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2020年8月14日金曜日

20200813 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「私の中の日本軍」pp.354-357より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「私の中の日本軍」pp.354-357より抜粋
ISBN-10: 4163646205
ISBN-13: 978-4163646206

「しかし現実の戦場で刀剣を振うということは、実は、昔から極めてまれなことでなかったかと思う。というのは、団体戦闘における近接戦の主力兵器は、洋の東西を問わず、昔から実際は槍であって刀でない。槍は銃槍、銃剣と変化し、また、ある特別の銃槍は、銃の先に槍の穂先がつくというより、槍の柄から弾丸が飛び出す態のものであったらしいが、結局この形態の近接戦兵器は、第二次大戦まで生き残ったわけであった。日本軍の銃も全部が銃剣式だったわけではない。内地の砲兵の馭者がもっていた四四式騎銃は銃槍式で、長い槍状のものが銃身にぴたりとはりつくように出来ており、これをぐっと引き起こすと、長い一種の槍になるようになっていた。
 従って相当昔から、刀は、実質的には指揮官の「指揮杖兼護身用武器」に返歌していたことが実態であろう。これを明確に示すものが「指揮刀」で、内地で将校が下げていたのは、指揮刀であって軍刀ではない。日露戦争以来の平和は、指揮刀しか持っていない多くの将校を生み出した。戦地に行くことになって、あわてて偕行社で軍刀を買った人は、決して少なくないのである。といっても指揮刀は、多くの人が思い込んでいるように、軍刀の模造品・代用品ないしは装飾品ではなく、必需品であった。特に乗馬部隊や騎馬部隊は、これがなければ指揮できないのである。

 中隊運動ぐらいまでは、確かに中隊長の声はきこえる。しかしこれが大隊運動・連隊運動となって、各中隊の四門四車両(弾薬車)が、馬蹄のカッカッという音と車輪の轟音とを立てて走りまわると、連隊長・大隊長の声は全然きこえない。こういう場合は、ただ連隊長・大隊長の指揮刀の合図だけで、全馬全車両が、あるいは縦列になりまた横列に広がり、右にまわり左にまわり、一糸乱れず自由自在に動くのである。
 私が最初に入隊したのは近衛砲兵連隊で、これは言うまでもなく観兵式用の部隊だったから、この妙技は、まことに「人間わざ」とは思えないほどであった。その連隊運動は、自称「世界一」であったがー当時「輓馬砲兵」などというものは多くの国で姿を消していたから、本当に「世界一」いや「世界唯一」だったのかもしれない。もっともほかの師団には「キンポ(近砲)のお飾り部隊」という蔑称があったことは、予備士官学校で知ったが、今の言葉でいえば「パレード専用部隊」とでも言ったところであろう。ただ「近砲」の名誉のために言い添えれば、これは事実ではない。それどころか、彼らは他部隊に比して恐るべき過重な訓練を強いられていた。一月八日が「陸軍始観兵式」である。そのため「近衛に正月なし」が実情であった。

 何しろ「陛下の御馬前」で失態を起こせば「切腹もの」の時代だから、確かにあの妙技は命がけの猛練習の結果である「至芸」で、鬼の大松の回転レシーブをはるかに凌駕する世界的妙技だったかもしれない。ちょうど、オーケストラの指揮者の指揮棒のちょっとした合図で、全バイオリンの弓が一斉にあがるように、指揮刀の先端の動き一つで、全連隊の自由自在が動くのである。指揮刀による指示にはもちろん細かい規定があった。
 原則的なことだけあげると、垂直に高くあげてまっすぐ前に倒せば「前進」、同じく高くあげて垂直にそのまま下ろせば「停止」、右に水平にまっすぐのばして前方へ二度振れば「右前縦隊進メ」-横隊の右端から順次に行進して縦隊になる、垂直に高くあげて横に8の字を描けば「開け」-縦隊から横隊になる、等であった。
 もちろんこれはほんの一例だけで、声は聞こえないkらあらゆる動作がこの指揮刀の動きだけで行われ、それはまさにオーケストラの指揮棒と同じ働きをしていた。こういうことはもちろんタクト同様に軽くて、刃がなく、片手で、しかも馬上で自由自在に振れる飾刀でないとできない。従って観兵式に下げていくのは指揮刀であって軍刀ではないのである。

 オーケストラの指揮者は、男性なら一度はやってみたい職業だといわれるが、指揮刀一本による大部隊の指揮は、若い青年将校が、だれでも一度はやってみたいことのようであった。これはおそらく「軍国主義」とはまた別の願望であろう。同時に若者はいずれの時代でも「おしゃれ」であった。彼らとてその例外ではない。

 そこで「おしゃれの青年将校」は、指揮刀に凝った。私などは無関心だったが、俗に「ロス」といわれる、まるで安全カミソリの刃のようにうすく、振るとバネのようにビューんとしなって羽のように軽い刀身の指揮刀を、細い美しい鎖を何条にも編んだグルメット(吊り鎖)が刀帯から吊り、チャラチャラと軽い音を立てて歩くのが、当時の「しゃれ者」の青年将校の姿であった。

 しかし考えてみれば、当時は、指揮刀で指揮をするということすら、すでに「パレード」の世界にしかない時代だったのである。その時代に「立川文庫」の世界が事実として報ぜられ、それが今なお事実として通用するなら、そのこと自体が、新聞がいかに徹底的に国民をあざむきつづけて来たかの証拠にすぎないであろう。

 その効力が2メートルに及ばない刀は、すでに実戦の兵器ではなかった。それは劇画・動画の中と新聞記者の妄想の中で活躍する兵器にすぎない。もちろん「槍」は必ずしもそうはいえない。だが、当時、それを知っているはずの軍隊内にすら奇妙なことが起っているのである。

 軍刀が「日本刀の模造」という形態になったこと自体が、実はそう古いことではないはずである。ここに妙な逆コースがあったように思われる。というのは、古い将校、たとえば私の部隊長がもっていた軍刀は、日本刀型ではなく、日本刀と指揮刀とを混合したような、非常に奇妙な形の刀だったからである。日露戦争時代の絵にこの奇妙な刀が出てくるが、実物を見た人は少ないであろう。近代戦の実態を考えれば、日本刀はこのように変形して、やがて指揮刀となり、ついて地位を示す象徴となって、最終的には消えて行くのが順序だったはずである。
 だが、不思議なことに、この点だけでなく他のことでもいつもそうならない。そして何としまいには、戦闘機の搭乗員までが重い大きな日本刀型軍刀をもって機に乗ることになる。これは一体なぜであろうか。おそらくあらゆる面で「成瀬関次氏のデータ」といったものを無視し、何かをーこの場合なら「日本刀」をー絶対視して、この主張を一方的に言いまくると、それが通ってしまうという精神構造から来るのかもしれない。ある種の経済学者の主張などを聞いていると、私はいつも、何か日本刀の模造品を下げた将校を連想するのである。

 だが話を軍刀にもどそう。確かに例外はあるだろう。しかし時局はS氏の指摘する通り、ほとんどすべての者が日本刀を使用する機会がなく戦争が終わったので、その実態はだれも知らず、従って昔のままの「日本刀神話」が今も生き続けているのだと思われる。
 一方的に頭に注入された「定説」に基づく「思い込み」ぐらいこわいものはない。今もわれわれは、マスコミによってさまざまの「思い込み」をさせられていると思うが、確かに日本刀についてのある種の「思い込み」を疑わなかったという点では、私にも、ほかの人を批判する資格はないので、あまり偉そうなことは言えない。」

 
 

2017年11月3日金曜日

20171103 大和王権成立の時期について

『我が国の古代史において最大の問題とされるものは統一王権成立の時期であると云える。
しかも、その背後には歴史学的問題と同様、現今の思想的問題をも連想、示唆させるという意味において、一層この問題を(精確に)扱うことを困難にさせる。
すなわちそれは、記紀に書かれている神話、伝説をどのように認識するかという問題であるとも云える。
この問題について一つの足掛かりとなる考え方とは、山本七平によると富永仲基、内藤湖南などが述べた『古代の神話、伝説とは古い時代に向かって徐々に発達していくという加上の原則』であると考える。

それはある地方を中心として発達した政権(王権)が、成長し周囲のクニグニを征服していく時、そのクニグニの神話、伝説が征服した王権に輸入され、それが歴史的事実として述べられ、そして信じられていくということであるのだが、征服した王権の歴史とは、ある時代以降は比較的明瞭であるため、征服されたクニグニの神話、伝説とはその間に割り込ませることが困難となる。

それ故、それら神話、伝説を自らの歴史の遡った方へつけ加えていくといった傾向である。

たとえばヤマト王権と出雲との関係とは、ヤマト王権側には日本武尊の出雲健征伐という比較的歴史に近い段階の伝説の形にて伝承されているが、これが出雲では大国主の国譲り伝説として残っている(要はヤマト王権の出雲征服)。

おそらくこれは出雲がヤマト王権に完全に服属、同化された時期に出雲から大和へ齎されたのであろうが、さきの理由から、これはその時代においては置き場所がなく、歴史から遡った神代の話として記紀に収められたのではないかと考えられる。

ともあれ、そうした理由により、記紀の神代の話とは畿内を中心としないで地方、辺縁地域における神話、伝説を以ってより多く(比率的に)充たされているのではないかと考える。

また、多少の疑問もまたあるが、ヤマト王権が次第にその勢力範囲を西方に拡張した際にもっとも頑強に抵抗したのが九州の諸部族であり、我が国におけるこうした構図とは明治維新あるいは西南戦争に至るまで幾たびか繰り返されているのかもしれない。

彼ら九州の諸部族とは当時の先進地域であった朝鮮半島と早くから交易し、進んだ大陸文化を我が国に広く輸入紹介した功労者であり、また、まさに倭の真髄であるのだが、おそらくはその文化の先進者であったことがかえって仇をなし、文化的には後進地域であったヤマト王権に制圧・併呑されてしまったのではないかと考えられる。

それはあたかも北方の遊牧騎馬民族により幾度も征服された中国、同じく古代ギリシャ諸都市国家群から北方蛮族と見做されたマケドニア、あるいはドイツ諸那から東方の辺境国とされたプロイセンとの関係とも幾分類似した歴史的構図が示されるのではないかと考える。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』








2017年7月20日木曜日

20170719 読んでいた小説から思ったこと、歴史認識の方法について・・

A「昨日投稿分の記事に書きました著作は、その後かなり読み進み、おそらく本日の就寝間際の読書にて読了に至るのではないかと思われます。

その著作とは武田泰淳著『貴族の階段』であり、これは丁度2・26事件の頃(1936・昭11)の主に華族社会を舞台としたものであり、また、その書かれている世界とは、さきのブログ記事にも書いた野上彌生子著『迷路』とも類似するものであり、再読の際に、その比較を行うこともまた面白いのではないかと思われます(笑)。

ともあれ、この『貴族の階段』では、主に若い女性の登場人物たちを軸として物語が進行されるのですが、こうしたいわば『女の世界』の描写を何故、男性作家である武田泰淳が為し得ているのか、自身にはいささか不思議に思われました・・(笑)。

おそらく、これは自身の人生経験および観察力の不足によるものであると思われますが、いずれにしましても今後、自身がこうした物語を書くことはまず不可能であるように思われます・・(苦笑)。

また、2・26事件をも題材とすることから、軍隊(帝国陸軍)内の様相もまた著作内に書かれてはいるのですが、これに関しては、大西巨人著『神聖喜劇』あるいは山本七平による一連の軍隊(帝国陸軍)ものと比較しますと幾分精細に欠けるようにも思われます・・。

とはいえ、この著作とは、物語としては大変面白く、同時に、この時代の一つの様相を知る上においても有益であると思われます。

加えて、このことに多少尾鰭をつけてハナシを進めてみますと、1920・30年代(大正末~昭和初期もしくは戦間期)の概括的な歴史の流れを知るための一つの方法として、先ずマンガ『はいからさんが通る』を読み、次いでさきの『貴族の階段』に至り、そして『迷路』を読んでみるというのは、あるいはそれなりに有効ではないかとも思われますが如何でしょうか?

このことを書いてみますと、私はかねてより、こうした、どちらかというと帰納法的な方法にて歴史の流れを把握しようとする癖があるように思われます・・(笑)。

とはいえ、こうした方法によっても、ある程度の認識に達しますと、その分野の専門・学術書も特に無理なく読みこなすことが出来るようになり、またその継続によって、今度はいくつかの時代・地域に対しての認識に達しますと、次はより歴史を概括的に捉えた抽象的ともいえる哲学・思想関連のいくらかの著作をも特に無理なく自然に読むことが出来るようになるのです・・。

無論、こうした方法は時間も掛かり、面倒ではあるのですが、それでも自身としては、これが一つの歴史を知るうえの正当な手段ではないかと考えております。

また、ここまで書き、記事に登場する書籍・著者・マンガ等をリンクさせるため、インターネット検索をしていて不思議に思われたことは、さきに挙げたマンガ『はいからさんが通る』が今年の11月に新たなバージョンとしてアニメ映画化されることです・・(笑)。

あるいは私はこうした情報をどこかで見ており、ほぼ無意識ながら、このことを認識していたのかもしれません・・。

そして、こうしたこともまた、昨日投稿分の記事に書いた『シンクロニティ』と関連するものなのでしょうか(笑)?

さて、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現今に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧そしてその後の早期の復興を祈念しています。』









2017年5月16日火曜日

20170516 言語文化の背景にある社会文化そしてそこにある【圧力】

A「本日は久しぶりにホンモノの理系、技術方面のハナシを伺うことが出来ました・・。

そうしたハナシはやはり聞いていて大変面白く、また勉強になります。

また、同時に、そうしたハナシには【我々が日常的に接する】ウソや変に婉曲的な言い回しがなく、概して率直であり、聞いていて大変気持ちが良いものです・・。

こうした率直なモノの云い方『のみ』にて世の中を渡ることができれば、さぞかし気持ちが良いだろうとは思うところではありますが、おそらく、我が国の言語文化いや、その背景にある社会文化には、そうした言語の使用を封じ込める圧力のようなものがあるのではないかと思われます・・(苦笑)。

とはいえ、そうした要素もまた、我が国古来からの文化、伝統であり、またそれが我が国特有とされる『繊細な感性』とも密接に関与しているとも思われますので、そう簡単には、非難あるいは除去できるようなものではないのかもしれませんが・・。

しかし、そうであったとしても、そうした社会文化に存在すると思しき圧力に呑み込まれ、【知らずに】屈服し、自身の言語を失う、放棄してしまうことは、出来る限り避けた方が良いのではないかと考えます・・。

また、山本七平が、その著作内にて軍隊教育に関して、類似したことを述べていたと記憶しておりますが、著作では、日々生活にて用いる言語の統制、強制、徹底化により、徐々に話し方、考え方なども固定され、パターン化されてしまい、さらに、さきに述べたような古くからの社会文化による圧力も加わり、独特の社会、雰囲気(内務班)が形成されるといったことが述べられていましたが、ここまで書いておりますと、自然、大西巨人著の「神聖喜劇」が思い起こされてきます・・(笑)。

この著作は、これまでに何度か当ブログにて扱いましたが、現在、この記事を書いており、ある程度判然としたことは、山本七平著の旧日本軍(帝国陸軍)を扱った諸著作とは「神聖喜劇」を読む際の良い参考資料となることであり、また、その関係性とは、可逆的なものであるとも云えるということです・・。

そして、ここまで書いていて、次に思い起こされる欧米の著作とは、察しの良い方はお分かりになっていたかもしれませんがジョージ・オーウェル著「1984」です・・。

この著作においては意図的な言語の改変、集約化(言語の削減)の様子が書かれておりましたが、ここでも、その結果として、話し方、考え方などが固定、パターン化され、ある意味『理想的な』全体主義社会が成立するとのことですが、このことは現在の東アジア情勢を考える上において、未だなお解決されず、示唆するものが多分にあるのではないでしょうか・・?

加えて、我が国の社会もまた、決してそれを『嗤う』ことは出来るものではないとも考えますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺を襲った地震によって被害を被られた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年5月3日水曜日

20170503 思想、哲学と実際の経験・・活きたコトバとは?

A「600記事到達以降も記事作成を継続し、今回の投稿によって15回目の投稿となります。

この調子にて記事作成を継続すれば案外650記事程度までは、あまり苦もなく到達することが出来るのではないかとも思われますが、どうなるものでしょうか・・(笑)。

さて、昨日の投稿記事はあまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないのではないかと思われましたが、その予想に反し、割合多くの方々に読んで頂けました・・。

一般的に思想、哲学といったものは、我が国においてはあまり面白いものとされておらず、また、たとえその種子を学生時代に蒔かれたとしても、社会人、実社会において、その興味を失ってしまうことが多いように思われます・・。

これは今もって不思議に思うところであり、また同時に、それが我が国の西欧文化の受容における一面の限界であるのかもしれません・・。

そして、正直なところ、こうした我が国の社会における傾向とは本質的に変わることはないと思われます。

あるいは変わるとしても、それは『角を矯めて牛を殺す』ような結果になると思われますので、案外、このままの方が我が国の場合は良いのではないかとも思われます・・。

とはいえ、自身の場合もまた、ほぼ独学、耳学問に基づくものであって特に思想、哲学といったものを専攻したわけでもありませんので、畢竟この意見もまた、単なる思い込みであるのかもしれませんが・・。

しかし他方、こうして考えてみますと、我が国における思想、哲学といったものの学校、社会での伝達の仕方、つまり教え方にも、また多少は問題があるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、こうした思想・哲学といったものの知識あるいはその体系もまた、他の学問と同様、そう簡単に扱うことが出来るようになるものでもなく、むしろ、こうした形而上的なことがらを扱う学問とは、対象となるものの多くが、実体としては存在しないことから、ある程度の期間を要する学習、独学と、実際の経験を加味・化合することによってのみ、何といいますか、そうした思想、哲学のフィルターを通して事物・事象を観ることが可能となり、そして、それを能動的に言語化することが出来るようになるといった性質であるように思われます。

また、さきに述べたこととも関連するかもしれませんが、我が国の実社会においては、そうした思想、哲学のフィルターを通してものごとを観ることは、何故であるかよく分かりませんが(かなり)タブー視されている感がありますので、おそらく、その時点でも、そうした学問に対する興味の芽は概ね摘み取られるのかもしれません・・。

そういえば、このことは山本七平、加藤周一もどこかで述べていた記憶があります。

ともあれ、以上のような経緯によって我が国の文系学問分野においては大学にて得た知識・知見と実社会が大きく離れたものとなってしまっているのではないかと思われます・・。

そして、以前にもブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、この点において、上記の文系学問一般とは、少なくとも医療介護系などとは、大きく背景にある価値観が異なると評しても良いのではないかと思われます・・。

また、我々日本人とは、伝統的に即物的な世界観、つまりモノとコトバの対応関係が比較的明確な世界については明るいといった傾向があると思われますので、敢えて文系であるからといって、そうした思想、哲学を教える学部、学科を持ちたがる、あるいは当初から教えるのではなく、医療、介護、社会福祉などの実習、経験を要する学習を通じ、自然にそうした思想、哲学に興味を持つような経路、システムに多少改めてみても良いのではないかと思うことが少なからずあります・・。

現在になって考えてみますと、自身の場合もまた、そのような感じであったと思われますので・・。

根本的に思想、哲学もまた活きたコトバで語られなければ、それは空虚なカタチだけのものとなってしまい、伝達の力を失います。
そして、活きたコトバによる思想とは、実際の経験から内発的に生じるものではないでしょうか・・?

今回も、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震により被災された諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年4月25日火曜日

20170425 夢野久作・谷川健一・大西巨人を結ぶもの・・

A「本日の首都圏もまた日中は気温も上昇し、比較的過ごし易い一日でした。

さて、本日も記事作成を止めておこうと思いつつ記事の閲覧状況を確認しますと、思いのほか読まれていたことから、また記事作成に取り組んでいる次第です・・(苦笑)。

また、先日600記事に到達してからも、まさしくどうしたわけか継続的に記事作成を行い、気が付きますと既に新たに5記事以上を作成しておりました・・(苦笑)。

加えて、直近ここ数回の記事に関しては、先日来より読んでいる夢野久作の著作の影響を受けているようにも思えます・・(笑)。

そして、このように考えてみますと、自身に関しては、何かしら著作を読んでいる時の方が記事作成も速やかにそしてスムーズに為されるように思われます・・(笑)。

その点、ブログ記事作成当初の記事全般とは、それまでに読んだ著作の影響が複合的に見受けられ、また同時に、その文体とは現在に比べ、何といいますか、頑なであり、現在読んでみますと「ああ、たしかにこの文体では長い期間の記事作成は困難であろうなあ・・」といった感想を持つに至ります・・(笑)。

とはいえ、その一方で自身とは、そうした頑なな文体に未だ憧れているようなところもあり、そこから時にはそうした(頑なな)文体を用いて文章を作成するのもまた、大事ではあるまいか・・?といった、さきとは相矛盾ような感想をも持つに至ります・・(笑)。

それ故、今回に関しては、このさきの文章を敢えて頑な、硬質な文体を用いて書いてみようと思い立ちました・・。

さて、現在読んでいる夢野久作の著作とは、偶然ながら、以前抜粋引用した谷川健一の著作においてもその一部分が抜粋引用されていることをつい先ほど思い出した。

谷川健一の著作とは、我が国の歴史の裏面あるいは民俗などについて取り扱ったものが多いと云えるのだが、その中で何故、本来(独特な作風の)小説家である夢野久作著作内の文章が抜粋引用されているのかと考えると、おそらく、その著作内で述べられている内容が、我が国古来よりの民俗的あるいは伝統的な、物事に対する視座に基づく叙述が随所に為されているからではないかと考える。

無論、こうしたある意味、歴史を貫く内容を持つ叙述とは、さまざまな文字文化において見受けられるのであろうが、特に谷川健一、夢野久作間のそれを結んで浮かび上がってくる特徴的な要素とは、おそらく我々が古来より普遍的に持っていると内面においては実感しつつも、同時にそれを表出することは進化発展を遂げた現代の我が国社会においては相応しくないものとされるような、恐ろしくも残忍な要素ではないかと考える。

また、その意味において、著作の中にて上記と類似した要素が随所に認められる著述家として大西巨人が挙げられるのではないかと考える。

そして、そうした要素を文章にて抉り出し露見させるような性質とは、あるいは九州出身の著述家を含めた表現者全般において、ある程度広く認められるのかもしれない。

感覚的ではあるが、そうした、いわゆる露悪的な文章において、前出三者とは、たとえば(九州に出自を持たない)山本七平、大岡昇平、会田雄次、丸山眞男などの類似した内容を持つ文章と比較した場合、その全体的なトーンが異なるのではないだろうか・・?

そして、そこにある程度同意が為されるのであれば、おそらく、その基底にあるものとは、地方、地域独特の口語、文語を含めた言語世界ではないかと思われる。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」


2017年3月5日日曜日

20170304 久しぶりに読んだ著作から思ったこと・・

A「昨日の投稿記事は風邪気味にて作成したわりには多くの方々に閲覧して頂いたようです。

この記事を興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、明日より数日間、記事の更新を休もうと考えております。
おそらく来週後半あたりから再開しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

そういえば、昨日の記事を作成、投稿した後、どうしたわけか久しぶりに山本七平著「私の中の日本軍」を再び読んでみたくなりました・・。

山本七平をはじめ太平洋戦争に従軍された研究者、著述家による著作とは、どれも一種独特の迫力があり、たとえ用いている言語が同一であっても、現代のそれらとはどうも『次元が異なる』のではないかと思うことがあります・・。

果たして書かれた文章から、その著者の経験とはにじみ出てくるものなのでしょうか・・?

ともあれ、この「私の中の日本軍』末尾に著者と司馬遼太郎との対談が掲載されているのですが、そこで語られている内容、指摘とは、現代の我が国においても通用する大変興味深いものが多いのではないかと思われました。
興味がある方は読んでみてください。

また、対談といえば、先日、当ブログにて複数回取り上げた「俘虜記」の著者大岡昇平と「神聖喜劇」の著者大西巨人との対談を掲載した書籍を古本屋にて見つけ、立ち読みしましたが、これもさきと同様、大変興味深く、いずれ機会を見つけ購入し精読したいと考えております・・。

以前のブログ記事にても書きましたが、これら世代(太平洋戦争従軍経験を持つ)に属する著述家、研究者等がここ20年間で次々と亡くなっていくに伴い、我が国の書籍全般とは、徐徐に手頃で扱いやすい方向に、つまり軽く、そして薄くなっていっているのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、このことを書いて想起することは、以前、長年大学にて教鞭をとっている(いた)複数の知人から『今世紀に入った頃から明らかに学生の何かが変わった』という意見を聞いたことでした・・。

また、その変わった内容として印象的であったのは『感覚的にはなるけれども、多分一人暮らしであれ、実家暮らしであれ、そもそも家に書籍が、本棚がない環境ではないかな・・。』であり、これはおそらくPCの普及とも何かしら関係があるのではないかと思われます・・。

また『ゆとり世代についてはどうか?』と尋ねたところ『ゆとりを重視した教育環境でも勉強をしようと思う人については、それ以前とあまり変わっていないのではないか?ただ、全体としては、やはり影響があるように思う。』でありましたが、これもまた昨今『ゆとり教育』から大幅に国の教育方針が軌道修正されたとのことです・・。

何も知らないまま、ある世代に勝手に組み込まれ、教育され、そこからさらに勝手に評価されるのは、どうもおかしいのではないかと考えさせられます・・。

これは仕方がないことなのでしょうか?

ともあれ、そういった点からも我が国とは『ヒトが制度を作り、その後は制度がヒトを作る』とは本質的に製造業の工作機械のようにはいかないということを『敢えて知ろうとしない』のではないかと考えさせられるのです・・。

そしてイヤな見方をすれば、それが我が国の理系学問分野での優秀さの、まさしく残酷な側面であるのかもしれません・・。

また、こうしたことは、さきに挙げた方々の著作を通じ、否応なく認識するところではあると思うのですが、それでも現在のような状況であることは、その根本において一体どのような原因が作用しているのだろうかと考えさせられるのです・・。

あるいはここまでで循環論法となっているのかもしれません。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年10月30日日曜日

20161029 月間総閲覧者数20000到達 各地の名水 および書籍からの抜粋(養老孟司著「カミとヒトの解剖学」より

おかげさまで、昨日投稿したブログ記事は思いのほか、多くの方々に閲覧して頂いたようです。

また、今月も残すところ僅かではありますが、昨日の時点にて月の閲覧者総数が20000人に到達しました。

また、これまで7月より月間総閲覧者数が20000人に到達しておりましたが、今月はそのペースが若干早いようであり、このままのペースで行きますと31日には2万数千人にまで到達するのではないかと思われます。

しかしながら、以前もブログ記事にて記しましたように、ここから月間総閲覧者数が30000人に到達するまでが一苦労を要するのではないかと思われます・・。

とはいえ、現今の状態まで、どうにかこうにかブログ記事の作成を継続することが出来た主な要因とは、閲覧してくださっている皆様に因っております。

また、昨今は「はてなブログ」においても、こちらで作成した記事をコピペして投稿しておりますが、もしかすると、これもまた、何かしらの影響があるのではないかと思われます。

しかし、何れにせよ、ここまで飽きずに興味を持ち閲覧してくださっている皆様、どうもありがとうございます。

今後もとりあえずキリのいい500記事までは継続的に記事を作成するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
また、閲覧して頂いて、興味深い、面白いと思われましたら「★」・「いいね」などを押して頂きますと、大きな励みになりますので、こちらもどうぞよろしくお願いします(笑)。

さて、先日仕事にて都内某所に行きますと(この地域に出向いたことはこれまでになかった。)商店街の中に鹿児島の物産を扱うお店があり、入ってみました。

比較的新しいそのお店に置いてある商品とは、やはり焼酎がメインであり、次いでお茶、さつま揚げといった感じでした。
また鹿児島ではよく見受けられたペットボトルの「高牧の森の水」が置かれており、これは迷わずに購入しました・・(笑)。

そういえば、現在、コンビニにて購入するペットボトルの水とは、大抵の場合ファミリーマートの「霧島の水」であり、これを飲むとおそらく偽薬効果のようなものであると思われますが、何となく元気になるような感じがします(笑)。

また、都内には各道府県の物産店が多く存在しますが、私はこうしたお店に入り、その物産、商品を見ることが好きであり、また、そこでは大抵、その土地の名水をペットボトルに詰めたもの(大抵のお店にはあります。)を購入します。

そして、それらを飲み、自身とその土地の相性らしきものを感じてみるのですが、これはおそらく首都圏であるからこそ気軽に出来る自身を用いた面白い実験?ではないかと思われます・・(笑)。

さて、ここまで記していて、不図思い起こした著作、養老孟司著「カミとヒトの解剖学」からの一節(pp.225ー228)を抜粋引用し、下に示そうと思います。

あるいはこの抜粋引用部もまた、さきに述べた内容と多少関連があるのかもしれません・・。


「山本七平氏は、歴史について言う。
歴史的に見るといいましても、例えば「方丈記」を見ますと、歴史を「流れ」という自然現象のように見ているわけで、どこから来て、どっかへ流れていってしまう。

ここには「創造・終末」という発想がないわけです。

さらに興味深いのはこのときの鴨長明の見方で、彼は岸辺に立ってその流れを見ているという見方をしているわけです。

いわばこの「流れ」と自分とは関係ない位置にいるわけで、歴史を荷っている自分の生涯は、その‘‘流れ”-というと語弊がありますが―の一部分だという見方はしていないわけです。

そして彼自身は、それを横目で見つつ、出生から死亡までこの世を通過するという形で、自分自身を把握しているわけです。

そして人間が流れと共に流れているなら、それは相対的な意味での動きではなくなりますから、共に流れている人間にとっては動いていないのと同じことで、そして時間の経過とともに生まれかつ世を去るという形で個々の人や事象が把握されれば、結局は、動かない中を通過しているのと同じ意識です。

山本七平氏もそうだし、丸山眞男もそうだが、日本人には「歴史」という観点がないという指摘がなされる。

キリスト教もマルクシズムも同根であるから、そこに「流れる」歴史観と、我々の歴史観は異なって当然である。

山本氏は、日本人は「まだ足りない」でやって来たと書かれる。
民主主義がまだ足りない、福祉がまだ足りない。
歴史観がないのも事実だし、「まだ足りない」も本当であろう。

しかし、山本氏の言われる「歴史観がない」も「まだ足りない」の一種かもしれないのである。

文化というものの中に閉じこもるかぎり、あっちの文化に飛んだり、こっちの文化に飛ぶことは可能だが、どちらにも共通し、どちらをも基礎づける、「普遍」を構築することはできない。しかし歴史とは、もともと普遍を構築しようとする努力ではないのか?

人間という存在が「生まれつき、自然に」持っている道具、つまり人体と、その中に位置する脳とは、どこの土地でも、どの時代でも、ほとんど変わりはしない。

それ以外に、人間の物差はあるか。

歴史観が「ない」文化と、「ある」文化とに共通する基盤とはなにか。

「ない文化」が「ある文化」に喧嘩を仕掛けても、「ある」文化が「ない」文化を尻に敷いても、答えにはならない。
文化の興亡があるばかり。

しかも、どちらもたかだか一・五キロの脳が考えることに過ぎないではないか。

この普遍という物差を、わが国では「人」と表現するのであろう。人間とはどういうものか。

「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」と、長明は無責任なことを言う。

しかし、この先を追求しなかった方が悪い。

鴨長明の責任ではない。長明自身は、「不知」と、問題を提起しているのである。

「方丈記」にこう書かれているのを見れば、長明が人間の歴史について、無関心だったはずがないとわかる。

この文章を、一言にして尽くす歴史の定義ととることすら、不可能ではない。

問題は歴史が「あるか、否か」ではない。
歴史とはなにか、である。
あるいは、歴史の前提はなにか、である。

それはそれぞれの社会の、政治的、文化的な存在基礎と、密接に関わっている。

天皇制は歴史ではないのか。
これは生物学で言えば、「生きた化石」であろう。

丸山氏の言うように、「永遠としての現在」がこの国の歴史観であるなら、歴史観が「ない」のではなく、それが歴史観なのである。

そこでは、視覚の関与する時が、瞬間と永遠に分別される。
そして、その間をすべてが「流れる」。

山本氏の書かれるように、鴨長明が傍観者のように見えるとすれば、そこでは、視覚の特徴が明瞭に出ているからである。

「観」とは目、すなわち視覚系の機能であって、ここでは視覚が表面に出ているが、じつは長明の前提は「流れ」あるいは「運動」である。

長明の文章は、私には、むしろ流れと視覚の関係を述べようとしたと読めるのである。

「人間が流れとともに流れているなら」、確かに、ともに流れている人間どうしは相対的には動かない。それなら、流れない意識は、長明のどこにあるのか。なにかが止まっていなければ、「流れ」はない。

答えを言えば、それが長明の視覚であろう。「方丈記」の書き出しは、まさにそれを言っているのである。

ここでは、運動と水という質量、それが絶えず動いてとどまらないことを言うとともに、それが示す「形」が動かないことを、一言にして提示する。

形の背後には、視覚系がある。

長明の文章は、われわれの脳の機能に対するみごとな説明であり、時を内在する聴覚ー運動系と、時を瞬間と永遠とに分別し、時を内在することのない視覚との、「差分」によって、われわれの時の観念が脳内に成立することを明示する。

これが、ひいては歴史観の基礎を表現しているのではないか。

人はあるいはこれを、深読みだと言うかもしれない。

しかし西行や長明の時代に、哲学や理学があるわけではない。「方丈記」に存在するのは、感覚的な表現だけに見えるかもしれぬ。
しかし、本当にそうか。
人間の脳は、西行の頃も、いまも、まったく変わりはしない。
当時存在したのは、具象的な表現法のみであり、その表現法にだまされて、思考の内容まで、具象的と即断しているだけではないのか。
それは歴史における進歩主義ではないか。
後の時代ほど、人間がものがわかっているとは限らない。
哲学的には、他人の思考内容を対象とする議論は、客観的証明を欠く点で悪名が高い。
しかしそれは、表現の具象性が、内容に抽象性がないことの証拠にもまたならないことを、同時に意味しているのである。」

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、そして昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」

「カミとヒトの解剖学」


ISBN:4-480-08674-9
JANコード:9784480086747




2016年10月2日日曜日

20161001 様々なお話しを伺って思ったこと・・【生きた歴史意識とは・・?】

おかげさまで9月の閲覧者数も20000人に到達しました。
これは7・8月そして今月と継続して3カ月の20000人到達となりますので、このことから一連のブログ記事を閲覧してくださっている方々が徐々にではありますが増加していることが示唆されるのではないかと思われます・・。

しかし、今後1月(ひとつき)に30000人に到達するまでが、なかなか困難な道のりではないかと思われます。

1月に30000人ということは、平均して1日に大体1000人以上の方々が閲覧しているということになりますので、これは現状(1日におおよそ400~700人、多い日で1000人以上)から考えてみますと、多少難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。

とはいえ、とりあえず記事を記し続けることにより、閲覧してくださる方々が増加すると一般的にいわれており、また、このことは私の実体験とも合致しておりますので、まあ、そうしたことはあまり考えず記事を作成し続けようと思います。

また一方で、こうした経験則・法則らしきものとは、その有効範囲があると云えますので、こうしたこともまた頭の片隅に留めておきます・・(笑)。

そして、これまで閲覧してくださっている皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて、以前もブログ記事に記しましたが、ここ最近仕事にて主に都内・首都圏の歯科医院に行くことが多いです。

そこで院長である歯科医師の先生からお話しを伺うと不思議なことに、その内容に関して共通していると思われることが多いのです・・。

こうしたことは一体何故生じるのか、その理由とはわかりません。あるいは私が先生方にそうした共通性を引出す何かしらの因子を持っているのであろうか・・?とも考えてみましたが、おそらくそれは自意識過剰であると思われます・・(苦笑)。

また、それと同時にこうした共通性を認識しますと、私はどうも北杜夫著の長編小説「楡家のひとびと」あるいはその構想のもととなったトーマス・マン著の同じく長編小説「ブッテンブローグ家の人々」といった著作を連想します・・。(後者は未だ読んでいないが・・)。

おそらく、こうしたお話しを首都圏のみならず、各地方の歯科医院にて数十件程度伺い、その記録を採り、それらを適宜合成、調整し物語と為すことにより、日本の(近代)歯科医療の歴史といったものを集約・抽象化した物語を作ることが出来るのではないかと思われました・・(こうした手法とは、あとになり考えてみますと、我が国に古くからあるのではないかと思われました。(例:ヤマトタケル))。

無論、現在の私にはその任が重すぎるとは思いますが・・・(苦笑)。

とはいえ、そうした考えが不図頭をよぎる程に、これらの伺ったお話しは含蓄および自然な歴史感覚に富むものであると私は考えます・・。

しかしながら、考えてみますと、おそらく、こうしたことは何もさきに挙げた歯科医療職種に限定されるものでもなく、たとえば、村上兵衛著の「桜と剣」あるいは比留間弘著の一連の著作などからは、近代日本陸軍(帝国陸軍)に対する現在の一般的な認識とはまた異なった認識、評価が得られるのではないかとも思われます・・。

また一方において、丸山眞男、会田雄次、山本七平、大西巨人、大岡昇平、司馬遼太郎等の近代日本陸軍(帝国陸軍)に対する視点も極めて重要であるとは思いますが・・。

そして、現代の我が国において歴史認識、歴史感覚(あるいは単に偏狭な国粋主義かもしれない)を高揚させることを意図したとも見ることができる様々な著作、映画、ドラマにおいて決定的に欠けているのは、高揚(あるいは煽情的)とは縁がない・目的としない、その時代、その職業における「日常性を活写した要素」「生きた歴史認識、感覚」といったものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の今後出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」

2016年9月22日木曜日

20160921 スランプとパンチの効いた警世的なるもの・・・

A「先日よりどうもブログ記事の良い着想が思い浮かびません・・。

これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。

そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。

そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということを伺いました。

そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。

また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。

あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。

しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。

そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。

しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。

また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。

そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
(フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)

渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?

そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。

そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。

とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。

読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。

さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。

この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。

また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。

そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月2日火曜日

20160802 地域性および抽象思考の積重ね・・★★★

A「昨日記した記事から、もしかしたら私の作成、投稿したブログ記事とは思わぬところで読まれているのではないかという推察が為されますが、それでもそうしたことをあまり気にしないで今後も記事作成を継続しようと思います・・(笑)。

さて、それと同時に最近再び直近に投稿した記事内容に関連する記事が多く読まれていることに気が付かされるようにもなりました・・。

このような感性とは、もしかしたら周り巡っているのでしょうか・・(笑)。

あるいは昨日夜に多少硬い書籍を読んだことによるのでしょうか?

先日記したように最近はあまり硬くない?地域性について書かれた書籍を読んでおりました。

そうしたものを読んでおりますと、今度はもう少しそれら内容についての具体的な事象、来歴、起因等について記された書籍を自然と読んでみたくなります・・。

まあ、概論が大抵理解出来たら各論に行くようなモデルであるのかもしれません・・。

・・いや、こうした表現とは必ずしも適切ではなく、それはある程度歴史の流れを知ったならば、今度はその背景にある各時代の人々が持っていた思想の流れを知りたくなるような、つまり抽象化への指向であるとも言い表すことが出来るのかもしれません・・。

抽象、あるいは抽象化などと書きますと、一般的に具体的でなく、分かり難い、人を言いくるめるような良からぬものといった認識が比較的強くあるのではないかと思われます・・。


しかし同時に、それを適切に行うことにより、実地に沿った的確な推論、思考が為され、そしてそれらを表出、積重ねることにより、精緻な考察を行うことが出来るのではないかとも思われます。

また同時に、これは様々な条件による実験を繰り返し、検討・考察を重ね、ようやく結論に至る理系学問分野における背景思想と親和性があるのではないかとも思われます。

そういえば、山本七平は我々日本人とは、こうした時代毎の推論、思考の表出、積重ねといった作業が苦手であり、時代の区切り毎に新たに仕切りなおすといった習性らしきものがあるといったことを記していました。

こうしたことは、民俗学でいえば古来よりの「ハレ」、「ケ」そして「ケガレ」思想の関係と表現することが出来るのかもしれません・・。

あるいは儒教における「易姓革命」思想、さらにはフレーザーの「金枝篇」に記されている古代印欧語諸族における「殺される王」といった思想とも何かしら関連があるのかもしれません・・。

とはいえ「我々日本人とは、抽象的な思想を加上的に積重ねてゆく作業が苦手であるのではないか?」という、さきの山本七平の意見とは、私自身からしますと、かなり耳が痛く苦渋の肯定を余儀なくさせる何かがあります・・。

しかしながら、一方において我が国とは世界的に見て理系学問分野が強い国であるとも考えますので「では、こうした矛盾ともいえいることは、如何にして生じるのであろうか?」と考えてみますと、どうも上手く言語化することができません・・。

さて、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。」



2016年7月4日月曜日

20160704 営利組織・ゲゼルシャフト(Gesellschaft)と共同体組織・ゲマインシャフト(Gemeinschaft)と海外文化と古墳について 閲覧者数100000人到達

A「冒頭から余談となりますが、つい先日より「はてなブログ」においてもブログ記事の公開をはじめました。

ここでの閲覧者数は未だ二ケタ代ですが、以前作成したブログ記事のなかで閲覧者の多いもの、個人的に気に入っているものをここにコピペすることにしました・・(笑)。

気が向きましたら、こちらもどうぞ読んでください。

また、今後機会、余裕が出てきましたら、それら内容の加筆修正を行ってゆこうと考えておりますが、さて、何時のことになるでしょうか・・(苦笑)?

また、ハナシは変わりますが、かつて我が国の社会科学分野の文献において
「日本の会社組織とは、会社という本来、営利の追求を目的とする、ドイツ語でいうところのゲゼルシャフト(Gesellschaft)であるはずのものが、特に我が国においては、それがゲマインシャフト(Gemeinschaft)・共同体組織、地縁、血縁社会)化する傾向がある。」
といったことが記されているものが多く見られたのではないかと思います・・。

また、山本七平のいくつかの著書などからも、そのようなニュアンスを看取することができるのではないかと思います。

ちなみに山本七平のこうした論点とは丸山眞男と被る部分が多く、そして、それを結節するものが小室直樹およびその思想であるのかもしれません・・。

ともあれ、私としては現場からの発想が根源に存在することが多い山本七平の著書に古くから親しんできました・・。
(これにはお師匠からの影響もあります・・。)


しかし一方、それら一つ一つの定点的な分析、論述および、そこからの歴史的背景への(センスの良い)飛躍そして、さらに、その分析、論述とは、丸山眞男の方が優れているのではないかと思うこともまた少なからずあります・・。
これを読んでくださっている方々はどのようにお考えになるでしょうか・・?

さて、それはさておき、さきに述べた我が国における様々な営利組織であるゲゼルシャフト(Gesellschaft)の共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)への変化の現象とは、特に現在においては、その「逆流」が生じているような漠然とした感じを受けます・・。

おそらく、これは現在様々なところにて報じられている格差の拡大、格差社会化などとも少なからぬ関連性があるように思います。
あるいは結句、こうしたものは、同様の現象に対する異なる視点であるのかもしれません・・。

また、こうした社会的な潮流とは、少なくとも我が国においては、国外の圧倒的な力、を持つ文明、何らかの国際的な強い傾向と対峙せざるを得なかった時に特に顕著に見受けられるのではないかと思いました・・。

また、先日読んだ我が国の古墳に関する書籍において
「古来より大陸(文化)の玄関口であった北部九州地域における古墳とは、その全般的な傾向として、副葬品の豪華さに比して、墳墓自体は小さく簡素であることから、この地域においては、古墳の埋葬者である地域の首長とは、あくまでも現世における指導者であり、特に近畿、関西において見られる巨大な墳墓が造営される神性を付与されたような宗教指導者的存在ではなかったのではないか?」
といったことが述べられていましたが、この分析から、もしかすると古代首長の埋葬様式における傾向の根底にも、さきに述べた営利組織、ゲゼルシャフト(Gesellschaft)と共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)的な要素の地域における濃淡、つまり一種の地域性などが看取されるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?

とはいえ、ここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。
また、さる四月の熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年2月27日土曜日

20160227 ブログ記事を書く「意味」「意義」について

A「ここ最近は多少陽も長くなってきましたけれど、それでもやはりまだ寒いですね・・それで最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・ええ、これといって大きな動きはありません。
また何かありましたら御連絡いたします。あとは、私のブログの閲覧者数は200記事を越えてから増えたのですが、それもここ最近300~500程度で落ち着いてきました。
しかし、ほんの少し前までは1日の閲覧者数が100~200程度でしたので、まあ大幅に増えたといっていいと思います・・。とはいえ、記事の内容も大きく変化しているとは思えませんし、また先日来の風邪のためか、あまりプレッシャーを感じることも今のところありません・・。そして、このように考えてみますと、実際に文筆、著述業にて生きている方々とは、かなり大きなプレッシャーを背負っているのではないかと思います・・。
その意味で、現在の様々なことをネット上で書くことが出来る社会、仕組みとは、なかなか怖い側面もまたあるのではないかと思います・・。」



A「ふうむ、舌禍、筆禍というようなことですね・・。口語であれ、文語であれ、言葉とは、なかなか難しいところがありますからね。ですからBさんの一連のブログにおいても、とらえ方によっては筆禍につながりかねない部分もまたあるのではないかと思います・・。とはいえ、今までのところ、私が見る限りにおいては、Bさんのブログにはそこまできわどいことは特に書いていないと思います・・。しかし一方、方広寺の釣鐘の碑文から天皇機関説にいたるまでの揚げ足取り的、あるいは別件逮捕的な「すり替え」「見立てる」というような性質とは、昨今のネット社会の進化発展に伴い、外国においてもリアルタイムに、ことのはじまりから経緯、終息まで把握、認識できるようになったのではないかと思います。そこで外国の方々は、そうした我々の社会での出来事を一体どのように見ているのでしょうか?また、こうした出来事に対する観察、指摘とは、日本滞在の長い外国の方々が著した記録などにおいても、時折見受けることができると思います。しかし、我が国はそうした記録を過去のものとして忘却の彼方に追いやり、また同様の行動をとっているということは、ノモンハン事件におけるソ連側の、そして太平洋戦争時の南太平洋戦線におけるアメリカ軍側の日本軍に対する観察内容と見事に符合するのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。」

B「ああ、そうした記録は私もこれまでにいくつか読みました・・。また、それと同時に、たしか山本七平がどこかで書いていたと思うのですが、我々日本人とは臨在感を重視する傾向が極めて強く、これが「場の空気」の絶対的な支配を生み出すのではないかと指摘していましたが、その意味においてはおそらく古来より現在に至るまであまり変化していないのではないかと思います。また、それに加えて海外の観察者の多くもまた、そうしたことは先刻承知であるのかもしれません・・。また、そのような視点、視座から見ますと、現在の我が国における様々な出来事、事象も「相も変わらず同じようなことを繰り広げているなあ・・。」と認識されているのではないだろうか?といった感じも受けますね・・。しかし、それだからといって、どのようにすればそうした性質、傾向を良い方向に変化することが出来るのだろうか?と考えても、それは「情報リテラシーの向上」であるとか「教養教育の拡充」といってみたところで、実際そうしたことを行う段階になって、どうもさきほどの「すり替え」「見立てる」といった感じに本質から離れた方向にスライドしてゆき、結果的にどうも当初の目的とは違ったものとなってしまうのではないかと思います。あたかもホラー映画の「フランケンシュタイン」などのように・・。」

A「・・まあ、仰りたいことは概ね理解できます・・。その意味で我々日本人とは、何といいますか観念的、形而上的な発想をすることが極めて苦手な人々であると思います・・。
しかし一方、直接感覚的な事柄に対する感覚は極めて鋭敏であり、それこそが我が国の他の国々に引けをとらない美質であると考えます。そしてこれら観念的、形而上的な発想と直接感覚的な鋭敏さが両立しえないと直覚的に考えてしまうところに先ず大きな落とし穴があるのではないかとも思います・・。」

B「・・はあ、たしかにそれら二つの要素が両立し得ないものであると断言することはできません。しかしながら、そうしたことを考える際の材料となるものが、さきに示したノモンハン事件、太平洋戦争時におけるような様々な歴史的事柄であり、それらを持って類推してみると、どうも難しいのではないかと考えてしまうのです。」

A「まあ、それはそうだけれども、そこで悲観的になってしまうのもまた、どうかと思いますので、そこで様々な形で情報を発信して、より多くの人達と、そうしたことを一緒に考えてゆく姿勢が重要になってくるのではないでしょうか?」

B「・・それは建前的には非のつけどころがない、実に立派なものであると思うのですが、その結果が現在の我が国の状況であると思いますので「少なくとも楽観視することは出来ないのではないだろうか?」というのが正直なところですが・・。」

A「・・まあそうなりますと、考えている思想云々よりもスタンス的なことになりますので、また話が多少ややこしくなってくると思うのですが・・。しかし何れにせよ、そうしたことをBさんが現在書いているブログのようにして発信し続けることには何かしら意味があるのではないかと思いますが・・。」


B「・・ええ、それはたしかにそうであると思いますが、実際のところどうなのでしょうか・・(苦笑)。そうしたことの「意味」「意義」については時折よくわからなくなることがあります・・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

2016年2月25日木曜日

20160225 2・26事件について

A「最近投稿したブログ記事の内容を見てみますとどうも、自身のブログのことを題材にしたものが多いように思いました。これは、最近閲覧者数が増えたことに対しての私なりの無意識的な反応であるのかもしれません・・。
しかし、こうした記事内容とは以前の記事に比べてみると、どうも現実的過ぎて、あまり面白くないのではないかと思いました・・(苦笑)。」


B「はあ、そういわれてみますとたしかに最近はそうした記事内容が多いかもしれませんね。
しかし、それはそれで良いのではないでしょうか?
それよりもそうした変化によって閲覧者数などは変化したのですか?」


A「・・いえ、今のところ明瞭な変化はありませんが、私の作成したブログの面白い点とは、作成している私からすれば歴史、思想ネタなどがあることによるのではないかと考えます。それ故、現在のこのブログ記事内容の傾向とは、多少変化させた方が良いのではないかと思った次第です・・。」


B「まあ、それはあくまでもAさんが決めることですから、変化させるのであれば、それはそれでいいのではないかと思いますが・・(笑)。」


A「・・そうですか、それでしたら今後少しブログ記事内容を変化させてみようと思います・・。それで先日求職活動の帰りに書店に立ち寄り、まだ多少頭痛の残る状態にて特集されている書籍を見てみましたら2・26事件に参加し処刑された磯部浅一の獄中日記が並んでおり、そこから「そういえばもうすぐ2・26事件の日だ。」と思い出しました。とはいえ、この獄中日記は私から見るとかなり過激な内容であり、これまであまり広く刊行されていなかったのではないかと思います・・。そして、そうした書籍が文庫にて刊行され普通に書店に並んでいることに多少驚きを禁じ得ませんでした・・。」


B「ああ、たしかにもうすぐ2・26事件から丁度80年ですね・・。あの事件のことについて書かれた書籍は私もこれまでに何冊か読みましたが、最近はあまり取上げられることも少ないかもしれないですね。とはいえ2・26事件が発生した時代背景などを考えてみますと、現在のこの時代とは、なかなか興味深く映るかもしれませんね・・。そういえば、これまでに2・26事件は何度か映画化されていますね・・。そうしたことから、多分あの事件とは、太平洋戦争に至るまでの戦間期における一つの大きな出来事であり、また同時に我が国の歴史における分水嶺であったのではないかと思います・・。しかし戦後直ぐの極東軍事裁判においてはあまり重要なものとして取上げられなかったようですが・・。それでも当時の社会においてはかなり衝撃的な事件であったのではないかと思います・・。」


A「ええ、私が2・26事件のことを知ったのは事件当時女学生であった祖母から聞いた話であり、その後「何故、国を護るはずの軍隊が叛乱を起したのだろう?」という疑問が生じ、当時家にあった近現代史の書籍を読み、また、同じく当時刊行された叛乱軍に参加された士官の書かれた「生きている2・26」を購入し、あまり分からないながらも熱心に読んでいた記憶があります・・。そのように、私の歴史に対する興味の中においても2・26事件とは、比較的早くから興味をおぼえたものであり、また同時に、その当時から2・26事件と西南戦争との間に漠然とした類似性を感じていたのではないかと思います・・。その後、様々な近現代史に関する書籍を読むうちに、そうした感情的な「思い」とは徐々に静的な公式のようなものに落ち着いてゆこうとするのですが、その一方で実際に歴史に参画した方々の生の声に近いものを書籍などで読みますと、また静的におさまっていたものがザワザワと動き出してくるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、歴史上の事件、出来事とは大抵そういったものではないでしょうか?とはいえ、当時の生の声のみでも歴史とはいえませんし、また同時に反省的な視点に立った鳥瞰、俯瞰的な歴史のみでもそれは歴史とはいえないと思いますので、それら視点のバランスが案外と難しいところではないかと思います・・。」


B「・・ええ、歴史上の登場人物における感情などの要素がなければ、学問としての歴史の面白さはかなり少なくなると思います・・。とはいえ、そういったもののみで描かれる歴史というのも、あまり深みがあるようには思えません・・。
しかし、私が最近面白いと思ったことは、日本の長編アニメ的なものにおいては、フィクションとして、そうした両方の視点が設定されてあることなのですが、それらが、どうもどこか世界史にあった(らしい)価値観、世界観から流用しているのではないかということです・・。そして、さらにそうしたアニメ世界の価値観、世界観をオリジナルのものとして認識している年代、層もまた少なからず存在し、またそれが日本のアニメブームにより世界に拡散されているというのは、面白いといえば面白いのですが、同時に「果たしてそれでいいのだろうか・・?」と多少深刻に考えてしまうこともあるのです・・(笑)。」


A「・・そうしたアニメの世界観における何といいますか文化的借景現象らしきものはあまり珍しいものではないと思いますが・・。それは江戸時代の歌舞伎においても事情は多少違うかもしれませんが類似のことはあったのではないかと思います。ですから、私が最近思うことは、それらアニメの世界観そのものよりも、その内容、物語の意図を考えることではないかと思います・・。また、そのように考えると、色々と見えてくることもあるのではないかと思います。
しかし、その見えてくるものの内容を明言することを出来るだけ避けようとするのがどうも我が国の社会の特徴なのではないでしょうか?そこには古来より我が国の文化的な伝統である「すり替え」「見立てる」といったものがあるように私は考えます・・。」

B「・・換骨奪胎ですか。何だか遠藤周作の「沈黙」の最後の章で書かれている棄教した神父の発言を彷彿とさせますが、しかし一方、見方によれば換骨奪胎そのものが、新たなものへの新陳代謝であるとも認識できますから、無限の再生は続くのでしょうが、確固たる伝統のようなものを築くことはなかなか難しくなるのかもしれません・・。ふうむ、そうすると今度は何だか会田雄次や山本七平の発言を想起させますね・・(苦笑)。」


2016年1月2日土曜日

20160101文学と社会をめぐる対話

A「新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくおねがいします。
そういえばBさんは最近引越されたのですね。」

B「どうも、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく。
引越しは職場と実家の丁度中間ぐらいが具合がいいと思いましてね・・**にしました。
それでAさんの求職活動の方はどんな感じですか?」

A「相変わらず続けております。
また数日経ちましたら、活動再開です・・。
お陰さまでいくつか面接まで進むことができましたが、やはり職務内容などが合わないと、どうも長続きしないような気がしますので・・どうも臆病、慎重になってきてしまいます・・。
しかし、ここはゼイタクをいわずに、とりあえず目先の生活の安定を目指すべきなのでしょうか?
あるいはこのままの調子で求職活動を続けた方が自分にとってより良い職を得ることができるのでしょうか?」

B「・・それはおそらくAさんの考え次第ではないでしょうか?
ただ、ひとつ思うのは、ある程度Aさん自身の裁量で仕事が出来ることが大事なのではないでしょうかね?
しかし一方、収入つまり給与がどの程度であるかという要素も考慮しなければならないことが、ことを難しくしているのではないですか?」

A「ええ、まさしくそこなのです・・。
そこで最近はそうした点を考慮して「では、私はどのような職に就くのが良いのか?」と考えてしまうのです・・。
たしかにこれまで様々なことを経験させていただきましたが、それらの中のある部分を活かした職につくのは、職に就くという意味においては良いのかもしれませんが、それだけですとどうも私の場合ダメであるような気がするのです・・。
無論こうした意見は「甘い」といわれても仕方がないとは思うのですが、一方において職務に活かせる経験の割合をより多くしたいという希望もまた自然なものではないかとも思います。
ですから、もしも今後そういった職を得ることができれば、それは丹念に職探しを行った結果の良い選択ということになります。
それ故、出来得る限り、丹念に自分に合う職を探すことは特に非難されることはないと思うのですが・・。」

B「まあ君のことを心配してくれる方々がいるのはありがたいことですよ・・。
それでも、人によってはどの様な根拠、理由によって就職を急かすのかよくわからなくなることがありますからね・・。
我々日本人のなかには自分が安泰な地位にいるときに限って他者に対して居丈高に出るような人も少なくないですからね・・。
ああいう性分とは多分今後も簡単には変らないのではないでしょうか(苦笑)。
・・しかしそうした傾向とは特に我が国特有というわけでもないのかもしれません。
たしかシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」のなかに「謙遜さは若き野心の梯子であり、梯子を登るとそれを背後に退けて見向きもしない。」というような内容があったと思いますが、それも似たようなものではないでしょうか・・?」

A「・・ああ、たしかにそういった科白がありましたね。
しかし「ジュリアス・シーザー」といえば、シーザーが殺害された後のローマ市民に向けたアントニーの演説が印象的でした。
ああした物語、劇の内容が浸透している国の国民とは、なかなか簡単に上手く騙すことができないのでしょうね・・。」

B「ええ、そのアントニーの演説については、たしか山本七平の著作で、それを扱った章がありましたね、題名はたしか「アントニーの詐術」でしたか・・?
これはAさんは既に読まれているのではないでしょうか?」

A「・・さすがによく御存知ですね。
今さっきの私の発言もその読書の記憶から出てきたものです・・。
しかし、こうしたことはBさんにはかないませんね・・(苦笑)。」

B「いやいや、丁度今の御時勢でそれを取上げるのは様々な意味でタイムリーであると思いますよ(笑)。
しかし、現代の我々の社会の何というか、そうしたドロドロした要素を描いた作品となるとどんなものがあるのだろうかね・・?」

A「はあ、それでしたら山崎豊子の作品がそういった要素が強いのではないかと思います・・。
もっとも私はそれらは原作を読んだことがなく映画、テレビドラマのみですが・・。」

B「たしかに山崎豊子の著作ではそうした傾向がありますね・・。
あとは、そうですね大西巨人の「神聖喜劇」なども、かなり日本社会のイタイところに踏込んでいるのではないかな?
それに君の昨年末のブログで取上げた大岡昇平の「俘虜記」もその点については同様であるかもしれないし・・。
ただ、不思議に思うのは、それらの作品は、我が国の中では間違いなく名作であり、また海外の作品にも決して負けていないと思うのだけれど、どうも国外いや現在ではもう国内でもあまり認知されていないのではないかなと思います・・。」

A「ええ、さすがに「神聖喜劇」はあの全五巻の英訳はかなり難しいと思います・・。
それにあの著作は様々な意味で反時代的な要素があると思いますし・・加えて多分、女性にとってあの著作は、生理的に受け付けない部分が多くあるのではないかと思います・・。
それはたしか瀬戸内寂聴が「神聖喜劇」のあとがきで書いていたような気がします。
しかしながら「俘虜記」の方はどうやら英訳で刊行されているようです。
ともあれ、この著作を海外の方々が読まれていることには多少驚きますが、同時にこの著作の海外の読者は、現在の日本の文学をどのように見ているのでしょうかね・・?」

B「うん、現在もっとも海外で一般的な邦人作家の一連著作と比べると、やはり色々違うと思われているでしょうが・・その具体的な評価に関してはよくわかりませんね・・。
そうしますと我々日本人は、海外で読まれている邦人作家およびその著作の傾向などを情報としてある程度知っておくと面白いかもしれませんし、国際関係上何かの役に立つかもしれません。
少しなまぐさくなってしまいましたが・・(苦笑)。」

A「ははあ、なるほど、それはなかなか面白い考えですね(笑)。
たしかに小説などの出版物とは、その国のリアルタイムに近い状況をニュースなどと関連しながらもまた違った視点で映し出すものですからね・・。」

B「ええ、そうですね、我々が享楽の要素と見做している文芸一般の質、傾向とは、それが本質的に享楽であるがゆえに、文化水準、社会の傾向などの正直な反映となり、ごまかしがきかないのでしょう・・。
また国外の読者の方々はそうしたものを案外我々日本人よりもノイズなしに客観的に判断している、できているのかもしれませんね・・。」

A「ううむ、それはちょっとこわいような気もしますが、たしかにそのとおりかもしれません・・。」

2015年12月30日水曜日

20151230 大岡昇平「俘虜記」およびその他について

A「一時期、収容所ものの著作をよく読んでいたと以前、ブログにて書いていましたが、その中でどの著作が面白く、また、お勧めですか?」

B「・・ええと、それでしたら大岡昇平の「俘虜記」が面白かったですね・・。それと同著者では他にもいくつか従軍経験を基にした著作がありますが、どれも興味深く読めると思います。」

A「はあ、それで具体的には、その著作「俘虜記」のどこが面白かったのですか?」

B
「・・ええ、それは主人公が米軍の捕虜となり、収容所での生活の記述とは、現代日本社会に通じる部分が多くあると思います。そしてその具体的記述の部分とはAさんが読まれた時に分かるのではないかと思います・・。加えて収容所での生活を描いた他の興味深い著作は、会田雄次の「アーロン収容所」、山本七平の「私の中の日本軍」などが挙げられます。
また、これらの著作を忠実に再現した映画など映像作品がありましたら、それはかなり効果的な現代日本社会に対する警鐘になると思います。
しかし、何故だかこれまでにそれらの著作が映像化されたことはありませんので、おそらく今後もないのではないかと思います・・。また、大岡昇平の従軍経験を扱った他の著作であり、これまでに二度映像化された「野火」は、どちらかというと個人の倫理、道徳を扱ったものであると思いますので、前に挙げた著作とは若干テーマが異なると思います。
そしてこの「野火」と類似したテーマを扱ったものとしてドキュメンタリー映画の「ゆきゆきて神軍」が挙げられます。
これは以前ブログにて記しましたが、もし興味がありましたら是非一度観てください。
ともあれ、こうしたことは、おそらく日本社会が決して良い状態とはいえない現在であるからこそ、より際立ち、そして理解できるのかもしれません・・。
まあ、その点において「俘虜記」も同様であるのかもしれませんが・・。
ただ、それらが大きく異なる点は「野火」「ゆきゆきて神軍」が過酷な戦場という極限状態でのことを主として描いているのに対し「俘虜記」は主人公が米軍捕虜となり収容所において衣食住が一応安定した状態となった後の生活の記述の方が多く、そこに描かれている収容所内での様々な様相、出来事とは、拡大、縮小してみても現代の我々の大小組織、社会において類似、共通することが多いのではないかと思います。
そして、その具体的記述とは、読者となった方が各々の感性で認識されるのではないでしょうか?
他の著作では、その具体的記述を抜粋、引用してみても良いかなとも思いましたが、この著作に関してはどうもその気が起きません・・。
その理由とは、おそらく抜粋、引用していくうちに気が滅入ってくるような要素が多分にあるからではないかと思います・・。
しかし一方、そうした要素こそが文学、小説といった一般的に有益でもなく、また実用性が少ないとされるものが持つ最大の価値ではないでしょうか?
そして、そうしたどちらかといえば人を内省的にさせる要素とは、おそらく欧米文化に起源を持つ価値観であり、それ故異なった文学、小説の歴史、文化を持つ我が国では、あまり馴染みのないものではないかと思います。
しかし、だからといって決して我が国の文学、小説の伝統が欧米に劣るものであるとは思いませんが・・。
ただ、そうした彼我の歴史、文化の相違とは、私も含め我々日本人は昔からあまりよく呑み込めていないのではないかと思うのです・・。
その意味において、この「俘虜記」とは欧米的要素を持つ、あるいは少なくとも欧米的な手法を用いた著作であると思いますね。
しかしながら、現在の我が国の小説、マンガといった読物一般とは、こうした著作が刊行された当時に比して劣化しているのではないかと思うのです。
あるいは、これが現在の国風文化のの流れなのでしょうか?
これは特に最近のマンガなどにおいて時折感じることなのですが、哲学用語・画数の多い漢字などを散りばめたものが多く見られるということです・・(苦笑)。
また、これは商品のポスターなどについても同様のことがいえるのではないかとも思いますね。
しかし、こうした難解な用語、漢字を用いたがる傾向とは、前にも記しましたが、何かしら社会におけるあぶない傾向と付随して生じるものなのではないかと思います。
また、そうした傾向と安直な反知性的、排外的な傾向が社会において併存することは大変興味深く、幕末期において興隆した国学、攘夷運動、幕政組織に対するテロが生じた我が国、あるいは戦間期における古代ゲルマン文化の復興、ユダヤ人排斥、近隣諸国に対する示威、威圧行為を行ったドイツとも類似しているのではないかと思われるのです・・。
ともあれ、こうした傾向とは、自然に発生したものではなく、様々な形での外圧からの反応としてあらわれたものではないかとも思いますが・・。
そして、この「俘虜記」の著者である大岡昇平は、こうしたことを全て知っていたのではないかと思うのです・・。
そうした知的背景における共通性が、この時代の作家、著述家、研究者の大きな特徴であり、またそういった知的背景あるいは土壌があったからこそ、様々な分野との知的交流が活発に為されたのではないでしょうか?
また、それは、当時刊行された書籍の面白さが、その状況を的確に示すのではないかと思います・・。」

A「・・・はあ、なるほど、そうですか・・では今度「俘虜記」読んでみます。どうもありがとうございます。」

2015年12月7日月曜日

20151205 勾玉および道具の使用法と演繹、帰納法

A「相変わらず寒いけれど、どうだい、元気でやっているかね?」

B「ええ、どうにかお陰さまでやっております。
しかし、こう寒い日が続きますと読書の方はどちらかというとはかどる様です。先日、写真集ですけれど「勾玉」を中心とした古代の装飾品のものを見ていましたら「あのデザインは一体どこから来たのだろうか?」と不図、考えてしまいましたね。あれはデザインで大きく分類しますと、大和型と出雲型になり、大和型は尾の部分がシュッとしており、二つ合わせると丁度陰陽の文様になり、それに対し出雲型はアルファベットのCの字に近いものです。ともあれ、この勾玉の祖形はどうやら弥生時代以前から東アジア及び南洋の方にも存在することから、この分岐、差異は日本列島に伝播した後に生じたものの様ですね・・。」

A「ふうん・・勾玉ねえ。
そういえば私も君からお土産で勾玉をいただいたことがあったかれど、そういわれると、あれは出雲型だったね。」

B「ええ、それは一応意識してそうしたのです。
先ほどの大和、出雲双方の勾玉の相異とは、それを敷衍してみますと、それぞれ天津神、国津神にも分類することが出来るのではないかと勝手に考え、そして我々日本人の多くは国津神、つまり天孫の末裔ではないと思われるため、出雲型の方が適当なのではないかと考え、そうした次第です。」

A「ああ、なるほど。
そういわれるとたしかに天津神、国津神は勾玉の形状のルーツにも何かしら関係あるのかもしれないね。それで私は国津神系と判断されたわけですか?(笑)
まあ、たしかにそういわれると違うともいえないね・・。
しかし考えてみると勾玉とは、もしかしたら二千年以上にわたり我々日本人が抱いてきた何かを象徴する形状なんだろうね・・。
あるいは欧米の十字架よりも古いものなのかもしれない・・。」

B「ええ、その通りではないかと私は思います。
また勾玉とは琉球、沖縄において神器として現在尚存在しておりますし、また、北方のアイヌ、蝦夷などの文化においても見られることから、少なくとも日本列島を包括する文化なのではないかと思います・・。」

A「はあ、それは知りませんでしたね・・。
そしてそれが三種の神器の一つでもあるのはなかなか面白いことですね。」

B「ええ、しかしその勾玉の持つ意味なのですが、これは先ほど少し申しましたように諸説あるようでして、統一した見解というものは未だ得られていないようです。
また、それはそれで面白い現象であると思うのです。といいますのは、この勾玉の意味についての諸説とは、日本人と神輿についての丸山真男、渥美勝などによる見解を想起させるからです。この場合、勾玉と神輿との類似点とは、双方共にある明確な物質的存在があり、それについての見解は諸説あってかまわない。しかし、ともかくそれらの物質的存在が基軸となっているということではないでしょうか?そして、そういった物質的存在を基軸とした、ゆるやかな形而上的な世界とは、日本文化の中で割合多く見られるのではないかと思います・・。こういうのは欧米社会における十字架の意味合いとは大分毛色が異なるのではないかと思います。つまり十字架の場合、その背景にキリスト教、そしてそれを成立させる観念、書物などが権威を持って存在します。
また、時代によってはその権威がリゴリスティックに過ぎることもあります。
これは宗派によって異なると思いますが「薔薇の名前」の時代背景が丁度そんな感じであったと思います。ともあれ、その点、日本における勾玉、神輿などはどうも物質的存在の方が観念などよりも先行している様な感じさえ受けるのです。つまり、欧米のキリスト教などとこれらを比較した場合、ニワトリ、タマゴの順序が逆になっているのではないかという様な感じですかね(笑)。」

A「はあ、モノが先か観念が先かでそれら内実の性格も大分変ってくるからね・・。
そうすると私が思い出すのは鋸の使い方について誰かが書いていたのだけれど、西洋だと鋸を押す時に切れて、日本だと引く時に切れるという様なことだね。その著者は「西洋と日本では何でもそういったものが全て逆さになっている。」と書いていたけれど、私はそれはさすがに短絡的であると思ったけれど、まあ面白い意見ではあるよね・・(笑)。」

B「道具の使用などは正しく身体性に属するものであると思います。そして案外こうした観念の出発点からの思索の方向性なども身体性に基礎を置いているのかもしれませんね。
まあ、よくはわかりませんが・・。」

A「うん、身体性はなかなか面白い視点であると思いますが、あとは言語の構造なども特に観念などに関しては強く関連しているのではないかな?たしか山本七平がどこかで「日本語は元来戦争などの遂行などには不向きの言語である。」と書いていたけれど、そういったことに関係あるのかもしれないね・・。」

B「なるほど、言語の構造ですか・・それもまた面白い発想ですね。そういわれますと加藤周一もどこかで「日本語とは叙情的な散文を書くのには適しているけれども、これを用いて思考する文体を書くことは簡単でなない。」といった意味のことを書いておりましたが、それも類似したものであるのかもしれません・・。」

A「叙情的な散文ですか・・なるほど。たしかにそうかもしれませんね。
そうすると今度は私は帰納法と演繹法の違いを思い出してしまうね。
つまり日本語とは、特殊、個別的な事象を詳細に多少の情感を込めて記録する帰納法における一要素の叙述などに適していて、印欧語とは、総合的、演繹的な記述に適しているのかもしれないね、少なくとも各々言語の根本においては。」

B「はあ、それは現代においては確証を得ることが難しいと思いますが、一方において、前の私のブログにおいて取上げました加藤周一が書いておりました歌舞伎とシェイクスピアの劇における科白の傾向の相違なども想起させますね・・。」

A「うん、辞書の名前で有名なgenius(ジーニアス)とは、元々言霊などの意味らしいけれども、そういったレベルにおける何かしらの違いとはやはり何かしらあるのだろうね・・。」

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2015年10月19日月曜日

山本七平著「存亡の条件」講談社刊pp.13-16より抜粋

一九七五年は国際婦人年ということで、婦人論とか女性論とかが盛んであった。
そして一般の誤解としては、人類の進歩とともに、近来、婦人の社会的地位は高くなっているが、まだまだ男性に及ばず、従って完全な男女同権とはいえず、「婦人は未だ解放されていない」というのが、通念であろう。
そうでなければ、国際婦人年といった「お祭り」が企画されることはあるまい。
だが婦人の地位と人類の進歩は果たして関係があるのであろうか。
また進歩とは一体、何を意味しているのであろうか。
では、男女の社会的任務が逆転し、女性が男性的役割を演じて男性的となり、男性が女性的役割を演じて女性的になる、という社会が現出したら、それは進歩なのであろうか。
「いや、そういうことは生物学的にあり得ない。従って、性差による「差別」の撤廃と両性の平等化が目的なのだ」という世論は当然に出ることと思う。そこで私は、M・ミードが指摘しているニューギニアのかつてのチャンブリ人の男女を紹介してみたいと思う。
この社会は、ちょうどアメリカ型の逆であって、儀礼的には「レディ・ファースト」ならぬ「ジェントルマン・ファースト」だが、社会の実験はすべて女性が握っている。
社会の経済的支柱は、女性による漁撈と採集と機織で支えられ、彼女らは「財布のひも」をしっかりと握っている。
そのくせ形式的・儀礼的には男性に従属していることになっており、男性の中には数人の妻をもっている者もいる。
一言でいえば、経済的には男性が女性に従属し、形式的・儀礼的には女性が男性に従属している社会なのである。
その結果、男性は文字通り女性的で、われわれの社会でいう「女々しい」という言葉がぴたりとあてはまる。
従ってこの社会では「女々しい」を意味する場合「雄々しい」」といわなければならず、「まことに男らしい男」とわれわれの社会でいわれる性格は「まことに女らしい女」といわなければ意味が通じない。
すなわち男性は、情緒的で嫉妬深く、つまらぬ口論にもくよくよし、陰口、不平、見栄、依頼心といった要素を百%もち、経済的従属を当然のことと考えて、この点には何の疑問ももたない。
一方女性は、六~七歳のころから、経済的自立のための基本的技術を厳格に教え込まれ、自立して、立派に生活して行けるように仕込まれる。
従って女性は、支配的・確信的で、厳格な管理者であるが非常に協調性に富み、情緒的不安定は全くない。
そして堂々と男性の品定めまでする。
しかし夫を働かして経済的に依存しようなどとは、絶対に考えない。共働きなどというものも存在しない。そして男性にはきわめて寛容で、彼らの競技や舞踏などを、喜んで見物に行く。同時に女性は「女だけのクラブ」をもち、「女のつき合い」とでもいうべき公然の社交機関がある。そして「男と男の友情」のような「女と女の友情」があり、公然たる同性愛もあるが、男性はそのクラブには入れてもらえない。従って「女に媚を売ろう」とする男性は、女に変装し、監視の目をくぐってそのグループに入って「気をひく」。
これはこの社会の一種の公然の秘密になっている。
ミードは「(女は男に言い寄らないが)女に変装した男には女も言い寄るさまは、他のいかなる儀式的所作にもまして、チャンブリ人の錯雑とした性の様相を示していると思う。
表面的には男は、家主・家族の長で、数人の妻を持つことさえあるが、実際の権力と指導権は、女の手にある」と記している。
結局「男性的」「女性的」といわれる要素の大部分は、後天的に、社会的任務によって決定されるものであり、「女はつくられる」なら「男もつくられる」のであって、それは決して永久不変のものではない。
一体、彼らの社会は、なぜこうなったのであろうか。歴史のはじまりからそうだったのか。それとも、このチャンブリ人だけ、例外的に生物学的な性が逆転しているのか。
もちろん、そうではない。この社会も、イギリスの植民地となるまでは厳然たる男性中心の社会であった。男は支配者であり、戦士であり、部族を守り、家族の生命と財産を保護する重要な任務があった。しかしイギリスの統治とともに部族間の戦争が禁止されると、一転して彼らは単なる儀礼的任務しかもたない、社会の「装飾品」となってしまった。
そのため実質的逆転が生じたのだが、この転換はおそらく二世代ぐらいの短期間に完了したはずである。男性が戦士以外に社会的任務をもたず、その任務が「イギリス占領政策ニューギニア憲法第九条」で一挙に急激になくなったので社会的な存在理由を失い、「装飾品」として存在するだけになってしまったので装飾品としてしか扱われなくなった、これが以上の状態の簡単な図式化である。これを見ると「日本ほど社会の変化がはげしい国はない」という言葉は、修正しなければならないとともに、将来、これくらいの変化がさらに起こっても不思議ではないようにも思われる。同時に、男女の性格差といった、生物学的宿命のように考えられているものが、意外にそうでないこともわかる。かつての、日本男子と大和撫子といったイメージが、もう一世代で完全に逆転したとしても、またその逆方向にさらに再逆転しても、別に驚くべきことではあるまい。しかしそうなった場合、それが果たして進歩といえるのであろうか、日本がチャンブリ型社会になった場合はもちろん、その逆になった場合も、果たして進歩という概念にあてはまることなのであろうか。
存亡の条件 (講談社学術文庫 394)
存亡の条件 (講談社学術文庫 394)
ISBN-10: 4061583948
ISBN-13: 978-4061583948
山本七平






















山本七平著「存亡の条件」講談社刊pp.35-40より抜粋

山本七平著「存亡の条件」講談社刊pp.13-16より抜粋
とあわせて読んでみてください。

前章の最初に記したように、チャンブリ人の社会は、イギリスの影響を受けて一変した。
だが、いうまでもなくイギリスは、チャンブリ人の社会における男女の役割を一変させようとして、その政治的影響力を行使したのではない。
従ってその変化は、イギリスも予期しない一種の波及的効果だったといえる。
こういった波及的効果は、異なった二文化の接触の際必ず起こるものだが、それらの多くは、社会の機構がチャンブリ人のごとく単純明確でないため、だれにでも明確にわかる表面的現象にならず、逆に、内攻してしまう。

前述のように、戦後の平和憲法の一部は、チャンブリ人への、イギリスによる部族間の戦争禁止と似た面がある。
もちろんアメリカの意図は日本の精神面・物質面における完全な武装解除であり、それ以外に彼らは何も意図していなかったと思われるが、それが、彼らには考えも及ばなかった波及的効果を全日本に与えたところで不思議ではない。
もちろん同じ現象は、もっと複雑な形で明治にもあった。
そしてその波及的効果はさまざまに作用し合って、チャンブリ人の社会に見られるとはまた形の違った一種の倒錯を生んだ。
これは政治的・社会的倒錯と呼ばれるものかも知れない。
その焦点は後述するように「現人神天皇制」があるわけだが、それらに進む前に、二つの文化の接触による二重基準から身動きができなくなって滅亡した一例の、今に残る詳細な記録の一部を紹介しよう。

それは二〇〇〇年前のユダヤ民族の滅亡であり、それを記したのは、フラウティウス・ヨセフスという一ユダヤ人である。

では「民族の滅亡」とは何なのであろうか。
人間が消えることではあるまい。
多くの、滅亡した民族の生物学的子孫は、他の民族の中に今も生きている。
「歴史としての聖書」の著者ケラーは、民族を、全人類という巨大なオーケストラの中の各メンバーと規定し、民族が滅びるとは「有史以来つづいている人類の文化という一大交響曲の中から、その民族という楽器の音が消えること」だという意味のことを言っている。
そう言えるかもしれない。
確かに人間は残るが、民族としては、沈黙して消えてしまうのだから―。

では、民族は、どうして滅びるのであろう。
「敗戦で民族が滅びることはない」という言葉は、今では自明のことであろう。
これは太平洋戦争によって獲得した貴重な認識の一つである。
ではなぜ民族は滅びるのか。
さまざまなケースがあり、いろいろな診断が可能であろう。そこで私はここに、史上稀に見る詳細さをもつ、ある民族の志望診断書を提示し、われわれの自己診断に一助としたいと思う。

「われわれの都はかつて繁栄の極に達したのち、最も深い災いの淵に転落した・・・。私の考えでは世界が始まって以来のいかなる悲運もユダヤ人のそれとは到底比較にならない・・・。しかもその責任をいかなる外国人にも求めるわけにはいかないからこそ、悲しみを押えられないのだ・・。」(ヨセフス「ユダヤ戦記」Ⅰ(3))

自国・自民族の滅亡を、まるで「臨終に立ち会った臨床医」のような態度で書き記したファラウティウス・ヨセフスという不思議な人物は、紀元三七~三八年ごろ―イエスが十字架に架けられた七、八年後?―にエルサレムに生まれ、紀元一〇二~〇三年ごろローマで死んだ。
その生涯自体が一つの「小説」といいたいほど数奇なものだが、その要約は後に回し、彼の残した実に稀有な著作について少し記そう。
なぜ稀有といえるのか。
通常滅ぼされたものは記録を残さない。
歴史はほとんどすべて勝者の手で記される。
確かに勝者が敗者を言及し、また敗者が勝者の不当をなじる悲痛な叫びをあげることはあっても、前述のように臨終に立ち会った臨床医の目」で、自民族いわば自らの死の「死亡診断書」を記したものはいない。
確かに傍観者の記録ではあるであろう。
しかし、傍観者は、その病人を救おうと悪戦苦闘した臨床医ではない。

前述のように、彼は、自民族の滅亡を「その責任をいかなる外国人に求めることもできない滅亡、すなわち一種の民族の自殺乃至は自らの招来した当然の帰結と見ても、不当にローマ軍に蹂躙された一小国の悲劇とは見なかった。
戦争による敗滅は一種の清算もしくは火葬にすぎず、それ以前に、民族はすでに破産し、死屍化していたと彼は見たわけである。

では一体何が一民族を破滅させ、以後二〇〇〇年の流浪と迫害を招来させたのであろうか。
そこには何か「滅亡の原則」のようなものがあって、その原則通りにすれば、いかなる民族も同じような道を歩むのであろうか。
私が彼の著作と同時代の関連史料から探ってみたいのはこの臨床医が見たその「滅亡の原則」であり、同時に、彼の「診断書」を正しいとすれば、われわれもその「原則」通りに同じ道程を歩んでいるのではないか、という問題である。

ヨセフスには、「ユダヤ戦記」「ユダヤ古代誌」「自伝」「アビオン反乱」の著作がある。このうち、最も貴重なものは「戦記」だが、これはいわば略称で彼自身は「ユダヤ人の戦について」と呼んだのだが、同時代はこれを「ペリ・ハローセオース」と呼んでいる。
「ハローセオース」という語は、ヨセフスの用語では、敗戦・破滅・滅亡の意味であり、従ってこの呼び名を字義通りに訳せば「滅亡について」になる。
これが同時代の読者の受け取り方だが、こういう受け取り方をされたのは、ヨセフスの心底に「なぜ、一民族が滅亡するのか」という問題意識が常にあり、それをしらずしらずのうちにも読者が看取したからであろう。
そしてそれを看取した者には、この書の奥には確かに「滅亡の原則」が意識されており、本書はそれの論証のように見えてくる。
それが、著者の表向きの意向とは別に「滅亡について」という書名を、読者がつけてしまった理由であろう。

その点、本書は、その民族に生き残る意志があるなら、最高の警告書であり、そこに表れた事例は、典型的な「反面教師像」である。
そしてこの書が、実に長い間、西欧の教養人の必読書であったことは忘れてはなるまい。
もちろん彼らは、この書を新約聖書の最も信頼できる同時代史として読んだのであろうが―しかし同時にそれは二〇〇〇年近く「こうすれば滅びる、こうすれば滅びる」と彼らに囁きつづけて来たはずである。

だが奇妙なことに、西欧化が口にされつづけた日本で、この伝統的な著作は、明治以来完全に無視されてきた。
無理もない。
というのは、明治のはじめから現代まで、日本において圧倒的なのは「興国史談」と「経国美談」だったからである。
明治のはじめにはその範は専ら西欧であり、やがてアジアに移り、戦後アメリカからソヴィエトに移って、またアジアにもどったという変化はあっても、それは筋と登場人物と舞台の設定は違っても内容は実質的には常に同じという「講談本」「通俗小説」の如くに、同じであった。
いろいろ問題になった中国報道やベトナム報道も、これを「興国史談」「経国美談」に書きかえられた通俗実話小説、すなわち明治以来の延長線上にあるものと見れば少しも不思議ではない。
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は確かに古典として翻訳出版されたが、これはあくまでも、はるか後代の一知識人の分析であっても、その滅亡の渦中にあったものの生々しい臨床医的記録ではない。
しかしそれですら、日本の読者には歓迎されなかった。
そしてこの「興国史談」「経国美談」の一世紀にわたる伝統は、ジャーナリズムまでその型にはめてしまい「さあ、興国側のまねをしよう」「その側に立とう」という形になり、さらに、次の「興国」を先取りしようという形にさえなっている。―そしてそのことも、実は「滅亡の定理」の一つだということも気づかずに。





  • ISBN-10: 4061583948
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  • 山本七平


    ニコ生トークセッション「愚民社会」大塚英志×宮台真司