おそらく初期の泉麻人のエッセイなどにも影響を与えているのではないかと思われました。また、その作品を包括する世界観については、弘兼憲史によるマンガ「課長 島耕作」の初期にも共通するものがあるように感じられました。
ともあれ、当著作は1980年に発表されたとのことであり、この作品を評価することになった、それより上の世代の所謂、戦前・戦中派作家の方々は、これら固有名詞の羅列そして、そこから醸し出される世界観を一体どのように感じたのだろうか・・。あるいは、迂闊なことを述べ、そして評価してしまうと、若い世代から無知いや悪くすると反動扱いされてしまうかもしれないといった恐れなどもあったのではないでしょうか・・。
私見としては、発表当時から40年経た現在においても、当作品(「1973年のピンボール」)に登場する曲名やその作曲家、歌手あるいは衣服・靴などの名詞・固有名詞について、それら全てを文脈を踏まえて正しく理解することは困難であるように思われます。
むしろ、文脈の代替要素として、それらが作中に散りばめられ、ある種の世界観らしきものを構成しているように感じられます。端的には1945年から急速にアメリカナイズされた若者世代の世界観ないし価値観の一種の見取図的なものではないでしょうか?
そしてまた、その文章には、おそらく東京(の主に西南部)に未だ微熱的なものが残っていた1990年代に熱心に読んでいた記憶がある雑誌「ポパイ」や「ホットドッグ」の記事に近いものがあることが不図、思い起こされました・・。
おそらく、その文章はイメージを伝え、そして個々人内面の深層にあるものを活性化あるいは惹起させるには適したものであるのかもしれませんが、しかし、そこには作品自体が持つ伝えたいテーマといったものが不在であるように感じられ、あるいは実際にそうであるのかもしれません・・。そして、それはやはり、欧米社会を基準とした「文学」(多分、哲学・思想を物語形式にして咀嚼し易くしたもの)とは異なるものであると評価されるのかもしれません・・。
さて「1973年のピンボール」の読了後、さきほどから、その続編「羊をめぐる冒険」上下巻を読み進めています・・。他方で以前に何度か取り上げた「山椒魚戦争」の著者カレル・チャペックによる戯曲「白い病」も読みはじめました。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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