2017年5月15日月曜日

20170514 青銅の使用と都市国家の成立年代の結節点【車軸受け?】

以前投稿したブログ記事において青銅の使用と都市国家の成立とは、その関連性はよく分からないものの、概ね同じ時代であると書きました。

そのことで、さきほど不図思い出したことは、それらの具体的な結節点とは、戦闘用馬車(Chariot)の発明、進化であると、どこかに書かれていたということです。

つまり、金属の精錬、冶金技術の進化発展により、戦闘用馬車の『車軸受け』に金属である青銅を用いることが可能となることにより、その活動範囲ひいては支配可能領域が拡大し、それまでの小規模であった村邑国家的なものから、より大規模な都市国家が成立し得るということですが、これには一理あるように思われます・・。

ともあれ、こうした技術の進化発展に伴う社会構造の変化とは、この他にも古代から現在に至るまで、多く見受けられますので、特段珍しいことではないと云えます・・。

しかし、ここで面白いと思われることは、青銅の道具としての使用の『方向性』の仮説です。

そして、そのことを敢えて他の方向性にて考えてみますと、はじめに青銅を用いた『武器』を広く装備する国家が成立すれば、他のそうでない周辺国家を屈服することが容易となり、そのことから、より大規模な都市国家が成立し得るとも考えられるのかもしれませんが、この仮説においては人間の活動可能範囲に対する言及がないのです・・。

たとえ、手に持つ武器がいくら優れていたとしても、それを用いるのはあくまでも生身の人間であり、そのことによって活動可能範囲がより広くなると考えることは困難です。

むしろ、武器を持つ人間の活動可能範囲がより広くなる戦闘用馬車あるいは戦闘と直接には関与しない物資、交易品などを運ぶ馬車の『車軸受け』への青銅の使用こそが、都市国家成立の年代との関係性を説明するうえにおいては、より効果的【史実を的確に表現している】であるものと考えられるのです・・。

また、こうした遺跡、遺物から推論される、当時のさまざまな社会における状況を統合し、説明する際のセンスというものが、こういったところに表れ、また、一面において歴史を学ぶ、知る面白さとは、こうしたところにも存するのではないかとも思われるのです・・(笑)。

とはいえ、さきの仮説とは、あくまでも古代ユーラシア大陸でのハナシであり、我が国においては青銅、鉄ともに、あまり時間差なく齎されたと考えられていることから、さきの『車軸受け』の仮説を応用し、社会構造の変化を説明することが困難であるとされているようです・・。

そもそも我が国古代社会においては戦闘用馬車の存在すら、かなり珍しかった(ほぼ皆無に近い)のではないかと考えられておりますので・・。

それは国土の平地が概して狭小であり、山あいの地形であるからかもしれませんが、しかしまた今度は、そうした地域において見受けられる金属使用の方向性、そして社会構造変化の特性といったものもまた、存在するのではないかと思われるのです・・。

そして、その意味においても、以前投稿のブログ記事に書いた中国南部および東南アジアにおける銅鼓と西日本各地に多く出土する銅鐸の関係性、さらにはそれら地域を包括する生活文化としての水稲耕作、そして照葉樹林文化といった文化概念が見直されるのではないかと思われるのですが・・。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。







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