2017年12月25日月曜日

20171224 知見・見解が組み立てられる過程・・実験、知覚的な経験、観察

おかげさまで昨日分の投稿記事は投稿翌日であるにもかかわらず多くの方々(85)に読んで頂けました。読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。

さて、今回の記事投稿により総投稿記事数が850に到達します。そして年内の記事投稿はこれにてひとまず止め、休息を取ろうと思います。

次に記事作成を再開するのは来年にしようと考えていますが、一方でこうしたことはあまり予め決め過ぎず、年内であろうとも、何かしら着想が浮かんだ、面白い文章を見つけた場合は、その都度記事作成を行おうとも思います・・(笑)。

ともあれ、どうにか以前から目標としていた年内の850記事へ到達したことは『喜ぶ』というよりも『安心した』といった感じであり、また現在作成している投稿記事においても緊張することはなく『さて、何を題材として記事を作成しようか?』といった感じにてPCに向かっています・・(苦笑)。

そういえば、昨日投稿分の記事とも関連するかもしれませんが、実験を伴う理系諸学問分野における知見とは、その根本において普遍性あるいは再現性が要求されます。

一方、人文社会科学分野におけるそれとは、無論、普遍性は重視されるものの、その再現性とは必ずしも担保し得ないことから、その学問的性質とは自然と理系学問分野のそれとは異なったものとなると云えます。

このことをもう少し考えてみますと理系学問分野においては、さまざまな指標が数値化され得ることが求められ、そして、それら数値の比較・検討などにより知見・見解が組み立てられていくと云えます。

一方、人文社会科学分野におけるそれ(比較・検討される指標)は、必ずしも数値化され得るものばかりではなく、あるいは多くの研究内容においては再現性もまた当初より望むべくもないことから、数値を以って表現される量的な情報よりも、質的とも評し得る知覚的な経験の情報により知見・見解が組み立てられる傾向が強いと云えます。

しかしながら、理系学問分野とは冒頭にも述べた通り、多くの場合、実験を伴うものであり、それにより数値化され得る量的な情報を入手することが出来ると云えます。

くわえて、ここがおそらく重要であると思われるのですが、この実験とは、単に数値化され得る量的な情報を入手する手段であるばかりでなく、人文社会科学分野における(質的とも評し得る)知覚的な経験の情報をも得る手段であるといった側面もまたあるのではないかと思われます。

また、その際に重要であるのが『観察』であると思われるのですが、実はこの『観察』の精度を洗練・向上させることこそが理系・文系問わず全ての学問研究においてより多くの努力が費やされるところではないかと思われます。

そして、おそらく多くの現象に対する『観察』とは、書籍文献の読解とも浅からぬ関連性があるのではないかと思われます。

それ故、あくまでも私見ではありますがSNSなどとは、ある種の便利さを我々に供給すると同時に、少なからず人間精神の発達を阻害するような要素があるのではないかとも思われるのです・・。

少なくとも国内における出版物全般とはSNSの使用が現今ほど広汎になる以前の方が優れていたのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。