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2025年11月5日水曜日

20251104 黎明期の試作機である私について

 当記事を含めて、残り2記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、以前にも当ブログで述べたことがありますが、私は2007年に修士(経済学)を取得後、歯科技工専門学校に入学し、歯科技工士としての専門教育を受け、2009年に歯科技工士免許を取得して、歯科生体材料学を専攻分野として大学院博士課程に進学、2013年に博士(歯学)を取得しました。

 現在では、国内に4年制の歯科技工士養成課程を有する大学が2つあり、広島大学が2005年、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)が2011年に、それぞれ設置されています。それ故、私が博士号を取得した2013年当時、仮に最初の学士課程の入学生が順調に進学されていたとしても、博士課程3年目にあたる段階であり、修了には至っていなかったと見込まれます。つまり、その時点で修士課程を経て課程博士を修了した歯科技工士の事例はほとんど存在せず、私の修了は、ごく初期、あるいは日本初であった可能性もあると考えています。

 キャリアパスが整備される以前に、異分野の修士課程を経て、歯科技工士として進学が妥当と云える歯学分野の博士課程に進み、どうにか修了にまで至ったことは、巨視的に見れば、我が国の歯科技工士教育と歯学分野の学術研究とを結節する、ごく初期の試みであったと云えます。

 現在では、4年制大学での課程を卒業された歯科技工士の方々が、大学院修士課程、さらに博士課程へと進学する事例も聞かれます。そうした整備された道を歩まれてきた方々と比べますと、私などはまるで、黎明期の試作機、あるいは不格好な多砲塔戦車のような存在と云えるかもしれません(苦笑)。しかし、そうした時期であったからこそ、特有の創意や自由闊達さもまたあったのではないかと思われます。

 とはいえ、その過程には以前にも述べました通り、さまざまな困難があり、決して順風満帆なものではありませんでした。そうしたなか、2012年、教授(師匠)も准教授の先生もおられない状況で、担当させていただいた鋳造および鑞付けの歯科理工学実習では、研究室の先生方からご許可を頂き、人文的な話題を随所に交えながら実習を進めることができましたが、これは余程、自分の性質に合致していたのか「それまでの人生がこのためにあったのだ!」と感じられるほどの経験であり、それだけに、今なお強く記憶に残っています。

 それでも、学位取得後の道のりもまた、決して平坦なものではなく、まさに紆余曲折を経るものでした。黎明期の人間として、その不完全さなどネガティブな面全てを含めて、まあ自分らしい経路であったのではないかと思われるところですが、今後は、これまで培った経験を活かしつつ、若い世代の医療専門職の方々が、より自然に人文書に興味を持ったり、臨床と研究とを往還出来るような環境の整備に微力ながら関わりたいと考えています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2019年9月29日日曜日

【20190929】太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」

先日来からいくつかの著作を読み進めていますが、そのうちの一つは、内容的には専門書に近いと云えますが、同時に以前読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」とまさに同時代を扱っているものであることから、難解と感じられる部分は多々ありつつも、どうにか読み進め、そして年内に読了に至れば御の字と考えています・・(笑)。

また、他の読み進めている著作については、昨日、一昨日でいくつか読了しました。それら著作では、太平洋戦争における複数戦場地域を、記録されたその様相を踏まえて述べていることから、ある意味において大変痛ましく、読んでいて自然に眉間にしわが入り、目が細くなってきます・・。

ここ最近になり実感することは、こうした著作は、その記述の大半が事実を述べたものであることから、心身を消耗させ、何やら絶望的に気分にさせられます。しかし、それは近現代において大規模な敗戦を経験した国々であるならば、同様であるはずなのに、我が国については、母国であることから、その生活文化をある程度理解していると感じられるところに根差すものと云え、その程度は相対的に深いと云えます・・。

つまり、自身の理解している我が国の生活文化と、それら太平洋戦争戦場について述べた著作の記述との間に、連続性・近しい関係が多いに認められることから、必然的にやるせなさ、そして絶望感を感じさせられるのだと云えます。

そのように考えてみますと、夏目漱石著「吾輩は猫である」そしてロバート・グレーヴス著「この私、クラウディス」双方に記述がある「シビュラの書」についての説話の持つ意味合いが理解され、そしてまた同時に、当説話の背景である古代ローマ帝国の後裔を自認する西欧諸国くわえて、その派生と評し得る米国において、単なるゼスチャーとしてでなく「歴史」が学問として重んじられている意味合いの輪郭をボンヤリと理解することが出来るのではないかと思われます。

そして少なくとも、その点において我が国は、他の敗戦国であるドイツをはじめ、西欧諸国そして米国と比べ、低い段階にあるか、あるいは、違った認識の方向の先にあると云えます・・。

我が国においては、未だ先進国並みと評し得る理系学問分野を基盤とする諸技術と比して「歴史」をはじめとする人文社会科学分野が前述の状態であることには、やはり生活文化に大きな挫折を負った太平洋戦争後からではなく、それよりはるか古くから続く、何らかの原因があると考えます。そして、この原因が、これまた何らかの原因によって、大きく変わること、あるいは今後ある程度の年月を経て、漸進的に変化していくことがない限り、おそらくまた我が国は直截的な流血は伴わないにしても、太平洋戦争終盤における各戦場地域であったような悲劇、否、惨劇を繰り返してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。

そういえば、ここまで書いていて不図、思い出したことは文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





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2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33
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2019年2月10日日曜日

20190209 対話形式1998年のこと【イノベーションに関連して】

おかげさまで、昨日投稿分の記事も投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1170に到達します。そして当面の目標としている1200記事まで残り30記事となりますが、これはあまり急がず、具体的には四月くらいまでに到達出来れば良いと考えています。

そういえば、先日投稿した記事である『「イノベーション」について思ったこと』も多くの方々に読んで頂けましたが、ここで述べたことには特に新しいことはなく、歴史・戦史などの分野では通俗的な知識であると云えます。とはいえ、こうした「イノベーション」の背景とは思いのほかに重要であり、以下に、それに関連すると思しき対話形式の文章を示します。
時代:1998年6月頃
場所:小田急線下北沢駅近くの喫茶店
A「そうですか、Bさんも***に就職が決まりましたか、それはおめでとう。それで勤務地はどこになるのですか?」

B「ええ、どうもありがとうございます。つい先日、内定者の集まりがありましたが、勤務地が決まるのはもう少し後になるとのことでした。会社は北海道から九州まで事業所がありまして、勤務地がどこになるかはまだ分かりません・・。それでも一応希望勤務地は首都圏と書いて提出しました。・・多分難しいとは思いますが・・。」

A「はあ、そうですか・・。まあ初めの勤務地は勝手知ったる場所ではない方が良いと思いますよ・・(笑)。」

B「・・そんなものですか・・しかし、私は元々首都圏の人間ですからね。出来るだけ早いうちにこっちに戻ってきたいと思うのですが、どうなのでしょうか?」

A「うん、多分まだ分からないと思うけれども、君くらいの年の頃は、色々な地域に行った方が良いと思うよ。それで、その後になってから、また大学院に進みたいと考えるのであれば、その時の方が良い選択が出来るのではないかな・・。」

B「ええ、そのあたりが未だ経験がなくて、よく分からないので何とも云えませんし、それでも先日説明を聞きにいった**大学大学院のヨーロッパ文化専攻はとても興味深く、面白そうで自分に合っているようにも思われたのですが・・。」

A「まあ、数年後になって君がまだ**のヨーロッパ文化専攻に行きたいのであれば、またその時は相談に乗りますが、でも、とりあえずはそうですね・・三年くらいは会社で働いてみるのが良いと思いますよ・・。」

B「・・しかし、先生はストレートで院に進まれたのですよね?先生はそれで良かったのですか?」

A「うん、私も当時は色々と悩みましたし、結局違う大学の院に行くことなったことは、君も知っていると思うけれども、私の場合、あまり他の選択肢は考えませんでしたね・・。それで、そうであったから君はとりあえず数年働いてみるのが良いと思うのです・・。ストレートで院に行くのは、正直なところ、あまりツブシが利かないので、おススメできませんよ。」

B「ふーん、そんなものですか・・。そういえば先日、大学院進学について親に話したところ『文系分野の院に行ったってツブシが利かなくなるだけだから、ちゃんと会社に就職した方が良い。』と云われまして、それでA先生のことを話したところ『ああいう人はそれで良いんだ。それにその分野の研究者で食べて行ける人なんて本当に少ないのだから、それはそれでA先生も苦労しているはずだ・・。』というようなことを云われました・・。そうするとA先生の専攻分野の方々は、研究者以外でしたら他に何になることが出来るのですか?」

A「うーん、たしかに現在の日本では、大学の研究者以外にあまり道はないかもしれないけれども、私が留学していた国では、この専攻分野の院を出て普通に企業に就職することもあったし、あとは軍や政府機関に就職した方もいましたね・・。それに向こうの企業には企業参謀といった私のような背景を持った人々が結構いるのです。しかし、たしかにそういった社会環境は日本の企業文化にはないかもしれませんね・・。ここ日本ですと、歴史とか国際関係論などはあまり実用的な学問とは見做されていないようですが、本質的にはそれは間違いなのです・・。向こうの連中は歴史や思想とか哲学があるからこそ、企業や組織が機能して、さらには発展することが出来ると考えているようなところがありますね・・。」

B「・・はあ、そんなものなのですか・・そうすると、向こうでは先生のような背景を持った方々が企業や組織で参謀のような仕事をしているのですか・・。それはたしかに日本の会社とは違うかもしれませんね・・。」

A「うん、ですから、そういったことを確かめるためにも、とりあえずは良い会社に就職出来たのだから数年間はそこで働いてみなさいよ。多分そこで勉強になることも沢山あるだろうし、そして、その時になって考えが変わったら、また相談に乗りますよ。」

B「ええ、そうですね。どうもありがとうございます。それで先生はこの後どうされるのですか?」

A「ああ、今日は仕事が少し早く終わったから**の実家に帰ります。ですから、ここからは井の頭線で渋谷に出てから**線ですね。・・あ、そういえば、今度うちのゼミ生を連れて外務省外交史料館に見学に行く予定なのですが、君も就職が決まって時間があるのでしたら、ご一緒にどうですか?」

B「はあ、外務省外交史料館ですか・・。それは面白そうですね。空いている日でしたら是非行きたいと思います。」

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数年前からつい先日までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。
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2018年4月6日金曜日

20180405 永遠回帰・シューシュポスの神話? 議論よりも上意下達が効率的と考える社会・・

一昨日から読み始めた中央公論社刊 吉田 裕著 『日本軍兵士』をさきほど読了しました。やはりこの分野の著作に関しては比較的スムーズに読むことが出来るようです。

また、この著作を読んでいて思い出されたのは同じく中公新書の高田里恵子著『学歴・階級・軍隊ー高学歴兵士の憂鬱な日常』であり、内容の陰惨さ、もしくは我が国社会が持つどす黒い部分への言及については後者の方がよく描かれていたと思われます。

しかし一方で、前者に関しては、新書にて戦地における我が国の歯科医療を扱ったという意味で大変意義深い一冊であると考えます。

また、昨日投稿分記事にて述べましたが、前者は現在この時期に刊行されたということ、さらには、それが数多く売れていることもまた、何かしら示唆するものがあるのではないかと思われるのです。

しかしながら、昨今時折見聞します我が国近現代史に関する声高にして強気なご意見とは、さきに挙げた二著作あたりを読むことにより、少なくとも懐疑的にはならざるを得ないと思われるのですが、そうした現象もあまり見受けられないことから、前者は数多く売れているにもかかわらず、そこからの直接的な影響は思いのほかに少なく、さらには思想や読まれる著作もまた、居心地が良いように棲み分け、あるいは、体よく分断されているのが現代のインターネットを基盤とする情報化社会が持つ特徴と云えるのかもしれません。

あるいは、当ブログが幸運なことにこれまでに炎上しなかった原因もまた、そうした状況にあるのではないかとも思われます。また、これらのことを総合的に考えてみますと、古くから我が国社会は議論が好まれない社会であると云われ、また近代初期においては、そうした状態を改める試みも行われましたが、結局のところそれらは広く社会に根付き、自転運動を起こすには至らず、時代を経るごとに徐々に衰退し、そして顧みられなくなっていったと云えます。

そしてまた、おそらく1945年以降の戦後期においても同様の動きがあったと思われるのですが、現代の我が国社会を省みるに、またさきの近代化以降における試みと同様、その動きも衰退し現在に至っているのではないかと思われるのです・・。

おそらくこれは偶然などではなく、我が国社会が持つ傾向・特徴を端的に示すものであると考えます。そして今更再び議論出来る社会を上からの意向(威光)によって構築・醸成することは、おそらくコスパに合わない(笑)ため、その代わりに、あまり無理のない、我慢強い日本人ならば耐え切れなくもない上意下達システムの洗練の方向へと収斂していくのではないでしょうか(笑)?

また、こうした社会においては、当然の如く文学などよりも、より多くの人々が楽しめるマンガの方が価値あるものとして見做されるようになると思われます・・(苦笑)。

しかし、果たして本当にそれで良いのだろうか・・?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から
現在までに、列島各地において発生したもしくは現在も継続し発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。




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2018年2月26日月曜日

20180226 現時点で分からないことにも『意味』があることが多いのかもしれない・・【物語から】

おかげさまで昨日の記事投稿により総投稿記事数が910に到達しました。これまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、これはあまり区切りの良い数字ではありませんが、これにより残り90記事にて1000記事に到達することになりました。また、今月二月内も引き続き記事の作成・投稿をすることにより、来る5月内での1000記事到達の可能性がより高まります。

とはいえ、以前にも少し触れましたが、ここに来てあまりブログ記事の着想が得られない状態となり、現在もまた、多少逡巡しながら、かように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

さて、そうするうちに、こうした時には比較的読まれているブログ記事を題材として文章を先に進めれば良いのではないかと思い付き、現在のそうした記事を調べてみますと、それは『地域特性≒在地土着女性の性質・・?』となっていましたが、その理由とはよく分かりません・・(苦笑)。

記事作成を継続していますと、こうしたことは度々生じるのですが、その理由について考えてみても、さきのように適当と思しき考えが浮かぶことは殆どなく、また同時に記事作成に対しても前向きな効果は乏しいと思われることから、こうした考察とは生産的ではないのかもしれません・・。

しかし同時に、こうした経時的な区切りにて読まれている記事の傾向に全く意味がないということではなく、それは単に現時点の自身では理解することが出来ないものの、何らかの(あるいは大きな)『意味』があるのではないかとも考えます。

そして、そうした『意味』の存在を心のどこかで認めつつも、同時にそれをあまり気に留めないで現在の記事を作成し続けるといった一種鈍感とも云える『感覚』とは、案外重要ではないかと思われます。

その感覚とは、たとえば、ある著作を当初は意味が分からないながらも読み進めていくことにより、徐々にその意味を理解出来るようになり、そして、ある程度にまで至ると、その意味を概ね理解出来るようになり、さらに進んでは、その著作の理解・読解の仕方とは、それで良かった・正しかったのではないかとも感じられるに至るといった感覚です。

そして、この感覚に近いものを描いている作品が方向性は異なりますが夏目漱石著の短編集『夢十夜』の第三夜ではないかと考えます。

この作品は自身の見解としては怪談に分類されると考えますが、一方において、そのハナシの構造自体はおそらく怪談のみに適応されるものではなく、さきに述べた(太字部分)ことに対しても応用可能な構造を持っているのではないかとも考えます。

それは、暗中模索から徐々に周囲の状況が明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった感じであり、類似した構造を持つ他の作品としてシェイクスピアの『マクベス』が挙げられるのではないかと考えられます。

当初三人の魔女からの予言を受けたマクベスとバンクォーがその予言に翻弄され、そしてコトバとしてはまさしくその予言通りになっていくといった構造は、さきの夏目漱石の『夢十夜』の第三夜とは若干筋が異なるものの、当初は予言といった暗示にはじまり、そこから徐々に周囲の状況が変化し、明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった経過自体については共通しているのではないかと思われます・・。

また、こうした構造とは怪談もしくは悲劇などにおいては効果的に共感を呼ぶのであるかもしれませんが、逆にこの構造を成功物語などに応用した場合『あまりにも出来過ぎている感じ』を受けてしまうことから、そうした構造を持つと思われる成功物語とはバーネット夫人による『小公女』ぐらいしか思いつきません・・。

とはいえ、何れの方向(悲劇・成功)であったとしも、こうした構造自体は全体性の認識を希求する我々の精神が持つ一つの普遍的傾向を示しているのかもしれません・・。
【さて、我々日本人もまた果たして同様であるのか・・?】

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2016年9月29日木曜日

20160929 昨日投稿のブログ記事に関連して・・主に書籍からの抜粋引用

昨日投稿した記事(主に書籍からの抜粋引用)と関連しているのではないかと思われる記述を以下に示します。
そして、ここまで記していて、昨日の抜粋引用部の著者である丸山眞男と本日のそれの著者である橋川文三とは師弟関係であるこが想起され、これは必然であるのかもしれませんが、なかなか面白く思われました・・(笑)。
さて、以下、抜粋引用部です。

岩波書店刊 橋川文三著 中島岳志編 「橋川文三セレクション」pp.2ー5より抜粋引用 

『われわれ日本人の生活意識もしくは文化形成契機として、「歴史意識」とよばれるものの作用はむしろ希薄であるというのが「通説」のようになっている。そのことは、卑近な日常の思考・行動様式においても、理論形成の内面的契機の問題としても、あるいは芸術的な様式活動の領域においても、同様に指摘しうるものとされている(たとえば上原専禄・加藤周一の対談「歴史感覚・歴史意識と歴史学」を参照―「思想」昭和三十二年五月号)。しばしば一種の通俗的な文化類型学的思想として、日本人の意識形態を古代ギリシャ人のそれに類推することが行われるが、その場合にも、芸術的感性の優越ということとならべて、「歴史」に対する無感覚ということが共通性の一つとされるのが普通である。ともあれ、「歴史意識」の欠如を説き、それを「持たなばならぬ」とするたぐいの発現は、われわれがしばしば耳にするところでもあり、そこにはさまざまな政治的評価もからんで、複雑な思想問題があらわれている。しかし、他方、「日本人は歴史観の上に生きることの強い国民である」(折口信夫「民俗学」-「歴史教育」昭和七年十一月、臨時増刊号)というような発言も、ごく当然のこととしてうけいれられるような状態があることも否定できないであろう。とくに戦前の教育をうけた世代にとっては、その内容がいかなる意味をもったにせよ、「歴史」からはなれて、思考や行動の意味をとらえるということはなかったともいえるのである。(そのもっとも極端な例をいえば、「八紘一宇」といった古代的イデオロギーが、少なくともたてまえとして、国民の行動原理として機能しえたのは、つい昨日のことである。)ここには明らかに概念規定における矛盾ないし困難がある。
日本人に「歴史意識」が薄いというのが真理であるならば、他方で歴史観における強さをいうことは虚偽でなければならない。(あらかじめいえば、私はそのとおりだと考える。)

そして、私は、折口のいう意味での歴史観を、コリングウッドにならって、擬歴史意識(Quasi-history)として区別することにしたい。

それなら、いわゆる「歴史意識」とは何か、このことを、予備的に検討しておくことがやはり必要であろう。まず明らかなことは、それは歴史という学問のことでもなく、歴史の知識ということでもないということである。
わが国においてもっともさかんな学問の一つが「歴史学」であることはこれまた「通説」であるから、そこに「歴史意識」が欠如しているということはありえないことになる。
また、当然のことながら、それはあくまで「意識」のことであって「歴史過程」そのものではない。
どこの国、いつの時代にも、それが存在したことは明らかである。三木清の用語にしたがえば、学問としての歴史は「ロゴスとしての歴史」、即自的な歴史過程は「存在としての歴史」ということになるが(「歴史哲学」参照、「歴史意識」はそのいずれのことでもない。
 それは「歴史感覚」というか、あるいは歴史経験というか、直接感じ方の問題として、現象の背後にある歴史的厚みを感じる実感」「その実感があるから、物事の歴史的発展が論理的にとらえられ・・・専門化して歴史学にもなる」(加藤周一、前掲対談)という、そういう性質のものにほかならない。つまりそれは「歴史学」はもとより、「歴史的認識」「歴史的思考」「歴史的態度」「歴史的立場」等々とよばれるすべてのものの根底にあって、それらと関連しながらも、基本的にはそれらと異なる『一種の精神的能力』のことである。それは、あたかも感性のアプリオリな諸形式が、人間認識の前提として与えられているのと同じように、意識に内在する、ある基本的な様式として考えられるものであろう。
したがって、心理的実質に即していえば、それは「感覚」のある作用とも考えることができる。たとえば、マイネッケがその著作の一つにVom geschichtlichen Sinn und vom sinn der Geschichte(「歴史感覚と歴史の意味について」―邦訳名「歴史主義の立場」)と題した場合などは、そこにいわれる「歴史感覚」は「歴史の意味(ジン)を感覚しうる精神作用のことであり、そのまま「歴史意識」と同じ意味で用いられたものである。それなら、本来の「歴史意識」とは何か?われわれはここで、端的にトレルチュが、それに与えた美しい規定を見ることにしよう。「・・・そういう気持(歴史的関心」もしくは歴史意識―引用者)は、人類の歴史的生活を出来る限り広く観察しようとする気持ちであり、またなんら一定の実践的目的を立てることなしに、ただ、人間存在の豊富・充溢・活発さを眺めて感激するような気持であるのです。この多種多様なる歴史的世界に現れて居るもの、またその多種多様な姿を現すことによって歴史的世界を観察する人の心に神の如き広さと大きさを注ぎ込んでくれるもの、それは尽くる所なき神の生命であり、働きである、という風に私共には見えるのです。」(歴史主義とその克服」邦訳一〇四頁)

マイネッケが歴史主義の根底にある歴史的感覚(=歴史意識)について「この新しい感覚のもっとも生命ある根元」は『人間および人間の形成物における個性的なものへの帰依』であると表現した場合にも、およそ「歴史意識」についていだかれている観念は、ほぼ同様といえるであろう。つまり、そこに共通していわれていることは、マイネッケがその名著「歴史主義の成立」の巻頭に掲げたゲーテの言葉に示されるあの個体的なるもの(Individuum est ineffabile―個体的なるものは語りつくせぬ)への意識、それが歴史意識であり、歴史主義の母胎だということである。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年5月29日日曜日

20160529 「Obsession」20200419加筆

おかげさまで昨日初めて、当ブログの1日の閲覧者数が1000人に到達しました。

さて、昨日、久しぶりに神保町に行き、古本屋の店頭にて何気なく目に入った「少女怪談」という様々な作家による短編集をパラパラと立ち読みしていますと、期せずして、その中の森村誠一による「青の魔性」という作品を読み入っていました・・。


私は特に「少女が好き」という傾向を持っていませんが、この作品の内容は、それが少女でなくともハナシのスジにはそこまで支障がないと思われます。


ともあれ、その上で、この作品の内容に関しては、何となく「分かる」といった感じを受けました。


そして、当作品冒頭部にて描かれている『憑りつかれる』といった感覚は、物理的現象としては認識し難いものの、良くも悪くも実際に存在するのではないかと思われます。


また、こうしたことを書くと「この人は少しおかしいのではないだろうか・・?」と思われる方々もいらっしゃるのではないかとも思われます・・(笑)。


しかしながら一方で、それはプラスな意味合いでは、自分以外の誰かから『元気をもらう』あるいは『癒される』などと普通に言い表される現象の逆をも含めたものであると考えていただければ、多少は納得していただけるのではないでしょうか?


また、私個人の経験に即して考えてみますと、良い意味でのそれは、私の九州在住時においても生じていたのではないかと考えています・・。


そして、現在の私は、まさに、そのことにより、これまでブログ記事の作成を継続することが出来、さらには生きている(生かされている)のではないかとも思われるのです。

いや、あるいはまた、そうした現象をどうにか客体化・対象化して認識するために、これまで一連のブログ記事作成を行っているのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、こうした現象をマクロレベルにて考え、さらに歴史を遡上して考えてみますと、我が国が倭国と呼ばれた時代、女王が統治する邪馬台国というクニが、九州あるいは畿内の何れかに存在していたことが実感を以って感覚的にも理解・認識できるのではないかとも思われるのです・・。


その意味において、以前数回当ブログにて引用したローレンス・ヴァン・デル・ポストの「The seed and the sower」に記されている我が国の特質についての記述は、かなり興味深いものであると云えます。


とはいえ、そうであっても、こうしたことは畢竟、単なる思い込み・迷信の類であると批判される方々も少なからずいらっしゃるのではないかとも予想されます。


そして、そのような批判がなされた場合、私は『ええ、たしかにそうであるかもしれませんが、しかし、そこで私と同様な経験を彼の地ですることになれば、私以上に敬虔にそうしたことを信じるようになるかもしれませんよ・・。』と返答とすると思います・・(笑)。


ともあれ、この『憑りつかれる』と表現される内容も前述のとおり様々であり、それが生じた時の自身の心持、就中、邪気の有無がかなり精確に反映され、後になり自身に返ってくるのではないかと思われるのです・・。


そして、そういった、いわば単純且つ原始的な観念こそが様々な神話そして道徳的意味合いを持つ神話、さらには地域、国レベルの倫理、道徳観念の基礎あるいは枠組みへと変化そして精製されてゆくのではないでしょうか?


しかし、それでも現在記しているこの記事は、実際問題として、幾分迷信的ともとられ、また自身の今後、保身においても何かしらおかしな影響をおよぼしかねないと考え、投稿することを多少躊躇しておりましたが、それでも、どうしたわけか、この記事を投稿することにしました・・(笑)。


『他方では女友達のいるときの祖父を、理解していなかったにしても、理解するかもしれないと予感していたにすぎない。予感が私のなかで実現したのは、はるか後になって、私自身がひとりの女の眼のなかにすべてをみ、その一刻が世界の全体よりも貴重だと思われるような瞬間を、経験した後でのことである。その経験は、事の善悪について語ることを、全く無意味にみせる・・』
岩波書店刊 加藤周一著「羊の歌」-わが回想ーp.9より抜粋
ISBN-10: 4004150965
ISBN-13: 978-4004150961


さきの熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの早急な復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

また、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

皆様のおかげでここまで書き続けることが出来ております。
そして最後にゲーテ曰く『迷信的であることは詩作の妨げにはならない』しかしながら、私は詩人ではありません・・(笑)。






          




2016年5月5日木曜日

20160504 昭和について

先日より読み進めている野上彌生子著の「迷路」下巻はもうじき結末に至ろうとしています。

同著下巻においては、舞台背景となる時代の大きな変転から否応なく登場人物達の運命に対しても影響をおよぼし、また、読者たる私に対しても様々な感情・想念を惹起させます・・。

また、以前にもブログ記事にて記しましたが、前掲著作と類似するような物語のスジを持った著作・映画作品として「戦争と人間」が挙げられます。

原作となった五味川純平著の小説に関しては、これまでに読む機会がありませんでしたが、これも相当な長編であると思われますので、もし読む機会があるとすれば、大分先になるのではないかと思います・・。

ともあれ、映画作品に関しては、東京でのリバイバル上映を含めて、以前に何度か観たことがあります。

映画作品の方も小説と同様、かなりの長編ではありましたが、この時代(昭和初期)に興味を持ち、あるいは、この作品自体に多少なりとも興味を持たれた方々は是非一度観ることをおすすめします。

私見ではありますが、様々な環境に関しては当時と比べ(大きく)変化しましたが、その背景にある精神的な部分に関しては、昨今のニュースなどを見聞きしておりますと「この時代(昭和初期)からあまり大きく変化【進化】していないのではないか?」と考えさせられます。

また、さらにそこから「では、そうしたあまり変化が見られない精神的な部分とは、果たして我が国特有のものであろうか?」とも考えさせられます・・。

私は日本近現代史を自身の専攻分野とした経験は持っておりませんが、周囲の環境および自身の興味から、多少の知識は持ち合わせているのではないかと考えております。

そして、そのことを前提として、当時(昭和初期)のことを扱った人文社会科学的な文献を読んでおりますと、たしかにこの時代には、我々日本人にとって「やるせない何か」が明瞭に刻印されているのではないかと考えております。

そして、戦後から現在に至るまでの様々な文化、流行一般とは、考えようによれば、この「やるせない何か」を必死に忘れる、蓋をするといった、いわば無意識的な意図が根底にあったのではないかとも考えさせられるのです・・。

そして、その「やるせない何か」あるいは「良心の呵責を生じさせるもの」の起点、原点とは「明治維新から西南戦争の間に生じた大きな価値観の変化ではないだろうか?」と、ほぼ直観的にではありますが考えさせられるのです・・。

このことをより精密に考えてみると、簡単にはいかないとは思われますが、こうしたことの根底には、どの国、地域そして時代の文化においても「男性的な要素と女性的なそれの抗争?」があるのではないかと考えさせられます。

そして『その何れか要素の過剰、均衡の崩壊などが、様々な大乱、天変地異などを引き起こしてきた要因、あるいは、そうしたものと「必然的」に同調するような性質を持つのではなかか?』とも考えさせられるのです・・。

このことは迷信的であると考えられますが、私はこうした要素は何らかの影響を歴史の進行に対し与え続けているのではないかと考えております・・。

また、最近不図思ったことは、国、地域の文化を荒廃させるには、その国、地域の女性に対して『何かしらの仕掛け』を施すことが、もっとも完全犯罪的にそれを成し遂げる方法ではないかということです・・。

これは戦前の日本を舞台としたものがたり、小説を読んでいて思ったことです・・。
さて、皆様はどうお考えになるでしょうか?」

ここまで興味を持ってこのブログ記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

今回の熊本の大地震で被災された地域の方々の生活インフラが早期に復旧し、同時に今後の復興そして、さらなる発展をされることを祈念いたします。




 

2016年4月10日日曜日

20160410 時代精神の認識について★★★★★

数日前に投稿したブログにより投稿記事数が260に達しました。また、それと関連するものであるかわかりませんが、昨日のブログ閲覧者数もいつになく伸びました。

これまでブログ記事を読んでくださっている方々に支えられ、記事を書き続けることが出来ましたが、ここ最近、過去に作成したいくつかの記事を読んでみますと、それらの中で、私が世間の動向(の一側面)をある程度理解しているのではないかと思わせるような内容も見受けられます・・(笑)。

とはいえ、無論、私はそうしたことを精確に理解しているわけではなく、単に読んでいる本、様々な場所にて得た直感、感覚に従い、記事を書き続けている次第です。

その意味において、現在再び読み進めている野上弥栄子著「迷路」とは、かなり面白く、また、そこに描かれている内容とは、現代の我が国の社会においても通じる要素が少なからずあるのではないかと思われます。

そのように書きますと、その著作内の現代社会に通じると思われる具体的な内容を抜粋したいという強い誘惑にかられますが、この著作につきましては、興味を持たれた方々がご自身で実際に読まれ、その指摘および判断をなさっていただきたく思います(私もまだ上巻のみしか読了しておりませんし・・)。

また、これも前掲著作を読んでいる際に不図思い出したことではありますが「一つの国が堕落、衰退してゆく過程とは、ほとんどの場合、上層部の方から堕落、腐敗してゆく」といわれております。

このことは、現在の様々なレベルの組織を考える上において、なかなか示唆するものがあるのではないかと思われます。

そして、おそらく様々な国々における歴史の変わり目、転換の契機とは、こうしたことが否応なく生じていると社会において広く認識されはじめることから生じるのではないかと思われます。

また、我が国の場合、社会における同調圧力・凝集性が強いことから、ある程度の段階までは堕落・腐敗として(表立っては)認識されないのですが、一度そのような認識が社会において共有されるようになりますと、そこから一気に大きな変化に至る傾向があるのではないかと思います。

このことをたとえてみますと脆性材料における応力‐ひずみ曲線の特徴と類似したような特徴を示すのではないかと思いますが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。



2016年4月7日木曜日

20160407 インターネット検索と文系学問の意義について・・

インターネットにより様々な事柄を検索することが可能になり、特に文系学問の存在意義が疑問視されるようになりました。

それはおそらく、必要な知識、およびその概要がインターネットの検索により即座に理解、把握できるようになったことによります。

しかし、私見となりますが、自身の専攻、専門といったものをある程度真剣に勉強、研究してみますと、インターネット上に記載、示されていない事柄を発見することが往々にしてあります。

こうしたものの多くは、ある一つの事物に関してのものではなく、何かしら複数の要素、事柄の「関係性」についてであることが多いです。

また、そうした発見、指摘された「関係性」の内容が一般的に認められるものであるかどうかはわかりませんが、それらの中には、少数ではあるものの、新たな発見あるいは適切な指摘となる可能性を持ったものがあるのではないかと考えております・・。

そして、もしそうであれば、私であっても、そうした新たな発見、指摘ができるのであるから、他のみずみずしい知性を持った方々にとっては、より一層新たな発見、指摘の可能性があるのではないかと思います・・(笑)。

それ故、インターネットにより文系学問の存在意義がなくなるということは今後しばらくないのではないかと思います・・。

むしろインターネットとは、文系学問分野においても他の学問分野と同様、大変有効な補助器具、杖であるのではないでしょうか?

私は「インターネットによって文系学問の存在意義がなくなる」という主張に対し、それはそのように主張される方々の殆どが主体、能動的に文系学問に接した経験がなく、単なる創造的回避、処理の対象と見做していたことから、そのようにとらえるに至ったのではないかと思います。

また、本来学問とは理系、文系であれ、主体、能動的に取り組むものではないかと思います(無論面倒極まりない側面もまた少なからずあるとは思いますが・・(苦笑))。

それ故、こうした行為態度(インターネットにより文系学問が不要になる)には、何かしら本末転倒なものがあるのではないかと思います・・。

とはいえ、本質的にそれがキライな(好きでない)方々には何をいってもムダであるとは思いますが・・・。

また、あらゆる詩、文学などの存在意義も根源的には、そうした読み手側の主体、能動性に立脚し、そこを起点として、生きたものとして、それらの存在意義が駆動しはじめるのではないかと思いますが如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた方々、どうもありがとうございます。

2016年3月24日木曜日

20160324 D2病の特徴について・・

以前作成したブログ記事にも記しましたが、2012年の私には何かしら躁的(D2病)なものがあったのではないかと思います。

そしてそれは、後から訪れる反動を勘案して考えてみますと、なかなか怖い、恐ろしいものであると思います・・。

しかし、それと同時に、そういった時期には何かしら面白いこともまた起きるのではないかと思います。

2012年に関西某所にて開催された勉強会に出席した私は、自身の発表内容の資料、レジュメを作成しました。

そして、その中にトーマス・マンの「魔の山」内の主人公ハンス・カストルプとベーレンス顧問官の会話、やりとりを抜粋、引用しました。

これは発表内容の要旨を的確に表現していると考えたため、そうした次第です。

そして、面白いことに、その翌年2013年に封切られたジブリアニメ「風立ちぬ」内において、この「魔の山」に基づいた事柄、挿話がいくつか出てきました。

こうした偶然は私自身にとってはなかなか面白く、何故そういったことが起きたのか未だに不思議に思っています。

また、このことを知人等に話しますと、概ね『それは単なる偶然だよ。』といった感じに落ち着くのですが、私としては、たとえ偶然であったとしても『何故こうした偶然が起きたのか?』ということが気になり、不思議に思うところなのです。

とはいえ、こうしたことを深く考えてみても、適切な回答を得ることは難しいのではないかと思います。

あるいは、こうした躁的な状態において、個人の精神とは、時折、何といいますか集合的無意識の層のようなものに達することがあるのかもしれません。

また、作家で精神科医の北杜夫もその著作の中で「躁の状態において人間の精神とは未来に向かって疾走する。」といったことが書かれておりましたので、何かしら、そういったものがあるのではないかとも思います。

よくわかりませんが・・。

また、そうしますと「人間の実在、本質を文字を以って迫る、描写することは可能なのだろうか?」と考えてしまうのですが、こうした疑問に対しジョセフ・コンラッドであれば否定的に考え「それでも敢えて勇気をもって表層に留まることこそが分別のある人間の姿勢だ。」といった感じになるのではないかと思います。

一方、バートランド・ラッセルやルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインであれば、人間の実在、本質に対し、文字、言語を用いてギリギリまで迫ろうとするのではないかとも思います・・。

そして、そこで思い出すのはロジ・コミックスというマンガのpp.250‐251に記されているセリフで

『深淵の縁に立たされ、想像を絶する出来事に遭遇すると、人は神秘主義者か狂人になる・・・この両者はおそらく同じものなのだ!』

となりますが、如何でしょうか?

おかげさまで本日(20160324)ブログの全期間の閲覧者数が50000人に到達いたしました。

興味を持って読んでいただいている皆様、どうもありがとうございます。

今後も出来る限り書き続けてゆこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」中央公論社刊pp.336‐337より抜粋

『ともあれ、躁鬱病になって本当に良かったと思う。
躁は未来へ向かって突き進む、鬱は過去へ向かって沈潜する。従って、私には未来も過去も分かるのだ。
古代人は過去ばかり考えていた。
ようやく二十世紀になって未来を考えるようになった。
しかし、未来よりも過去のほうがより大切である。
たびたび述べたように、近代人は未来ばかり考えているから堕落したのだ。
実はヴィンスワンガーの美しき説は、なだ君から教わった。
しかし、先日、二階の書斎の戸棚を見ていたら、なだ君も知らぬヴィンスワンガーの著者が三冊も見つかった。
医局時代は貧乏であったから、おそらく作家になってからいつの間にか買ったものであろう。
私はまだ若い頃、自分に必要な書物はなにも求める必要はない、本当に必要なときは不思議な因縁によってめぐりあえるものであると書いたが、まさしくその通りであった。』

2016年3月3日木曜日

20160302 歴史力・予言力と合理性?・・

A「相変わらずブログを続けているようですね。
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。」


B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」

A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」

B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」

A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」

B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」


A「・・うん、まあ多分そうでしょうね(苦笑)。さきほど私も自分の思ったことをいったわけですが、それに対してBさんからそのような反応がくるとは思っていませんでした(笑)。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」

B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」

A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」

一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。


2016年2月21日日曜日

20160221 歴史認識と国民性について

A「先日過去に投稿したブログ記事を読んでみますと、あまり面白くないと感じるものも少なからずあり、これらの投稿を削除しようかと不図思いました・・(苦笑)。
しかし、ブログ記事の面白さとは、私が決めることではありません・・。
また、それに加えて、たとえ出来が拙いものであろうと、自身の作成した記事は残しておいた方が良いと思い、削除することを止めました。」

B「・・はあ、そうですか、まあ、たしかに自身が作成したいわゆる「かつてのやっつけ仕事」とは、後になって見てみると、かなり恥ずかしいものであることも多いですね・・(笑)。そして、それらに対して「こんな拙いものを人様に見せるわけにはいかない。」と考え、行動すれば、それらを削除することになるのでしょう・・。
その一方、「こんな拙いものでも自分が作成したものは、たとえ恥ずかしくても明示すべきである。」と考え、行動すれば、それらを残すことになるのでしょう。
そしてAさんは後者を選んだということになりますね。」



A「・・ええ、まあそのようなところですが、しかし、そこまで神妙な考えではなかったと思いますが・・(苦笑)。また、ただ今のBさんの発言から不図思ったのですが、こうした考え、行動とは国、地域などの歴史などに対する態度と何かしら通じる要素があるのではないかと思いましたが・・?」

B「・・ああ、それは特に意図しておりませんでしたが、たしかにそうした要素はあるかもしれません(笑)。そして、そのように考えると、我が国の場合、その主要な原因とは未だわかりませんが、特に近現代史などにおいては前者に近い考え、行動をとることが多いように思います・・。我々日本人の殆どは歴史の多くの時代を水稲耕作民として過ごしてきました。そうした社会とは、播種から収穫までの一連の行程が毎年繰り返され、それが日常生活における基調となるのではないかと思います・・。そしてそれは現代の我々であっても無意識の深い部分にそうしたことは記憶されているのではないでしょうか?
そういえば、英語には「Trait」というコトバがあります・・。
ともあれ、このような日常生活の基調がある社会においては歴史も繰り返し蓄積される類型化、定型化されたものとして認識され、一つ一つの事件、出来事が持つ特殊性などはあまり考慮されることはなかったのではないかと思います・・。
そして、そのような類型化、定型化された歴史観、物語的なものが日常生活における国、地域の通史的なものとして広く認識、定着すると、より俯瞰的、普遍的な視座から述べられる歴史観と反りが合わなくなり、同じ時代のことに関しても解釈が異なってくるのではないかと思います・・。」

A「・・はあ、それはたしかにそうですね・・。
昨今の周辺諸国との歴史認識についての食い違い、領土問題などについても根源には、そうしたことがいえるのではないでしょうか?
しかし、それらの歴史認識の普遍性とは、どのようにして得られるのでしょう?
あるいは、世界規模において共有され得る認識と為すことができるのでしょうか?
基本的にそうしたことは歴史研究者といった専門家の仕事ではあるのでしょうが、我が国の場合、あまり普遍化され得ない特殊、限定的な歴史観が変に時流に合わせて流行するといったような傾向があるのではないかと思います・・。
昨今、いくつかのテレビ番組、雑誌特集記事などを見てみますとそのように感じることが多くあります・・。つまり、我が国においては普遍的な歴史観を日常生活レベルに持ってきて考察するというクセが少ないのではないかと思います・・。
また、それがあったとしても、それはあくまでも経済的な側面のみであることが多いのではないでしょうか?そして、そうしたものの多くは定期的に巷に流布される様々な「陰謀史観」と結びつき易いのではないでしょうか?」


B「・・・ええ、昨今の我が国を巡る幾つかの国際的事案から歴史認識の重要性を国全体として気付いたというような感じも受けるのですが、これもさしずめ一過性のものであり、まあ5年程度経つとキレイに忘れているのではないでしょうか・・(苦笑)?
そして、これは以前に読んだ中井久夫の微分、積分回路についての記述を想起させます・・。そうしますと、つまり何というか、我々日本人とは良い悪い以前の特徴、傾向として、微分回路にのみ特化したような特徴、傾向を有しているのではないかと思います・・。しかし、こうした特徴、傾向とは、おそらく近代以前においては特に顕著に見られないものでした・・。もちろん、それは日本が主に西欧諸国によって編纂される国際的な歴史にあまり参画してこなかったことによるのですが・・。しかし、そうしますと西欧的な基準を採用する歴史に批准しないと、国際社会において通用しない、普遍的な意味での歴史観は得られないということになるのですが、そうしますと、今度はそれはそれで、何らかの事実、真実から離れた恣意性を感じてしまうのですが・・あたかも昨今締結された条約のように。」


A「・・学問における普遍性とは極めて重要な要素であり、特に理系学問分野においては、それが国際性を保持するために欠かせないものであるのですが、一方、文系学問分野における普遍性とは、さきほどの歴史認識の食い違いのように、なかなかスムーズに行かないのではないかと思います・・。そして、そうしたことは国際的な問題であると同時に国内の地域間においてもある程度同様のことがいえることではないかと思います・・。」

B「・・なるほどねえ・・また、それに加えて、様々な歴史的出来事の真相そして深いほうの深層が、学問的な意味での普遍性と、決して安直に結び付くことがないというのが、何とも皮肉なことですね・・。」


A「ええ、そうした意味において過去を扱う学問とは、難しく、また昨今声高にその必要性が叫ばれている情報リテラシーとは、こうしたことに関心を持ち続けることにより、徐々に社会に定着してゆくものではないかと思いますが?」

一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。

2016年1月25日月曜日

20160125 政体の平均寿命、易姓革命、源平政権交替思想などについて

A「一応今回記事を作成して投稿すると丁度200回目となるわけですが、動画サイトからの投稿も幾つかありますので、今後も引き続きこの調子で記事を投稿し続けようと思います。ともあれ、一日の閲覧者数は相変わらず100~200人程度のままです・・。これは私としては上々の出来であるとは思うのですが、内容の大きな変化を行わなくても多少閲覧者数を増加させることは出来るのでしょうか?」

B「・・さて、それはどうでしょうか?
それにAさんのブログは当初よりあまり多くの閲覧者を望めるようなものではないと思いますからね・・(笑)。
ですから、とりあえずこのまま書き続けてみて、また閲覧者数のケタが増えたりした場合、はじめてそういったことを考えれば良いのではないでしょうか?
しかしそれはそうと、最近何か変ったことはありましたか?」

A「いえ、相変わらずです。
とはいえ、現在もまたいくつか応募しております・・。
それらのうちのどこが私を採用していただけるかはわかりませんが、もし採用していただけましたら熱意を持って真摯に職務に取組んでゆきたいですね・・。」

B「そうですか・・今後Aさんがどのような仕事に就くかはわかりませんが、そろそろ落ち着いてみるのも悪くないのではないかと思いますが・・。」

A「ええ、それは仰るとおりであり、また私もそのように望んでいるのですが、しかし周囲の状況を考えてみますと「どのような仕事、職務に就くのがよいのだろうか?」とも考えてしまうのです・・。」

B「ううむ、しかしそれよりも、どういった仕事に就けばAさんのこれまでに得た経験等のより多くを生かすことが出来るのかと、能動的に考えた方が良いのではないでしょうか?
そちらの方が結果的に仕事に対し能動的、積極的に取組めると思いますし、また持続可能性も高まるのではないでしょうか?」

A「それはたしかにそうなのですが、同時に様々な仕事を巡る状況もまた重要なのではないかと思います。
実際、今後様々なものに取って代わられると考えられている仕事、職務も色々と論じられていますし・・。
そして、そういったものの中には、一般的に決して単純な仕事と思われないものも含まれていますから・・。」

B「・・ああ、それもたしかにそうですね・・。
Aさんは既に御存知であると思いますが、昨今普及しつつある3-Dプリンター、CAD・CAM装置などにより歯科技工の世界などは現在大きく変化しつつあるということも聞きますからね。」

A「ええ、そうです、歯科技工などはこれまでの職人的なものから丁度変化しつつある最中ではないかと思います。
ですから、現在従事している方々が高齢化している歯科技工業界が新しい世代の手に移った時、どのような変化を遂げるかとは、我が国の様々な業界における将来像を示す一つの具体例、エグザンプルになるのではないかと考えております。
その意味において現在とは、丁度様々な意味における大きな変革期に差し掛かっているのではないかと思うのです・・。
そして、それで思い出すのは、明治維新は西暦1868年であり、そこで設立した政体は1945年の太平洋戦争の敗戦により、潰えた、あるいは大きな変革を余儀なくされました。
つまり、この1868年に設立した政体とは77年、80年未満継続したことになります。
そして、現代2016年とは、直近の大きな変革があった1945年から71年経過しています。
ですから、今後も1945年から80年未満の近い将来に現在の政体が潰える、大きな変革が生じるとはいいませんが、それでもこうした期間とは、一つの政体の平均寿命のようなものと考えてみますと、なかなか示唆するものがあり、面白いのではないかとも思います。
加えて、こうしたことは我が国を含め実生活に即した歴史などの学問、研究がある程度行われている国においては、何かしらの深い洞察に基づいた知見があるのではないでしょうか・・?」

B「・・一つの政体の平均寿命ですか・・。
そうしますと何だか古代中国の易姓革命あるいは我が国の太平記などで描かれている源平交替思想などを彷彿させますね・・。
しかし、これを現今の我が国社会に適応してみると、具体的にどのような変革がどのような形で生じるのでしょうかね?
また、それはともかく現在の国際化の波は今後も進展するであろうし、また少子高齢化も同様でしょう・・そうしたなか、我が国は国際的にはどのような態度で臨み、また国内においてはどのような施政を行うのが良いのでしょうか?」

A「・・とりあえず国際的な態度は置いておいて、国内では、まさに施政者側と我々一般国民が向いている方向が違っていること、つまり同床異夢であることがまさに問題であるのではないでしょうか・・?
これがかつての時代であれば施政者側は恣意的な情報操作により、自身の施政に都合の良い状態を物語的に広め、一応国民の大部分はそれを納得していた(させられていた)と思うのですが、戦後、特に情報化の進んだ現在の状態とは、そうした施政者側の情報操作の手練手管がなかなか効かない、通じなくなってきたのではないでしょうか?
そして、そうした現在の状態とは概ね、様々な科学技術の進化発展によるものでしょうが、一方それを受け取る側である我々の情報の取捨選択の能力、つまり様々な情報を適切に解釈しているかが大きな問題なのではないかと思います。」

B「つまり情報リテラシーの向上であると思いますが、そうしたことは国内では丸山真男また海外ではカール・マンハイム、オルテガ・イ・ガセットあたりが類似したことを各々著作で述べていたと思います。
ですから、情報リテラシーに関する問題とは、近代に産業革命を遂げた国、社会においてある程度普遍的に見られる問題なのではないでしょうか・・?
そして、その中で我が国において特に問題であると思われることはどういったことなのですか?」

A「ええ、それは度々指摘されることなのですが、我が国の近代化以降に為された変革とは、外圧に対する反応として為され、おそらく今後為される変革も同様に外圧からの反応、あるいは外からの指導下によって為されるのではないかということです。
それはたしかにこれまではそうであるのですが、今後の変革もまたそうであるとすれば、先の世代の日本人に対し大変恥ずかしく、また国際社会においても同様にかなり恥ずかしいという意見があります。
そして私はその意見に同意します。
そうしますと司馬遼太郎がその晩年に我が国の将来に対しておぼえた危惧の意味が理解できるのではないかと思います・・。
また、その危惧を言い換えると、少なくとも我が国の昭和期からの社会とは、近代以降の自身の社会の歴史に対して付け焼刃的あるいは外来思想に基づく知的スタイル、虚栄心に基づく程度の認識しか出来ていなかった、あるいは施政者側、上の世代からそうなるように指導されてきたということになるのではないかと思います・・。
そして、その危惧がある程度妥当であれば、それは今後簡単に変革することができないのではないでしょうか?」

B「はあ、なるほど・・そうすると外圧からの反応、リアクションとしての変革には能動性がなく、たとえその反応が適切であっても、それ故にその後の発展、持続可能性が乏しくなってしまうといったところでしょうか?
しかし、そうしたこと御存知でしょうがこれまで様々な方が指摘してきたことですね・・。
ともあれ、たしかに我が国の歴史を見てみますと、少なくとも全くの間違いではないと思います・・。
では、どうすればそうした危惧を良い意味で裏切ることができるのでしょうかね?」

A「・・そうですね、我々が出来ることは選挙に行き、その施政方針、各々政策に賛同できる政党、候補者に投票することに加え、様々な事柄について他者と真剣に議論をしてある種の言語の扱いの経験を積むことではないでしょうか?」

B「我々日本人は議論が苦手ですからね・・(苦笑)。
それよりも根回し、禅問答のような腹の探りあいなどの方が得意であり、重要とされますからね(笑)。
ですから、後者の「議論」に関しては仰ることは同意できるのですが、実際問題としてかなり難しいのではないでしょうか?」

A「ええ、それは重々承知していますが、それもまた教育によって漸進的にそうした能力を進化発展させてゆく以外にないと考えます・・。
また、我が国における施政者とは、古くから議論が盛んになると政治が不安定になることを知っていたために、それを遠まわしに盛んにならないような施政を行ってきて、それに対し我々はその成果を第二の天性のように体得して現在に至っているのではないかと思います・・。
ですから私は議論によって生じる不安定さとは、ある意味、社会が熱を帯び、活気をもたらすために不可欠な要素であるのではないかと考えます・・。
議論の表層に生じる怒気と見られるものは、それが本当に真剣な議論であるならば、情熱の発露であると思うのですが・・。」

B「仰りたいことはよくわかりますが、それでも本質的に我々日本人とは表層から本質を推察する癖がありますので、まあ、良くも悪くも即物的であるのだと思いますよ・・(苦笑)。」

A「ええ、分かります、そして、そうした傾向を改善するためにも教養教育と医療、理工学系学問の拡大、充実が大事なのではないかと考えますが・・。」

B「なるほど、やはり最後は教育になるのですね・・。」

A「ええ、天然資源に乏しい我が国は人材こそが最も貴重な資源であると思いますので・・結局はそこに行き着くのではないでしょうか?」

2015年12月14日月曜日

大西巨人著「神聖喜劇」第一巻 光文社刊pp.221-223より抜粋

私の「学生一般の精神には、「永遠の形而上的憂愁」か「世界苦」か、「シェストフ的不安」か、あるいは「時代閉塞の現状にたいする慨嘆」か、何か名状しがたいような物の鬱憤がある。」という少々気取ったような科白は、それでもたぶんたいてい事実に叶っていたであろう。
また私の「そういう鬱憤は、いつどんな小さなことでも契機にして爆発するかもしれないのですよ。」といういくらか示威的な言いぐさも、たぶん多かれ少なかれ事実に叶っていたであろう。

しかしそういう鬱憤は、何者かの「マルクス主義的策動」ないし「左翼的アジ・プロ」類による組織的・団体的・連帯的爆発への具体的可能性を概して持っていなかった。

生徒主事が言ったようにたしかに「その後(1931、2年以後)時代は大きく変換し」ていた。
そういう鬱憤が孕んでいたのは、むしろ主としてそれがたまたま個人的・孤立的・亜流ラスコーリニコフ的異常行為へ爆発することの具体的可能性であった。
如上の状況一般と、たとえば当時ある人文主義的思想家(谷川徹三)が青年学生(の教養問題)に関して「ニヒリズムの無関心」、「デカダンスの痙攣」などの語句をも用いつつ書いた一批評文章中の次ぎの部分などとは、内容上おおかたたがいに見合っていたのである。

新しい文化の可能が指示されている。新しい文化理想が掲げられている。そこから在来の個人主義的教養が蔑視せられるのである。さういふ意志と情熱とに生きる者にとっては教養は有閑的な社交的装飾的なものと考へられるのである。
それは生活の必需品ではない。食べられない人が沢山いる時そんなことは問題ではない。

フランス革命の当時、展覧会出品の絵を前に一市民が、それらの作品の「革命の偉大な原理を十分に表現していないことを遺憾とし」更に「彼らの兄弟達が祖国のために血を流しているその時に彫刻に従事しているとは一体何といふ人達であらう!」と嘆いたことをかつてプレハーノフの本で読んだがさういふ感情である。
そこからしてまた当時の一愛国者は、最もよい画家は国境に於いて自由のために戦っている市民達であることを熱心に証明しようとしたといふが、この感情が文化否定となり教養否定となるのである。
数年前われわれの国の若い人達の間にもこの感情を私は見た。

今日(1936年)も尚ほかういふ感情はどこかに何かの形で生きているのであらう。
従って若い人達に教養がないといふ場合には、彼らに教養への意志がない場合のあることを知らねばならない。
彼らは、できないのではない、しないのである。他の情熱と意志によって教養への意志を塞がれているのである。
最近あらためて教養の問題が取上げられているのはそれに対する反動であらう。
歴史的事実としてもフランス革命やロシア革命の直後に於ける文化否定的言動はやがて訂正された。
さういふ大きな情熱と意志とによって教養への意志が塞がれることさへ必ずしも正しくないとすれば、さういふ大きな情熱と意志とのない教養蔑視は一層正しくないであらう。
現代の青年達の示している虚無的な感情には、青年の理想家的情熱の凡て塞がれている鬱屈から由来したものがあるにしても、その表れ方に人々は好意を示さないのである。
それをもってわれわれの国にヒューマニズムの堅い地盤の欠如しているためと考へている者がある。
私もまたそれに賛する者であるが、この見地からすれば今日あらためて教養の意義が説かれなければならない。

2015年12月7日月曜日

20151205 勾玉および道具の使用法と演繹、帰納法

A「相変わらず寒いけれど、どうだい、元気でやっているかね?」

B「ええ、どうにかお陰さまでやっております。
しかし、こう寒い日が続きますと読書の方はどちらかというとはかどる様です。先日、写真集ですけれど「勾玉」を中心とした古代の装飾品のものを見ていましたら「あのデザインは一体どこから来たのだろうか?」と不図、考えてしまいましたね。あれはデザインで大きく分類しますと、大和型と出雲型になり、大和型は尾の部分がシュッとしており、二つ合わせると丁度陰陽の文様になり、それに対し出雲型はアルファベットのCの字に近いものです。ともあれ、この勾玉の祖形はどうやら弥生時代以前から東アジア及び南洋の方にも存在することから、この分岐、差異は日本列島に伝播した後に生じたものの様ですね・・。」

A「ふうん・・勾玉ねえ。
そういえば私も君からお土産で勾玉をいただいたことがあったかれど、そういわれると、あれは出雲型だったね。」

B「ええ、それは一応意識してそうしたのです。
先ほどの大和、出雲双方の勾玉の相異とは、それを敷衍してみますと、それぞれ天津神、国津神にも分類することが出来るのではないかと勝手に考え、そして我々日本人の多くは国津神、つまり天孫の末裔ではないと思われるため、出雲型の方が適当なのではないかと考え、そうした次第です。」

A「ああ、なるほど。
そういわれるとたしかに天津神、国津神は勾玉の形状のルーツにも何かしら関係あるのかもしれないね。それで私は国津神系と判断されたわけですか?(笑)
まあ、たしかにそういわれると違うともいえないね・・。
しかし考えてみると勾玉とは、もしかしたら二千年以上にわたり我々日本人が抱いてきた何かを象徴する形状なんだろうね・・。
あるいは欧米の十字架よりも古いものなのかもしれない・・。」

B「ええ、その通りではないかと私は思います。
また勾玉とは琉球、沖縄において神器として現在尚存在しておりますし、また、北方のアイヌ、蝦夷などの文化においても見られることから、少なくとも日本列島を包括する文化なのではないかと思います・・。」

A「はあ、それは知りませんでしたね・・。
そしてそれが三種の神器の一つでもあるのはなかなか面白いことですね。」

B「ええ、しかしその勾玉の持つ意味なのですが、これは先ほど少し申しましたように諸説あるようでして、統一した見解というものは未だ得られていないようです。
また、それはそれで面白い現象であると思うのです。といいますのは、この勾玉の意味についての諸説とは、日本人と神輿についての丸山真男、渥美勝などによる見解を想起させるからです。この場合、勾玉と神輿との類似点とは、双方共にある明確な物質的存在があり、それについての見解は諸説あってかまわない。しかし、ともかくそれらの物質的存在が基軸となっているということではないでしょうか?そして、そういった物質的存在を基軸とした、ゆるやかな形而上的な世界とは、日本文化の中で割合多く見られるのではないかと思います・・。こういうのは欧米社会における十字架の意味合いとは大分毛色が異なるのではないかと思います。つまり十字架の場合、その背景にキリスト教、そしてそれを成立させる観念、書物などが権威を持って存在します。
また、時代によってはその権威がリゴリスティックに過ぎることもあります。
これは宗派によって異なると思いますが「薔薇の名前」の時代背景が丁度そんな感じであったと思います。ともあれ、その点、日本における勾玉、神輿などはどうも物質的存在の方が観念などよりも先行している様な感じさえ受けるのです。つまり、欧米のキリスト教などとこれらを比較した場合、ニワトリ、タマゴの順序が逆になっているのではないかという様な感じですかね(笑)。」

A「はあ、モノが先か観念が先かでそれら内実の性格も大分変ってくるからね・・。
そうすると私が思い出すのは鋸の使い方について誰かが書いていたのだけれど、西洋だと鋸を押す時に切れて、日本だと引く時に切れるという様なことだね。その著者は「西洋と日本では何でもそういったものが全て逆さになっている。」と書いていたけれど、私はそれはさすがに短絡的であると思ったけれど、まあ面白い意見ではあるよね・・(笑)。」

B「道具の使用などは正しく身体性に属するものであると思います。そして案外こうした観念の出発点からの思索の方向性なども身体性に基礎を置いているのかもしれませんね。
まあ、よくはわかりませんが・・。」

A「うん、身体性はなかなか面白い視点であると思いますが、あとは言語の構造なども特に観念などに関しては強く関連しているのではないかな?たしか山本七平がどこかで「日本語は元来戦争などの遂行などには不向きの言語である。」と書いていたけれど、そういったことに関係あるのかもしれないね・・。」

B「なるほど、言語の構造ですか・・それもまた面白い発想ですね。そういわれますと加藤周一もどこかで「日本語とは叙情的な散文を書くのには適しているけれども、これを用いて思考する文体を書くことは簡単でなない。」といった意味のことを書いておりましたが、それも類似したものであるのかもしれません・・。」

A「叙情的な散文ですか・・なるほど。たしかにそうかもしれませんね。
そうすると今度は私は帰納法と演繹法の違いを思い出してしまうね。
つまり日本語とは、特殊、個別的な事象を詳細に多少の情感を込めて記録する帰納法における一要素の叙述などに適していて、印欧語とは、総合的、演繹的な記述に適しているのかもしれないね、少なくとも各々言語の根本においては。」

B「はあ、それは現代においては確証を得ることが難しいと思いますが、一方において、前の私のブログにおいて取上げました加藤周一が書いておりました歌舞伎とシェイクスピアの劇における科白の傾向の相違なども想起させますね・・。」

A「うん、辞書の名前で有名なgenius(ジーニアス)とは、元々言霊などの意味らしいけれども、そういったレベルにおける何かしらの違いとはやはり何かしらあるのだろうね・・。」

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