こちらの投稿記事以前から、南紀や紀伊田辺を記事題材としてきましたが、現在考えてみても、南紀・紀伊田辺での生活の中に私にとっての「転機」があったと思われます。そして、それがどのようにして「転機」として作用したのかと考えてみますと、やはり、異文化に放り込まれたことから生じる違和感やギャップのようなものが、少なからず作用したのではないかと思われるのです。
では、その「違和感やギャップ」とはどのようなものであったのかと思い返してみますと、それは以前の投稿記事において何度か述べてきたことではありますが「自分の国の古い時代のことをほとんど知らない・・」と痛感したからであると云えます・・。
他方で、これと丁度同じ頃、人文系の師匠から、ご自身による記事が載った別刷りやクラシック楽曲のCDなどを送ってくださることが多く、それらに書かれている、主に西欧文化に関しての記述は大変興味深かったのですが、しかし、それは私が住んでいた南紀にいて学び、深めることは困難であると思い「では、それに対して私も身近な興味を持っているものを・・」と考えていたところ、古墳などの遺跡に対してがそうであることを知り、近在の古墳をいくつか訪ね、そして、それらについて書かれた著作を入手して読んでみたところ、比較的身を入れて読むことが出来て、これまで知らなかった分野の知見を少しずつではあれ、深めるようになっていきました。
このときに多く参照した著作が保育社刊行で森浩一監修による「日本の古代遺跡」シリーズの和歌山編でしたが、その中で面白いことに、著作内での地図には記載がある古墳で、その近くと思しき場所にまで行っても実際に存在するか分からない古墳がありました・・。
このときに多く参照した著作が保育社刊行で森浩一監修による「日本の古代遺跡」シリーズの和歌山編でしたが、その中で面白いことに、著作内での地図には記載がある古墳で、その近くと思しき場所にまで行っても実際に存在するか分からない古墳がありました・・。
現在ではネット上に、この古墳についての説明や画像なども掲載されていますが、当時はそうした情報はありませんでしたので、一人で休日に自動車を走らせて、その古墳を探しに出たところ、海に少し突き出た半島状の鬱蒼とした林の中にそれは実際にありました。石室正面の玄門には、動かされて出入りは出来るようにはなっているものの、往時に用いられたであろう閉塞石が未だ残り、何だか天岩戸神話を彷彿とさせました・・。
この時は蒸し暑く、そしてあちこち蚊に刺されつつ見つけるに至ったと記憶していますが、同時に古墳を自分で見つけることが出来た喜びで、かなり昂奮していました・・(笑)。
この時は蒸し暑く、そしてあちこち蚊に刺されつつ見つけるに至ったと記憶していますが、同時に古墳を自分で見つけることが出来た喜びで、かなり昂奮していました・・(笑)。
しかし、こうした発見は、地域自治体が古墳などの文化財整備に注力するようになると、かえって少なくなってしまい、さきのような昂奮や感動などは減衰してしまうように思われるのです・・。そうした意味から、文化財の保護などは、その対象が持つ性質から、どのように保存するのが適切であるのかを考えることもまた重要であるように思われました。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
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