2015年12月7日月曜日

20151207 先祖のハナシ

A「最近また少し寒くなりましたが、どうですか?
その後求職活動は進展しましたか?」

B「ええ、お陰さまでしょうか、少しずつ動いている様な感じはします。
今後また何か動きがありましたらお知らせします・・。
それで最近思ったのですが、私はその職務内容が自身にとって魅力的であるかどうかをどうやって判断しているかということです。
多分私はその職務が何かしら人の役に立っているという実感がないと、自分を鼓舞することができないのだろうなと思います。純粋に利潤追求の仕事などは、私には到底出来ないのではないかと思います・・。また、私の周りを見渡してもそういった仕事で成功している人というのはいませんし、また、幼い頃より影響を受けた方々も、どちらかというと、そういう仕事に向いていない様な方々が多かったです(苦笑)。幼い頃に色々と聞いた面白い方々がいるのですが、多分皆どこかしら前時代的な小市民士族の面影を引きずっている様な感じがしますね・・。ちなみに私が幼い頃に聞いた寝物語は保元平治治承・寿永の乱などが多かったですね・・。その時に以仁王の令旨で重要な働きをする摂津源氏の長、源頼政のことを「げんさんみよりまさ」(源三位頼政)といっていましたが、何のことかよくわからずに、ただその音を鵜呑みにしていましたね・・(笑)。そして平等院の戦いで敗れた源頼政の遺児が三河国岡崎に逃れ、土着し、その後の北条執権、足利時代を河内源氏嫡流に近い吉良氏などに仕え、その後、徳川親藩といってもいい水野家に仕え、維新を迎えたというような話しを聞かされたことをなんとなく憶えています・・。あと黒船来航、維新の時の話は結構リアルなのをいくつか聞きましたが、大正生まれの祖父母の代からすれば、幕末もそんなに遠くない過去であったのでしょう・・。ともあれ、彼等にはその様な、今となってはどうでもいい過去のことに固執する様なところがあり、また私も無意識のうちにそういった観念に縛られていた(る)のかもしれません・・。そして、それが前に出た私の傾向、性質に何かしら関係があるのかもしれません。単なる後付の理屈であるのかもしれませんが、同時にそういったことが全く自身の性質に対し影響力を持っていないともいえませんから・・。」

A「そうですか・・昔気質の方々は特に御先祖の伝説をとても大事にしますからね・・。
また、そういった伝説とは多少の誇張を含んでいたとしても、気概を持ち続けるための燃料ともなりますので、それはそれでいいのではないかと思います。また、柳田國男もどこかで「日本人はせいぜい三代前までくらいの御先祖しか知らないのが多い。」と書いていましたが、そういった意味ではまあ、貴重なものであるのかもしれませんよ・・。それでもBさんのその御先祖の話もなかなか面白いですね・・。しかしそうなるとBさんのルーツの一つは、その伝説通りであれば、岡崎そして京都あるいは摂津あたりにあるということになるのですか?」

B「ええ、まあ、そういうことになるらしいのですが、多分岡崎あたりまではある程度史実に基づいているのではないかと思います。しかしそれ以前に関しては若干誇張が入っているのではないかと思っています(苦笑)。まあ、そこら辺は記紀でいいましたら神代の時代みたいなものですね(笑)。ともあれ、そういったことが現在、私が何かしら人の役に立つ仕事に就きたい、純粋な利潤追求の仕事はできないのではないかという様な傾向と何かしら関係があるのかもしれないということです・・。」

A「人の役に立つ仕事ねえ・・。まあ、大抵の仕事は何かしら人の役には立っていると思うけれども、たしかにそういう要素も人によったら仕事を選択する上では案外大事かもしれないね・・。」

B「ええ、端的に自身が「これはいい!」と納得することができなければ、たとえ人から勧められた、あるいはオファーを受けた場合においても、最も大事な何か気力、気概のようなものが削がれてしまうのではないかと思うのです・・。それは、その職務に対し何かしら胡散臭い要素を感じ取ってしまいますと、どうも興味、関心を失ってしまうということかもしれません・・。これは少なくとも私にとっては、なかなか大事なことでして、最近ではたとえば不図聞くテレビなどでの会話においても同様の感じを受けてしまうのです・・。こうしたことは国際資本主義が進展した現代においては、ある意味厭世的、ペシミスティックなあまり好ましくない傾向であるのかもしれませんが・・。」

A「うーん、それはどうだかわかりませんが、一般的な見解としては「世の中そんなものだよ。」とか「世の中はそんなに甘くない!」などになるのでなないでしょうか?
しかし一方において、そういった気持、感受性もまた大事であると思いますよ。
私はある程度の期間、研究をしたり、人にそういったことを教える様な仕事に就いてきましたけれど、そこからの経験から、今Bさんがいった様なこともわからなくもないです・・。つまり、それは自分が相対している相手の言動、挙措動作あるいはその作成した文章などから、ある程度普遍的な評価ができてしまう(苦笑)のではないかということです。無論、その評価結果に絶対の自信があるわけでもないけれどね・・(笑)。」
B「ええ、それは私にも何となくわかるような気がします・・。それは、自分が話している相手が多少無理して、わざと難解な言葉を用いているのではないか?そしてその背景となる知識がどの程度その話し手自身に定着しているのか?とは、話しをしていると、その内容、挙措動作などの全体像、それこそ雰囲気、オーラみたいなものから何となく読めてくるということであると思います。また、以前ブログに記した高い女子力が妖刀に近いということの意味とは、一つにそういったことを女性特有のある種の感性の加味により、かなり精確に近い判断が出来てしまうということからくる悲劇?ではないかということです・・。ともあれ、以上の様な理由により、私は一連の対話形式のブログを記す際は、出来るだけ難解な表現、言い回し、言葉を避けているようにしているつもりです。そちらの方が虚飾を廃し、伝えたい意味、内容が通じると思いますし、また簡潔明瞭とは、そういうことではないかと思います。そして、そうした上で意味、内容が的確に表現され、相手に対し通じる言葉、文体こそが良いのではないかと思うのです。」

A「うん、まあそれはそうですね。しかし、御承知とは思いますが、そういった考えとは特に新しいものではなく、そうですね・・それは正岡子規の俳句論あるいは小林秀雄の芸術評論などにおいても類似した考えを見出すことができると思いますよ。つまりそれは、言葉を用いた事物、現象の写生、描写などにおいても同様に大変重要なことであるということですね。」

B「ええ、もちろんそういったことは重々承知しており、また自分のそういった意見も結局のところ、それら先人の肩車に乗った意見であるとは思います。しかし同時に、現在の傾向、時代の潮流とは、どうもそれとは異なる方面に向っているのではないかとここ最近思うのです・・。といいますのは、以前のブログにて記しましたが、現在の傾向、時代の潮流がどうもかつての日本浪漫派と類似した様なものを持っているのではないかと考えさせられるからです。」

A「ああ、私も日本浪漫派については少しは知っていますよ。しかし皮肉なことに日本の将来を憂いて衝撃的な最期を遂げた三島由紀夫もまた、日本浪漫派から強く影響を受けたか、あるいはその流れを汲む一人として目されていたのではなかったかな?」

B「ええ、そうですね。しかしそれに対し反論させていただくならば、三島由紀夫はその背景に膨大な知識、教養を深く、幅広く持っていました。それはホンモノといっても良いものであったのではないかと思います。そして、その様に考えますと、真似、類似とは特に悪いことではないのだと思います。大事なことは、そこに含まれている考え、観念を主体が咀嚼、消化し完全に自己のものとしているかどうかということではないでしょうか?
そうでない場合はオリジナルのエピゴーネンの氾濫を招き、ひいては当初その文化的事物が持っていた瑞々しさ、新鮮さが損なわれ、陳腐なものに堕していってしまうのではないでしょうか?また、こういったこともさきの小林秀雄は勾玉に関して述べていましたし、また他では、ゲーテも詩作に関連してこれと類似したことを述べています。」

A「それは心情的にはとても理解できるけれども、しかし一方において工業化された大量生産、大量販売、消費も基盤とする現代社会においては、多少そういった考えも妥協、譲歩した方が都合が良いのではないかなと思うけれどね・・。また、蛇足になるけれど、それは教育についても同じ様なことがいえるのではないかな・・?」

B「ええ、おっしゃることは私もよく理解できます。それは極論しますと普遍性と特殊性との葛藤であると思いますが、はじめから普遍性一本槍で物事を断定して推し進めてしまいますと、その後の様々な創造性、持続可能性が徐々に損なわれてしまうのではないでしょうか?そしてその結果、カチッと出来てはいるが伸代のない様な未来になってしまうのではないでしょうか?私としてはそちらの方がこわい様な気がするのです・・。」

A「・・ううむ、なるほど、そうかもしれないね。持続可能性という言葉もここ最近よく聞くけれども、その意味に関してはあまり考えてみたことがなかったかもしれない・・。
一体どういったことが持続可能性なのだろうかね?」

B「ええ、前のブログにて引用したフランクルの「夜と霧」の「人間は如何なる状況にも適応できる。しかしどの様に適応するかは問わないで欲しい。」とは、こういったことにおいても適応できるのではないかと思います・・。」


20151205 勾玉および道具の使用法と演繹、帰納法

A「相変わらず寒いけれど、どうだい、元気でやっているかね?」

B「ええ、どうにかお陰さまでやっております。
しかし、こう寒い日が続きますと読書の方はどちらかというとはかどる様です。先日、写真集ですけれど「勾玉」を中心とした古代の装飾品のものを見ていましたら「あのデザインは一体どこから来たのだろうか?」と不図、考えてしまいましたね。あれはデザインで大きく分類しますと、大和型と出雲型になり、大和型は尾の部分がシュッとしており、二つ合わせると丁度陰陽の文様になり、それに対し出雲型はアルファベットのCの字に近いものです。ともあれ、この勾玉の祖形はどうやら弥生時代以前から東アジア及び南洋の方にも存在することから、この分岐、差異は日本列島に伝播した後に生じたものの様ですね・・。」

A「ふうん・・勾玉ねえ。
そういえば私も君からお土産で勾玉をいただいたことがあったかれど、そういわれると、あれは出雲型だったね。」

B「ええ、それは一応意識してそうしたのです。
先ほどの大和、出雲双方の勾玉の相異とは、それを敷衍してみますと、それぞれ天津神、国津神にも分類することが出来るのではないかと勝手に考え、そして我々日本人の多くは国津神、つまり天孫の末裔ではないと思われるため、出雲型の方が適当なのではないかと考え、そうした次第です。」

A「ああ、なるほど。
そういわれるとたしかに天津神、国津神は勾玉の形状のルーツにも何かしら関係あるのかもしれないね。それで私は国津神系と判断されたわけですか?(笑)
まあ、たしかにそういわれると違うともいえないね・・。
しかし考えてみると勾玉とは、もしかしたら二千年以上にわたり我々日本人が抱いてきた何かを象徴する形状なんだろうね・・。
あるいは欧米の十字架よりも古いものなのかもしれない・・。」

B「ええ、その通りではないかと私は思います。
また勾玉とは琉球、沖縄において神器として現在尚存在しておりますし、また、北方のアイヌ、蝦夷などの文化においても見られることから、少なくとも日本列島を包括する文化なのではないかと思います・・。」

A「はあ、それは知りませんでしたね・・。
そしてそれが三種の神器の一つでもあるのはなかなか面白いことですね。」

B「ええ、しかしその勾玉の持つ意味なのですが、これは先ほど少し申しましたように諸説あるようでして、統一した見解というものは未だ得られていないようです。
また、それはそれで面白い現象であると思うのです。といいますのは、この勾玉の意味についての諸説とは、日本人と神輿についての丸山真男渥美勝などによる見解を想起させるからです。この場合、勾玉と神輿との類似点とは、双方共にある明確な物質的存在があり、それについての見解は諸説あってかまわない。しかし、ともかくそれらの物質的存在が基軸となっているということではないでしょうか?そして、そういった物質的存在を基軸とした、ゆるやかな形而上的な世界とは、日本文化の中で割合多く見られるのではないかと思います・・。こういうのは欧米社会における十字架の意味合いとは大分毛色が異なるのではないかと思います。つまり十字架の場合、その背景にキリスト教、そしてそれを成立させる観念、書物などが権威を持って存在します。
また、時代によってはその権威がリゴリスティックに過ぎることもあります。
これは宗派によって異なると思いますが「薔薇の名前」の時代背景が丁度そんな感じであったと思います。ともあれ、その点、日本における勾玉、神輿などはどうも物質的存在の方が観念などよりも先行している様な感じさえ受けるのです。つまり、欧米のキリスト教などとこれらを比較した場合、ニワトリ、タマゴの順序が逆になっているのではないかという様な感じですかね(笑)。」

A「はあ、モノが先か観念が先かでそれら内実の性格も大分変ってくるからね・・。
そうすると私が思い出すのは鋸の使い方について誰かが書いていたのだけれど、西洋だと鋸を押す時に切れて、日本だと引く時に切れるという様なことだね。その著者は「西洋と日本では何でもそういったものが全て逆さになっている。」と書いていたけれど、私はそれはさすがに短絡的であると思ったけれど、まあ面白い意見ではあるよね・・(笑)。」

B「道具の使用などは正しく身体性に属するものであると思います。そして案外こうした観念の出発点からの思索の方向性なども身体性に基礎を置いているのかもしれませんね。
まあ、よくはわかりませんが・・。」

A「うん、身体性はなかなか面白い視点であると思いますが、あとは言語の構造なども特に観念などに関しては強く関連しているのではないかな?たしか山本七平がどこかで「日本語は元来戦争などの遂行などには不向きの言語である。」と書いていたけれど、そういったことに関係あるのかもしれないね・・。」

B「なるほど、言語の構造ですか・・それもまた面白い発想ですね。そういわれますと加藤周一もどこかで「日本語とは叙情的な散文を書くのには適しているけれども、これを用いて思考する文体を書くことは簡単でなない。」といった意味のことを書いておりましたが、それも類似したものであるのかもしれません・・。」

A「叙情的な散文ですか・・なるほど。たしかにそうかもしれませんね。
そうすると今度は私は帰納法演繹法の違いを思い出してしまうね。
つまり日本語とは、特殊、個別的な事象を詳細に多少の情感を込めて記録する帰納法における一要素の叙述などに適していて、印欧語とは、総合的、演繹的な記述に適しているのかもしれないね、少なくとも各々言語の根本においては。」

B「はあ、それは現代においては確証を得ることが難しいと思いますが、一方において、前の私のブログにおいて取上げました加藤周一が書いておりました歌舞伎シェイクスピアの劇における科白の傾向の相違なども想起させますね・・。」

A「うん、辞書の名前で有名なgenius(ジーニアス)とは、元々言霊などの意味らしいけれども、そういったレベルにおける何かしらの違いとはやはり何かしらあるのだろうね・・。」

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