そういえば、昨日の投稿記事はどうしたわけか、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。やはり、ある程度の身なり・服装といったものも大事な要素であるのかもしれません。
しかし、最近の我が国の報道番組や、時折目にするバラエティ番組などに出演されている方々を拝見しますと、私見としては、やはり総じて、どうしても不自然に小ぎれいであると思われるのです。画面に映る外見は、伝達される情報としては、そこでの言説と同様、あるいはそれ以上に重要なものであるのかもしれませんが、過度に外見に重きを置かれているのが現在の我が国全般の傾向であるように思われます。
その背景には、地上デジタル放送の一般化やネット環境やスマホの普及といった周辺事情があったと思われますが、ともあれ、それにより、私を含めて我が国のリテラシー(読解記述力)は、やはり、以前と比べて低下したのではないかと思われるのです。
このような言説を述べますと「ネガティブな言説を吹聴して衆目を集めたいだけでは?」といった、ご意見が反応として出てきますが、しかし考えてみてください、太平洋戦争末期、我が国の軍隊が南の島々で玉砕、そして兵員装備を運ぶ輸送船も次々と撃沈されていた頃、時の我が国の政府(大本営)は、どのような内容の言説を国民に向けて流していたのでしょうか?
いや、そうした状況下においては、政府見解へのカウンター(反対意見)としてのネガティブな言説などを流したり、また、それを受容出来るような社会的素地も、既になくなっていたのだとは思われますが・・。
そのように考えてみますと、さまざまな意見を受容出来る、寛容な社会的素地とは、おそらく簡単・短期間に醸成できるようなものではなく、しかしまた同時に、醸成されていたとしても、社会での圧力などにより、思いのほか容易に滅んでしまうものであるのではないかと思われるのです。
その意味において、戦後以来、現在に至るまでの社会は、そこまで悪いものであるとは思いませんが、しかし、昨今の我が国社会を眺めていますと、我が国の持つ多くの諸性質が、どうも裏目に出てしまうことが多く、それ故、欠点が目立って、社会全体として劣化しているように見られることが多いのではないかと思われるのです。
いや、実際に我が国は前世期末頃から衰退期に入っているのでしょうが、しかし、それでも、それを認識して、新たな回復・改善策を示して実行していれば、まだ十分に失地回復の可能性も、その当初にはあったのでしょうが、現在に至っては、それは困難であるように思われるのです・・。
また、そのことを異言しますと「付加価値の創造をしなかった」ということになると思われますが、ここで、昨日の投稿記事や、さきに述べたリテラシーの低下とも関連するのですが、付加価値とは、結果的に、製品やサービスの外見にあらわれるのでしょうが、その顕現に至るまでの過程の根源には、やはり議論の営みや、それを基礎とした思想があると思われるのです。そして、これについては、近代以降、いや、それ以前からの我が国は、捨象し続けて、何やら「それらしいもの」をつくってきたのではないかと思われるのです。そして、その意味で、現在の世界情勢では、目に見える外見以前の、抽象的な思想などの重要性が、相対的に大きくなってきたように思われますので、それが、さきに述べた「我が国の諸性質の多くが裏目に出ている」につながっているように思われるのです。
そして、その変革の可能性が乏しい性質に手を加えず、将来の国際社会で我が国が一定の地位を占めて、尊敬を受けるようになるためには、国際的に活動出来る、医療介護専門職の方々を、より多く養成することが一つの有効な打開策となるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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