A「新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくおねがいします。
そういえばBさんは最近引越されたのですね。」
B「どうも、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく。
引越しは職場と実家の丁度中間ぐらいが具合がいいと思いましてね・・**にしました。
それでAさんの求職活動の方はどんな感じですか?」
A「相変わらず続けております。
また数日経ちましたら、活動再開です・・。
お陰さまでいくつか面接まで進むことができましたが、やはり職務内容などが合わないと、どうも長続きしないような気がしますので・・どうも臆病、慎重になってきてしまいます・・。
しかし、ここはゼイタクをいわずに、とりあえず目先の生活の安定を目指すべきなのでしょうか?
あるいはこのままの調子で求職活動を続けた方が自分にとってより良い職を得ることができるのでしょうか?」
B「・・それはおそらくAさんの考え次第ではないでしょうか?
ただ、ひとつ思うのは、ある程度Aさん自身の裁量で仕事が出来ることが大事なのではないでしょうかね?
しかし一方、収入つまり給与がどの程度であるかという要素も考慮しなければならないことが、ことを難しくしているのではないですか?」
A「ええ、まさしくそこなのです・・。
そこで最近はそうした点を考慮して「では、私はどのような職に就くのが良いのか?」と考えてしまうのです・・。
たしかにこれまで様々なことを経験させていただきましたが、それらの中のある部分を活かした職につくのは、職に就くという意味においては良いのかもしれませんが、それだけですとどうも私の場合ダメであるような気がするのです・・。
無論こうした意見は「甘い」といわれても仕方がないとは思うのですが、一方において職務に活かせる経験の割合をより多くしたいという希望もまた自然なものではないかとも思います。
ですから、もしも今後そういった職を得ることができれば、それは丹念に職探しを行った結果の良い選択ということになります。
それ故、出来得る限り、丹念に自分に合う職を探すことは特に非難されることはないと思うのですが・・。」
B「まあ君のことを心配してくれる方々がいるのはありがたいことですよ・・。
それでも、人によってはどの様な根拠、理由によって就職を急かすのかよくわからなくなることがありますからね・・。
我々日本人のなかには自分が安泰な地位にいるときに限って他者に対して居丈高に出るような人も少なくないですからね・・。
ああいう性分とは多分今後も簡単には変らないのではないでしょうか(苦笑)。
・・しかしそうした傾向とは特に我が国特有というわけでもないのかもしれません。
たしかシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」のなかに「謙遜さは若き野心の梯子であり、梯子を登るとそれを背後に退けて見向きもしない。」というような内容があったと思いますが、それも似たようなものではないでしょうか・・?」
A「・・ああ、たしかにそういった科白がありましたね。
しかし「ジュリアス・シーザー」といえば、シーザーが殺害された後のローマ市民に向けたアントニーの演説が印象的でした。
ああした物語、劇の内容が浸透している国の国民とは、なかなか簡単に上手く騙すことができないのでしょうね・・。」
B「ええ、そのアントニーの演説については、たしか山本七平の著作で、それを扱った章がありましたね、題名はたしか「アントニーの詐術」でしたか・・?
これはAさんは既に読まれているのではないでしょうか?」
A「・・さすがによく御存知ですね。
今さっきの私の発言もその読書の記憶から出てきたものです・・。
しかし、こうしたことはBさんにはかないませんね・・(苦笑)。」
B「いやいや、丁度今の御時勢でそれを取上げるのは様々な意味でタイムリーであると思いますよ(笑)。
しかし、現代の我々の社会の何というか、そうしたドロドロした要素を描いた作品となるとどんなものがあるのだろうかね・・?」
A「はあ、それでしたら山崎豊子の作品がそういった要素が強いのではないかと思います・・。
もっとも私はそれらは原作を読んだことがなく映画、テレビドラマのみですが・・。」
B「たしかに山崎豊子の著作ではそうした傾向がありますね・・。
あとは、そうですね大西巨人の「神聖喜劇」なども、かなり日本社会のイタイところに踏込んでいるのではないかな?
それに君の昨年末のブログで取上げた大岡昇平の「俘虜記」もその点については同様であるかもしれないし・・。
ただ、不思議に思うのは、それらの作品は、我が国の中では間違いなく名作であり、また海外の作品にも決して負けていないと思うのだけれど、どうも国外いや現在ではもう国内でもあまり認知されていないのではないかなと思います・・。」
A「ええ、さすがに「神聖喜劇」はあの全五巻の英訳はかなり難しいと思います・・。
それにあの著作は様々な意味で反時代的な要素があると思いますし・・加えて多分、女性にとってあの著作は、生理的に受け付けない部分が多くあるのではないかと思います・・。
それはたしか瀬戸内寂聴が「神聖喜劇」のあとがきで書いていたような気がします。
しかしながら「俘虜記」の方はどうやら英訳で刊行されているようです。
ともあれ、この著作を海外の方々が読まれていることには多少驚きますが、同時にこの著作の海外の読者は、現在の日本の文学をどのように見ているのでしょうかね・・?」
B「うん、現在もっとも海外で一般的な邦人作家の一連著作と比べると、やはり色々違うと思われているでしょうが・・その具体的な評価に関してはよくわかりませんね・・。
そうしますと我々日本人は、海外で読まれている邦人作家およびその著作の傾向などを情報としてある程度知っておくと面白いかもしれませんし、国際関係上何かの役に立つかもしれません。
少しなまぐさくなってしまいましたが・・(苦笑)。」
A「ははあ、なるほど、それはなかなか面白い考えですね(笑)。
たしかに小説などの出版物とは、その国のリアルタイムに近い状況をニュースなどと関連しながらもまた違った視点で映し出すものですからね・・。」
B「ええ、そうですね、我々が享楽の要素と見做している文芸一般の質、傾向とは、それが本質的に享楽であるがゆえに、文化水準、社会の傾向などの正直な反映となり、ごまかしがきかないのでしょう・・。
また国外の読者の方々はそうしたものを案外我々日本人よりもノイズなしに客観的に判断している、できているのかもしれませんね・・。」
A「ううむ、それはちょっとこわいような気もしますが、たしかにそのとおりかもしれません・・。」
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