pp.108‐111より抜粋
ISBN-10 : 4314012005
ISBN-13 : 978-4314012003
オックスフォードの学生は一般によく勉強する。それはチュートリアルの効果が大きく、学部学生の場合でも俗にコレクションズ(Collections)と呼ばれるテストが学期ごとに行われ、学力診断が頻繁になされることとも関係する。また、学生は自分自身の意見をはっきり表明する。それはゼミナールや種々の討論会の時などはもちろん、日常会話の節々にも現れる。チュートリアルの時には、エッセイに自分の意見が入ってなければ、先生に満足してもらうことはできない。私が接した多くの学生がひじょうに幅広い教養を身につけていることも驚いたことの一つであった。特に、彼らは何人かが集まった時の話題の出し方がとても上手であり、居合わせた人すべてが何らかの興味を示しそうな話を選び、それを発展させていく。一言でいえば社交上手である。パーティーの席などではそれが遺憾なく発揮される。私も誕生日にマートンの学生を数十人招いてパーティーをしたが、ホストである私はうまく運営しようと心配するまでもなく、彼らが上手に会を盛り上げてくれた。心配は、むしろ日本酒を普段飲みつけない学生がいともおいしそうに賞味していたことであった。案の定数人が二日酔いの憂き目にあったという。
ところで、彼らの日本に対する興味は科学技術および経済に関するものが多く、文化に対しては、きわめて特色あるものとは認めながらも、いま一つよく分からない様子であった。要するに、何々会社がどんな製品を作り、どんな点に特色があるといったことはよく知っていても、中には日本が赤道の北にあるのか南にあるのか分からない学生もいた。そうはいっても、「折り紙」や「盆栽」といった言葉がすでに多くの学生の間で知られていたのは嬉しいことであった。
学生の身なりが質素な点も一つの特色であろう。また、それと同時に服装がバラエティーに富むことも見逃せない。すりきれたジーンズ、つぎのあたったセーターを平気で着、それでいて色の組み合わせなどにその人独自の個性が見られる点も面白い。夕刻になると、パーティーに行くためかディナー・ジャケットに身を包んだ学生の姿をよく見かける。特に女性が普段地味なのも、ひょっとすると彼女たちの着飾った自分たちを知っており、それができる自信が、通常の服装をかえって目立たなくさせているようにさえ思えるのである。
オックスフォードでは学生はたいがい自分の自転車を持っている。オックスフォード市には一方通行の道が多く、市中心部の道路は大半が駐車禁止であることから、自動車はむしろ不便で、図書館や研究施設に自転車で通う学生の姿が多く見られる。私が初めてオックスフォードで自転車に乗った日、これを見たある学生が、私に「ああ、君もこれで本当のオックスフォードの学生になったね」と言ったが、それほどに学生と自転車は切りはなせないものとなっている。どの学生の自転車も相当年季が入っており、前輪と後輪とが乗っているうちにバラバラになりそうな代物が多い。自動車となると、持っている学生はかなり限られる。コレッジ内に住んでいる分には、どこに行くにも自転車の方が便利だからである。しかし、外部に住んでいる学生はその限りではなお。私も大学院生の車に乗せてもらったことがあったが、これもいつこわれるか分からないような相当古いものだった。服装といい、乗り物といい、古くて多少きたなくなっても使っているのは、オックスフォードでの一つのファッションなのであろうか。
このように見てくると、オックスフォードの学生はすべて優等生と思われるかも知れないが、実はオックスフォードにはずいぶん変わった学生もいる。先に紹介した額に星のマークをつけている女子学生をはじめ、パンク・ファッションの学生もいないわけではない。また、あまりに頭が良すぎてとてもその人の発想についていけないこともあった。頭がいいといえば、私が入学した年、オックスフォードに弱冠十三歳の数学専攻の女性が入学したが、他のどの学生よりもよくでき、三年間在学しなければ卒業できない決まりがあるにも関わらず三年目に受ける試験を二年目で受けてしまった人がいた。
変わっているという点では、ドンと呼ばれるオックスフォードの先生の方が面白い。見かけからしていわゆるエクセントリックな先生がいる。真冬でもワイシャツ一枚で出歩いたり、髪の毛をいっさい切らなかったり、窓のカーテンをすべて閉めきって研究していたり様々である。しかし、総じてオックスフォードの先生はまるで歩いている字引のようにものをよく知っている。学生がハイ・テーブルに招かれても、先生方はあまりに頭が切れ知識が多いので、会話に困る学生もいるといった話はすでにした。マートンのある先生がクイズに出て、ただ一人の全問正解を遂げたなどのエピソードも伝え聞いた。オックスフォードの先生でその名のよく知られている人に、「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロル(本名はドッジソン)がいる。彼はクライスト・チャーチ・コレッジで学び、そのコレッジで数学を教えていた。「不思議の国のアリス」は同コレッジのリデル学長の三人の息女と一人の同僚とともにテムズを船で遡る際に、彼女らの頼みに応じてルイスが語った次女のアリスを主人公とする物語である。また、映画「アラビアのローレンス」の主人公ローレンスもオックスフォードのオール・ソウルズ・コレッジの先生であった。
ISBN-13 : 978-4314012003
オックスフォードの学生は一般によく勉強する。それはチュートリアルの効果が大きく、学部学生の場合でも俗にコレクションズ(Collections)と呼ばれるテストが学期ごとに行われ、学力診断が頻繁になされることとも関係する。また、学生は自分自身の意見をはっきり表明する。それはゼミナールや種々の討論会の時などはもちろん、日常会話の節々にも現れる。チュートリアルの時には、エッセイに自分の意見が入ってなければ、先生に満足してもらうことはできない。私が接した多くの学生がひじょうに幅広い教養を身につけていることも驚いたことの一つであった。特に、彼らは何人かが集まった時の話題の出し方がとても上手であり、居合わせた人すべてが何らかの興味を示しそうな話を選び、それを発展させていく。一言でいえば社交上手である。パーティーの席などではそれが遺憾なく発揮される。私も誕生日にマートンの学生を数十人招いてパーティーをしたが、ホストである私はうまく運営しようと心配するまでもなく、彼らが上手に会を盛り上げてくれた。心配は、むしろ日本酒を普段飲みつけない学生がいともおいしそうに賞味していたことであった。案の定数人が二日酔いの憂き目にあったという。
ところで、彼らの日本に対する興味は科学技術および経済に関するものが多く、文化に対しては、きわめて特色あるものとは認めながらも、いま一つよく分からない様子であった。要するに、何々会社がどんな製品を作り、どんな点に特色があるといったことはよく知っていても、中には日本が赤道の北にあるのか南にあるのか分からない学生もいた。そうはいっても、「折り紙」や「盆栽」といった言葉がすでに多くの学生の間で知られていたのは嬉しいことであった。
学生の身なりが質素な点も一つの特色であろう。また、それと同時に服装がバラエティーに富むことも見逃せない。すりきれたジーンズ、つぎのあたったセーターを平気で着、それでいて色の組み合わせなどにその人独自の個性が見られる点も面白い。夕刻になると、パーティーに行くためかディナー・ジャケットに身を包んだ学生の姿をよく見かける。特に女性が普段地味なのも、ひょっとすると彼女たちの着飾った自分たちを知っており、それができる自信が、通常の服装をかえって目立たなくさせているようにさえ思えるのである。
オックスフォードでは学生はたいがい自分の自転車を持っている。オックスフォード市には一方通行の道が多く、市中心部の道路は大半が駐車禁止であることから、自動車はむしろ不便で、図書館や研究施設に自転車で通う学生の姿が多く見られる。私が初めてオックスフォードで自転車に乗った日、これを見たある学生が、私に「ああ、君もこれで本当のオックスフォードの学生になったね」と言ったが、それほどに学生と自転車は切りはなせないものとなっている。どの学生の自転車も相当年季が入っており、前輪と後輪とが乗っているうちにバラバラになりそうな代物が多い。自動車となると、持っている学生はかなり限られる。コレッジ内に住んでいる分には、どこに行くにも自転車の方が便利だからである。しかし、外部に住んでいる学生はその限りではなお。私も大学院生の車に乗せてもらったことがあったが、これもいつこわれるか分からないような相当古いものだった。服装といい、乗り物といい、古くて多少きたなくなっても使っているのは、オックスフォードでの一つのファッションなのであろうか。
このように見てくると、オックスフォードの学生はすべて優等生と思われるかも知れないが、実はオックスフォードにはずいぶん変わった学生もいる。先に紹介した額に星のマークをつけている女子学生をはじめ、パンク・ファッションの学生もいないわけではない。また、あまりに頭が良すぎてとてもその人の発想についていけないこともあった。頭がいいといえば、私が入学した年、オックスフォードに弱冠十三歳の数学専攻の女性が入学したが、他のどの学生よりもよくでき、三年間在学しなければ卒業できない決まりがあるにも関わらず三年目に受ける試験を二年目で受けてしまった人がいた。
変わっているという点では、ドンと呼ばれるオックスフォードの先生の方が面白い。見かけからしていわゆるエクセントリックな先生がいる。真冬でもワイシャツ一枚で出歩いたり、髪の毛をいっさい切らなかったり、窓のカーテンをすべて閉めきって研究していたり様々である。しかし、総じてオックスフォードの先生はまるで歩いている字引のようにものをよく知っている。学生がハイ・テーブルに招かれても、先生方はあまりに頭が切れ知識が多いので、会話に困る学生もいるといった話はすでにした。マートンのある先生がクイズに出て、ただ一人の全問正解を遂げたなどのエピソードも伝え聞いた。オックスフォードの先生でその名のよく知られている人に、「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロル(本名はドッジソン)がいる。彼はクライスト・チャーチ・コレッジで学び、そのコレッジで数学を教えていた。「不思議の国のアリス」は同コレッジのリデル学長の三人の息女と一人の同僚とともにテムズを船で遡る際に、彼女らの頼みに応じてルイスが語った次女のアリスを主人公とする物語である。また、映画「アラビアのローレンス」の主人公ローレンスもオックスフォードのオール・ソウルズ・コレッジの先生であった。