おかげさまで昨日投稿分の「「 異郷の地に住むこと」について思ったこと」は、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1457記事となりました。もちろん、これはキリの良い数値ではありませんが、同時にこのペースにて記事作成を継続しますと、来る2月には、どうにか1465記事まで到達することが出来る目算が立ちます。
そうしますと、現在目標としている1500記事まで、残り35記事となり、そして今後さらに2日に1回程度の更新頻度にて継続しますと、4月頃には、どうにか1500記事まで到達出来るようにも思われてきます。
さて、どこかのサイトにて「ブログは1000記事書いてからが勝負だ」と書かれていた記憶がありますが、自身の経験に基づいて考えてみても、この記述は全くの間違いではいないように思われます。
自身のブログ記事作成においても、1000記事以降で更に書き続けるのが、それ以前よりも苦しかったと云えます。それは「閲覧者数が変わらずに少ない」といった外的な理由であるよりも「内から湧いてくる力の減衰」と評して良いと考えます。
つまり、ある程度の目標(1000記事)の達成後は、否が応でもいくらかは「燃え尽き症候群」となるのか、さきの内からの力が減衰し、その上でも書き続けることは、以前と比べますと、いくらか苦痛であったと云えます。
しかし、それでも休みを挟みつつ書き続けますと、また記事作成の波のようなものに乗ることが出来、そこから100記事、200記事と更に積み重ねていくことが出来ました。また、そうした過程にて時折不図、気が付くことは、以前よりも記事の作成が速くなり、また、自然な文章が書けるようになってきていることであり、こうした感覚は、自身の文体の確立とも、いくらかは関連があるように思われますので、今後も注意して行きたいと考えています。
そして、今後1500記事程度まで作成しますと、現在よりも、もう少し「読める」文章を作成することが出来るのではないかと期待されるのです・・。
そういえば、先日、宮台真司著「サイファ覚醒せよ!」を読んでいたところ、文中に「表現と表出の違い」について書かれており、これは、継続的なブログ記事の投稿をしている自身からしますと、大変興味深いトピックであり、以前であれば一記事投稿しますと、それなりにスッキリとした感じがありましたが、さきに述べた1000記事到達以降しばらく経ってからは、記事投稿を行っても「スッキリ感」を感じない時も多々あり、それは書籍からの抜粋であるか、オリジナルの文章であるかの違いではなく、未だ自身の意識ではよく分からない内的なところに原因があるように思われます。
そしてまた、面白いことには「スッキリ感」があった記事の方が、決して多くの方々に読んで頂けているというわけでもなく、それは記事作成によるカタルシス(スッキリ感)が、その記事を読んで頂いた方々の数に直結はしないことであり、これは記事作成者側からしますと、理解できないため歯痒く思う半面、さらなる挑戦を惹起させるものであり、面白いと云えます。そして、このある種「混沌・カオス」を面白いと思える感覚に、次なる洗練や上達のためのカギが潜んでいるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
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