2017年5月15日月曜日

20170515 女性の男装、男性の女装から思ったこと・・

一週間ほど記事作成を休んでおりましたが、特に大きな変化は生じなかったように思えます。

ただ、少し睡眠時間が増えたことからか、心持ち身体が楽になったようにも感じました。

とはいえ、その一方、やはり2年近く記事作成を継続していますと、習慣化するようであり、記事作成をしない日々とは、多少何かが抜け落ちたようにも感じられるのです・・(苦笑)。

それ故、本来はもう少し長く休息期間を設けるつもりではありましたが、昨日より再び記事作成を始めた次第です・・(苦笑)。

さて、そういえば、先日不図思ったことですが、我が国においては社会が混乱の時期に差し掛かると女性が男装、また男性が女装するような傾向が強くなるのではないでしょうか・・?

また、同時に、我が国は、他国より物真似が巧みであるとの評価を受けることが多いようですが、あるいはその基層にあるものとは、こうした傾向ではないかとも思われます・・。

つまり、我が国において、他国の物真似をしなければならない時期とは、どちらかというと混乱している時期が多いと思われますので、それが、さきに述べた女性の男装、男性の女装が為される時期とも同調し易いのかもしれません・・。

しかし、私見となりますが、それらさまざまな真似の中で、性倒錯を基調とした文化とは、後世の日常文化、社会に影響を与えることは少なく、ただ非日常ともいえる演劇文化などの中で生きながらえ、後世に伝えられているのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは、おそらく既に研究されてはいるのでしょうが、我が国の特徴の一側面を知る上において、なかなか面白く、興味深い視点であると考えます・・。

具体的なそれらとは、弥生時代の戦の先頭に立つ巫女素戔嗚八岐大蛇退治、日本武尊の熊襲征伐、とりかへばや物語白拍子、女歌舞伎、歌舞伎、ええじゃないか、宝塚歌劇団、リボンの騎士ベルサイユのばら、などが挙げられます。

そして、感覚的ではありますが、おそらく、我が国における、性倒錯を基調とした文化全般とは、どちらかというと、東北アジアに起源があるものではなく、東南アジアなどの南方に起源があるのではないかと思われます。

その理由を象徴的あるいは物理的に表現しますと、アジア北方地域においては、その気候風土の寒冷さが性差を溶解、混淆に至らしめることを許さなかったのではないかとなりますが、このことに関しても更なる精査が必要であり、我が国における性倒錯を基調とした文化の流行とは、あるいは地球規模での平均気温の変化などとも関連があるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、たとえそうであっても、その流行の背後に、一体如何なる集団心理、集合的無意識が作用しているのかとは、なかなか面白いのことではないかと思われるのですが・・如何でしょうか?

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。









20170514 青銅の使用と都市国家の成立年代の結節点【車軸受け?】

以前投稿したブログ記事において青銅の使用と都市国家の成立とは、その関連性はよく分からないものの、概ね同じ時代であると書きました。

そのことで、さきほど不図思い出したことは、それらの具体的な結節点とは、戦闘用馬車(Chariot)の発明、進化であると、どこかに書かれていたということです。

つまり、金属の精錬、冶金技術の進化発展により、戦闘用馬車の『車軸受け』に金属である青銅を用いることが可能となることにより、その活動範囲ひいては支配可能領域が拡大し、それまでの小規模であった村邑国家的なものから、より大規模な都市国家が成立し得るということですが、これには一理あるように思われます・・。

ともあれ、こうした技術の進化発展に伴う社会構造の変化とは、この他にも古代から現在に至るまで、多く見受けられますので、特段珍しいことではないと云えます・・。

しかし、ここで面白いと思われることは、青銅の道具としての使用の『方向性』の仮説です。

そして、そのことを敢えて他の方向性にて考えてみますと、はじめに青銅を用いた『武器』を広く装備する国家が成立すれば、他のそうでない周辺国家を屈服することが容易となり、そのことから、より大規模な都市国家が成立し得るとも考えられるのかもしれませんが、この仮説においては人間の活動可能範囲に対する言及がないのです・・。

たとえ、手に持つ武器がいくら優れていたとしても、それを用いるのはあくまでも生身の人間であり、そのことによって活動可能範囲がより広くなると考えることは困難です。

むしろ、武器を持つ人間の活動可能範囲がより広くなる戦闘用馬車あるいは戦闘と直接には関与しない物資、交易品などを運ぶ馬車の『車軸受け』への青銅の使用こそが、都市国家成立の年代との関係性を説明するうえにおいては、より効果的【史実を的確に表現している】であるものと考えられるのです・・。

また、こうした遺跡、遺物から推論される、当時のさまざまな社会における状況を統合し、説明する際のセンスというものが、こういったところに表れ、また、一面において歴史を学ぶ、知る面白さとは、こうしたところにも存するのではないかとも思われるのです・・(笑)。

とはいえ、さきの仮説とは、あくまでも古代ユーラシア大陸でのハナシであり、我が国においては青銅、鉄ともに、あまり時間差なく齎されたと考えられていることから、さきの『車軸受け』の仮説を応用し、社会構造の変化を説明することが困難であるとされているようです・・。

そもそも我が国古代社会においては戦闘用馬車の存在すら、かなり珍しかった(ほぼ皆無に近い)のではないかと考えられておりますので・・。

それは国土の平地が概して狭小であり、山あいの地形であるからかもしれませんが、しかしまた今度は、そうした地域において見受けられる金属使用の方向性、そして社会構造変化の特性といったものもまた、存在するのではないかと思われるのです・・。

そして、その意味においても、以前投稿のブログ記事に書いた中国南部および東南アジアにおける銅鼓と西日本各地に多く出土する銅鐸の関係性、さらにはそれら地域を包括する生活文化としての水稲耕作、そして照葉樹林文化といった文化概念が見直されるのではないかと思われるのですが・・。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。