2015年11月23日月曜日

紀伊半島西部地域における雨乞い祭祀具体例を引用した雨乞い祭祀類型①~⑫に分類・列挙20151123

文献資料、採話等により得た紀伊半島西部地域における雨乞い祭祀具体例を前に引用した雨乞い祭祀類型①~⑫に分類し列挙する。

       村民が山または神社に籠って祈願する。

当地域内において①に分類される雨乞い祭祀は見出す事ができなかった。

       作り物の龍や神輿、仏像を水辺に遷して祈る。

1、和歌山県有田郡宮原村(現有田市)では雨乞いに若い衆が氏神の神輿を担ぎ出し、雨の降るまで有田川に漬けておいた。

       特別の面(雨乞い面)を出して祈る。

1、那賀郡貴志川町ではある年、大国主淵の竜が竜宮の入り口を塞いだ為雨が降らず、同地の橋口氏の先祖が水中に入り竜に切りつけた、為に竜は昇天し雨降る。この時淵中より三個の面を得た。その一つが今も橋口家にある。雨乞いにはこの家の主人が面を被り能を舞うと忽ち雨が降るという。

2、伊都郡九度山町河根の丹生神社に翁面あり、雨降り面とも呼び、竜神よりの献納と伝う。雨乞いに霊験のある面である。

       大勢で千回・一万回の水垢離をとる。

1、紀伊那賀郡神田村(現紀の川市)の秘文の滝は雨乞いの場所として神聖視され魚を取るのを禁ぜられていた。

2、有田郡糸川村糸川滝(現有田郡有田川町)では雨乞いに潔斎七日の者を滝壺に入れ雨を祈るに、淵中に白魚を見れば雨を得、黒魚を見れば雨降らずという。

       水神の棲むという池などをさらって水替えをする。

1、奈良県吉野郡西吉野村では、永谷の不動滝を乾かして雨を祈った。


2、同県同郡大淀町東垣内の大日堂の井戸を雨乞いにさらう。 

       水神の池や淵の水をかき回す。

  1、奈良県吉野郡野迫川村の池津川から中津川に行く川筋     に雨乞い淵がある。この水を釣竿とかヤスデでいらうと必ず雨が降るという。いらうというのは掻き回すのと同じ行為をさすものであろう。

       水神の池や淵に牛馬の首など不浄のものを投げ込  む、あるいは汚物を洗う。

1、田辺藩全体の取っておきの手段として、富田庄川(現西牟婁郡白浜町)の滝壺へ牛の頭を入れることをした。こうした江戸時代の雨乞いのやり方は、その多くが明治以後も引き継がれ、牛屋谷の滝へ牛の首を供する事なども、大正二年にも行われている。もっともこれは、牛屋谷に限ったことではなかったようで、古くは中芳養(現田辺市)でも行われた伝承がある。

2、日高郡の山間では雨乞いに滝壺に汚物を投ずる風があった。たとえば龍神村(現田辺市)の小又川で西ノ川の七つ釜に牛糞と酒を投ぜ込むごときがその一例である。また同郡の寒川村(現美山村)に於いては滝参りといって、万歳滝・寒川滝・串本大滝等での牛の糞等の汚物を流し雨を乞うたとある。同郡上山路村宮代の立花川の弓木滝には不動明王が祀られているが、ここに糞等の汚物を投ずると、山動き、谷ふるい、恐ろしい大雨となる。これは主の大蛇のなせる業であるという。同村の丹生川や真妻村の川又等にも同様の汚物を投ずれば大荒れになるという滝があった。

3、和歌山県日高郡日高川町、旧早蘇村蛇屋(現川辺町)では、沖野川上流(日高川支流)の主の棲む雄淵に肥柄杓を投ずれば、たちまち大雨が降ると伝えるが、いかなる大旱の節にも、かかる行為は絶対に禁ぜられている。

       地蔵を水に漬ける。

1、伊都郡横座村(現橋本市)の善宝山地蔵を盥に載せて雨乞いする。

2、奈良県吉野郡下市町では地蔵を寺坂の上から引き摺り下して雨乞いをした。

3、和歌山県有田市では各地に八大竜王の碑というものがある。これを一旦水に漬けてから引き上げ、それを囲んで踊る。

4、和歌山県芳養村(現田辺市)ドウ本の石地蔵を雨乞いに首まで浸すということを南方熊楠が早く報告している。

5、有田郡湯浅町では別所の薬師堂の地蔵の木像を掛け声勇ましく引き出し、広川に投じ声高く雨を乞い、地蔵を拾い上げて元の堂に返す。大正三年まであり。

6、和歌山県橋本市賢堂・横座・向副の三区で善坊地蔵を紀ノ川に漬ける。

7、和歌山県日高郡みなべ町本庄では雨乞い地蔵を川に漬ける。

8、田辺市、上富田町付近各地で雨乞い地蔵と呼ばれる地蔵がある。雨乞いの際迎え来て、祈願したり水に漬けたりするのである。上富田町生馬の奥の方などでは、若い者が地蔵さんに白布を巻いて背負ってきて、一定の場所で祀り、地域の人々が雨乞い祈願をした上、雨乞い踊りを行った。これで上手く雨が降れば、地蔵さんを俄か拵えの駕籠に乗せて、一同がお供して元の場所に送ってゆき、そこで祝宴を開いたという。

       釣鐘を川や池に沈める。

1、和歌山県有田郡清水町楠本(現有田郡有田川町)では鉦を淵に入れて雨を乞うと水中の龍が雨を降らしてくれる。

       太鼓を打って総出で雨乞い踊りを踊る。

1、和歌山県西牟婁郡秋津川村(現田辺市)では雨乞いの際、同村万福寺の境内の阿弥陀堂の本尊を寺の下のガマ淵の下に持ち出し、万福寺住職が観音経を読み、村民がその周囲を輪になって踊れば雨が降るという。この雨乞いは万福寺の十世全恭の創めたものという。

2、和歌山県西牟婁郡万呂村(現田辺市)では天王池の堤で「降れたまえ蛙」と唱えて雨乞いする。

3、日高郡日高町原谷では雨師権現への雨乞い踊りがある。雨師権現は山上にあり、ここに雨穴という洞穴がある。大正十三年八月、ここの七週間の願をかけ、雨乞い踊り(小栗踊り)を奉納中、願かなって雨が降ったという記録が残っている。

4、海草郡野上町梅本・中田・東福井・奥佐々(現同郡紀美野町) 雨乞い踊り。小川八幡で踊る。

5、有田郡清水町(現有田郡有田川町) 雨乞い踊り 清水・久野原・東大谷・沼・室川・上湯川・下湯川にあり。大正二年に雨乞いの火炊きをしてその周りで踊った。

6、有田郡広川町中野 雨乞い踊り(シッパラ踊り)。八幡宮で踊る。二十四人の踊り子の他に太鼓打ち・棒振り・新棒一・神ナリ()・山伏等の役がある。新棒一(新発意)と棒振りは踊りの始めに「言立て」をする。雷役については説明がないが、他に例の少ない役である。昭和十七年に雨乞いを行ったのが最後。

7、有田郡金屋町 雨乞い踊り 天石社の氏子では上六川・黒松・五名社の氏子の中峰・本堂・沢田・生石・小原、岩倉社の川口・石垣社の宇井苔の各集落に伝承。棒振り・新発意(祈祷文を読み上げる)・太鼓・貝・笛・鉦・踊り子の諸役がある。川口では祇園社・竜王社でも踊り、そこでも新発意の言立てがある。各社を廻る途中の行列では踊り子が「雨たもれ、空曇れ。くもったらバーラバラ」と叫びながら進む。

8、日高郡美山村猪谷 大踊り 雨乞いの踊りは不動の滝や八幡滝で踊る。

9、伊都郡九度山町上古沢 コオドリ。雨乞いに踊ったともいう。踊りの輪は、中踊りと外踊りからなる。踊りの曲は「伊勢の湊」ほか十三曲ある。なお、踊りと踊りの間に「狂言」(にわか芝居のようなもの)があったという。

       特定の聖地から代参が水種を受けて川や田に注ぐ。

1、奈良県吉野郡上北山村池峰に、明神池という杉の大木に囲まれた周囲一キロほどの池がある。北山川の支流池郷川の源に当り、村の高所にある。傍らに池神社があるのはすなわちこの池の神を祀る社であろう。この池中に船釘を投げ込めば龍が昇天するという伝えがあって、在る者が船釘一貫分投げ入れたら、たちまち黒雲天を被い雷鳴激しく、龍が天に昇ったと伝えられる。すなわち竜神の棲む聖なる池がゆえに汚れを禁じたのである。またここは雨乞いの池であって、池の南にある和歌山県東牟婁郡の北山村下尾井では、雨乞いにこの池のお水を受けに行ったと聞く。

2、奈良県吉野郡下北山村では雨乞いはあまりしなかったようだ。それでも日照りの続いた年にはジゲ中が池峰へ上がって明神さんに参り、祠官さんに祈祷してもらって、池の水を徳利やビンなどにタバってきて、ちょっとずつ田畑にまいた。そうすると不思議に雨が近かった。昔は紀州からもよく雨乞いに来て、戻る途中でもう降ってきたといって礼状が来たとか、途中でマクレて(転んで)そこで雨を降らしてしもうたという話を聞いた。ついでながら、山火事が広がっても、池峰のお宮さんで祈祷してもらった。

⑫      山に上がって大火を焚く(千駄焚き)

1、高野山の火を受けるのは奈良県でも吉野郡等、やはり高野山に近い地が被い。十津川村では各戸から一人ずつ出て高野山に詣り、受けてきた火を松明に移し、天に向って「雨々タンモレヨ、雲ノ上ノ順達(龍辰、龍蛇がなまったものと考えられる。)ヨ」と叫ぶ。

2、高野山のお膝元である和歌山県にこの信仰の分布している事は勿論であるが、やはり御山の麓の伊都、有田、那賀から日高、東牟婁、海草等の諸郡に多い。伊都郡河根村(現九度山町)では村境にある護摩ノ壇へ上がって雨乞いの火を焚いたが、高野山からの護摩の火を貰ってくる事もあった。

3、海草郡加茂村大窪・美里町神野市場等も火種は高野山で受けたという。

4、有田郡五西月村付近ではそれはよくよく旱魃の場合に限られていたという。百八燈、千巻心経をあげての火焚き、あるいは生石山上の巨石に鉦・太鼓で詣るなど、手を尽くしても効の無いときに初めて高野山に詣る。足の達者のものが二、三人、何食かの弁当を持って御山に火を賜りに行き、それで千八燈の火を燈した。

5、有田郡金屋町では高野山の万燈籠の火を持ち帰って火を焚くという。

6、有田郡の清水町大蔵・宮川等でも徒歩で高野山まで火を受けに行き、その火種で山上で焚いたという。

7、那賀郡池田村中畑(現紀の川市)でも、どうしても降らぬ時には高野山に詣った。寺で祈祷してもらい、奥の院の火を火種につけて帰るが、途中で休むとそこに雨が降るという。

8、田辺市あたりでもこの事があった、隣の日高郡御坊市付近でも最も普通に行われる雨乞いは高野山の火を受けて来てこれを松明に移して村民達が手に持って高い山に登りそこで火を焚く方法があった。また中津川の佐井・原日浦・三十木・田尻船津・西原小釜本の諸集落、矢田村の千津、寒川村でもこの話を聞くが、中でも小釜本では昭和四十二年の高野山の火を受けに行ったそうである。

9、高野山の火を請けて来て寺で三日間祈祷して、山上で火を焚く為に、日高郡内の矢田・稲原・みなべではその為に雨乞い山というのがある。

10、みなべ町の晩稲地区における雨乞いは同地区で最も標高の高いボンノオカと呼ばれる里山において火を焚き、殆どの晩稲住民が、量の多少を問わず燃料材を持ち寄ったと云う。

11、和歌山県西牟婁郡三栖村(現田辺市)では雨乞いに高野山の火を迎えて氏神に供え、村民各々松明を携え、これに火を移し、田の上を鉦・太鼓を振り歩いて祈るとあるが、これを「火送り」と呼ぶというのは、「虫送り」と比べてこの行事の意図を物語ると云えよう。

12、紀州では東牟婁郡那智勝浦町や古座町西向辺りで那智山あるいは妙法山の火を迎える事もあった。妙法山は那智山の上方にある寺である。妙法の火を迎えるとて、この火を徹夜で迎え、これによって大火を焚いたという。この寺では明治三十八年に高野山の不断の燈明を受けて来て仏前で燈し続け、大戦で油が切れるまで絶えなかった。その為この寺の火を受けると高野山の火を受ける代わりになったという。

13、奈良県南部の山間地域は修験道の本場、金峰山や大峰山の火がある。これへは摂津・河内方面からよく詣った。紀州の粉河でも大峰山麓洞川の竜泉寺の火を受けてくるというが、大峰山の火というのはおそらく他でもここの火か稲村岳の火の事を指すのだろう。奈良県吉野郡大塔村でもこの竜泉寺から若者が火を戴いて来てそれを各戸で受け松明に移してヒフリした。同郡の十津川村中越では大峰の稲村岳から火を受け、神社に納める。

以上、①~⑫の分類にしたがい主に紀伊半島西部地域内の雨乞い祭祀具体例を列挙した。次にそれらの類型、分布について検討、考察を行う。

① 村民が山または神社に籠って祈願する。この雨乞い祭祀形態は参照した資料等から地域内において見出すことができなかった。山、神社などでの祈願例は多くあるものの村民が特定の場所に籠って行う祈願とは当地域においては発達しなかったものと考えられる。

② 作り物の龍や神輿、仏像を水辺に遷して祈る。この形態の雨乞い祭祀は現有田市にて一件のみ見出す事ができた。その背景観念とは⑧、⑨に類似しており、この様な雨乞い祭祀とは国内各地にて散見するものであり特に珍しいものではない。一方神輿を水に漬ける祭祀形態は地域内において有田市における一件のみであった。

     特別の面(雨乞い面)を出して祈る。この形態の雨乞い祭祀は地域内においては紀ノ川流域のみにおいて二件見出すことができた。しかし雨乞い祭祀にて何故、面を用いるのかという背景観念を理解していないことから、これは今後の研究課題としたい。

     大勢で千回・一万回の水垢離をとる。この形態の雨乞い祭祀は、それに類似するものを二件見出すことができた。1、においては、どの様な雨乞い祭祀が為されていたかは不明であり2、においては、人身御供の名残とも考えることが可能である。

     水神の棲むという池などをさらって水替えをする。この形態の雨乞い祭祀は地域内主要部にて見出す事が出来ず、その周辺地域といえる奈良県吉野郡にて二件見出すことができた。また、この祭祀形態は前述の様に特にその方法において後述⑪、⑫と同様、汎霊説(アニミズム)的要素が強いと考えられる。

     水神の池や淵の水をかき回す。この雨乞い祭祀形態も⑤と同様地域内主要部におい見出すことが出来ず、奈良県吉野郡にて二件見出すことが出来た。この雨乞い祭祀は、その方法が比較的簡便であることから地域における雨乞い祭祀とは認識されず、ある種の日常生活における禁忌とされていたのではないかと考える。そのことを示す材料として、二〇〇二年夏に執筆者が田辺市出身の知人と県内の合川ダムに釣行の際、釣竿で水をかき回すと雨が降ると咎められたことがある。ともあれ、そういった観念の由来とは興味深く、今後の研究課題としたい。

     水神の池や淵に牛馬の首など不浄のものを投げ込む、あるいは汚物を洗う。この雨乞い祭祀については以降詳論するが、概括として日高郡から田辺市、白浜町付近の地域にて散見された。また類似の雨乞い祭祀が我が近畿圏を中心に少例ではあるものの幾つか見出すことが出来た。この雨乞い祭祀の原形はおそらく朝鮮半島にあると考える。

     地蔵を水に漬ける。この形態の雨乞い祭祀は地域内随所に見出す事ができた。その背景観念は②、⑨に類似していると考え、同時にこれは我が国内各地で散見される。また、この祭祀形態は少なくとも当地域において、少人数で行う祭祀というよりもむしろ、大勢での踊りを伴う⑩に類似したものであったようである。

     釣鐘を川や池に沈める。この形態の雨乞い祭祀と同一とされるものは見出す事が出来なかった。しかし同じ金属製の打ち鳴らす仏具としての性質を持つ鉦を用いた祭祀例を有田郡にて一件見出した。水神、龍などは金属を嫌うと考えられていたことから、この祭祀形態とは威嚇の要素が強いと考えられるが、その場合⑦の祭祀形態の背景観念においても共通する要素を見出すことが可能である。

     太鼓を打って総出で雨乞い踊りを踊る。この雨乞い祭祀形態は地域内随所において見出すことができた。同時に我が国全般においても同様の特徴を示した。

     特定の聖地から代参が水種を受けてきて川や田に注ぐ。この雨乞い祭祀形態は奈良県吉野郡および和歌山県東牟婁郡北山村といった中山間地域にて見出すことができた。そしてその祭祀背景観念は前述の様に聖性を有する水が効果をもたらすと考えられる。しかしその方法においては汎霊説(アニミズム)的要素が強く、類似したものは我が国においても散見される。以上のことからこの雨乞い祭祀形態は古来より続く方法に後日降雨の効果をもたらす聖性の要素が付加されたものではないかと考える。

     山に上がって大火を焚く(千駄焚き)この雨乞い祭祀形態は地域内にて最も多く見出すことが出来た。概ね用いる火が高野山をはじめとする寺社から受けるものであり、南紀の古座川流域における雨乞い祭祀はこれと同様のものであった。加えて、この雨乞い祭祀形態は聖性を持つ火の要素を除けば周辺諸府県のみならず世界各地において多く見出すことが出来ることから、水、火と異なるが、前述⑪の雨乞い祭祀と類似した背景観念を有するものであるといえる。つまり、この雨乞い祭祀形態も当初は降雨時に山肌から水蒸気が立ち上る光景に類似させた汎霊説(アニミズム)的要素が強いものに雨の効果をもたらす聖性を持つ火の要素が付加されたものではないかと考える。

 以上、紀伊半島西部地域における雨乞い祭祀の類型、分布を行ってきた。次にこれらの検討、考察をおこなってゆく。

 前述において、我が国の雨乞い祭祀類型に対する「金枝篇」内記述に基づいた背景観念の汎神論(パンティズム)、汎霊説(アニミズム)による検討、考察を行った。

それらは概ね祭祀背景観念の基層において類縁関係があると考えられるものの、記録されている具体的祭祀においては無関係、別種に分類されるもの、あるいは逆に基層において無関係、別種であったと考えられるものの記録されている具体的祭祀においては類似性を示すものなどが多数あると考えられ、それらの精確、明確な分類とは実質的に困難であると考える。しかしながら、具体的祭祀の表層においては汎神論(パンティズム)、汎霊説(アニミズム)何れの要素が強いかと云うことは判断できると考える。その上で具体例を含め汎神論(パンティズム)の要素が強いと考えられる雨乞い祭祀類型は①、②、③、④、⑦、⑧、⑨、そして⑩であり、汎霊説(アニミズム)の要素が強いと考えられるそれは、⑤、⑥、⑪、そして⑫である。概括的に神、神々あるいはそれを象徴するものに対する祈祷、威嚇等により降雨の招来を期待するものは汎神論(パンティズム)の要素が強く、一方、祈祷、威嚇よりも単に降雨という自然現象に類似させた行為を行い、その招来を期待するものは汎霊説(アニミズム)の要素が強いものと考える。
それらは時代の経過に伴い、同一の祭祀形態に対し、新規の解釈を加味させたり、同一解釈の祭祀に対し、祭祀形態の変形を加えたり、また、それらが複合的に為されることにより、記録されている祭祀形態およびその背景観念になったものと考える。
また、この様な祭祀を扱う場合、文献資料のみではおのずずとその検討、考察において制限が生じる。それらは実際地域に赴き、生活し、住人と会話をし、景色、地形を実見し検討、考察することが何よりも重要であるるのではないだろうか。そしてその際に得た考えとは、それがたとえ当を得ないものであったとしても、その後の修正を容易にするものであると考える。

歯科用ジルコニアと前装陶材との接着強さについて

【序論および目的】
 歯科用材料としてのセラミックスは、周辺技術の改良、発展に伴い注目を集めている。
その中において優れた機械的性質、審美性を兼ね備えるジルコニアは、歯科材料として主にインプラントのアバットメント、クラウン・ブリッジのコアとして用いられている。
クラウン・ブリッジのコア材料としてのジルコニアは、一般的なコア材料である金属に比べ、その本質がセラミックスであることにより、優れた審美性を示す。
しかしながら、より天然歯に近い審美性を得る為には、さらに前装陶材を築盛、焼成し、適切な形態、色調を付与しなければならない。
それ故、コア材料であるジルコニアと前装陶材との接着強さとは、ジルコニアを用いた歯科補綴物を作製する為の一つの重要な要素である。
また、本研究における目的とは、未だ解明されていないジルコニアと前装陶材との接着メカニズムを、2種ジルコニア基材、3種歯科用陶材、3種焼成時間、そして4種焼成温度を用いてボタン型試料を作製し、接着試験を行い、加えて、同様の条件にて作製した円筒形の陶材試料を用いて間接引張試験を行い、各々抽出されたデータに基づき検討を行う事である。
【材料および方法】
 本研究においては直径15mm、厚さ0.5mmの円盤型のイットリア系ジルコニア焼成体(以下YTZPと略す)と同寸法のセリア系ジルコニア/アルミナナノ複合材料の焼成体(以下NANOZRと略す)を2種ジルコニア基材として用いた。
それら基材をダイアモンド研磨紙にて#1000まで研削し、蒸留水中にて10分間超音波洗浄を施し、大気乾燥した。
その後、ヴィンテージZR(松風)、セラビアンZR(クラレノリタケデンタル株式会社)、そしてVM(VITA-ZahnFabrik)の3種歯科用陶材のオペーク陶材を2種ジルコニア基材に塗布し、メーカー推奨条件を含む3種焼成時間条件、4種焼成温度条件にて真空焼成した。次にオペーク陶材を焼付けた基材上にアクリルレジン製型枠を置き、超音波バイブレーターを用い、コンデンス法にて前述3種歯科用陶材のデンチン陶材を築盛、120恒温の電気炉内にて10分感乾燥の後、型枠を外し、各焼成時間、温度条件にてデンチン陶材の焼成を行った。
また、試料作製においては7個、8個の2グループにて、ランダムに作製条件を組み合わせ陶材の焼成を行い、各条件計15個の試料数を満たした。
これら試料は、接着試験用の治具に固定し、クロスヘッドスピード0.5mm/分にて、万能引張圧縮試験機を用いて接着強さを測定した。
加えて、前述試料作製法、作製条件にて円筒形の陶材試料を作製し、間接引張試験を行い、接着試験結果データとの相関関係等を検討した。
【結 果】
 各条件において陶材焼成温度の上昇、焼成時間の延長に伴い、ジルコニア基材、歯科用陶材間の接着強さが増加している事が認められた。
また、間接引張試験においても、焼成温度の上昇、焼成時間の延長に伴い、間接引張強さが増加している事が同様に認められた。一方において、幾つかの条件の試料では、焼成過程における陶材の変形、変色も認められた。
【結論及び考察】
 陶材焼成温度の上昇、焼成時間の延長に伴い、ジルコニア基材、歯科用陶材間の接着強さ、陶材試料の間接引張強さが増加している事が認められた。
これは、陶材の焼成が促進し、陶材内部の微細な気泡が消失、高密度となり、それに伴いジルコニア基材、陶材間の接着面積が増加した事により生じたものと考えられた。
また、接着試験結果データに対し分散分析統計処理を行い、接着強さへの因子毎の寄与率を求めた結果、陶材焼成温度(10.3)、ジルコニア基材(6.9)、焼成時間(5.1)となり、前装陶材によるものは(0.9)と最も小さい寄与率を示した。
このうち陶材焼成温度においては、前述の焼成の促進によるものであると考えられる。
また、ジルコニア基材においては、YTZPNANOZRそれぞれの組成に基づく熱膨張係数に起因する圧縮応力の相異によるものであると考えられる。
陶材焼成時間においては、焼成温度と同様に焼成の促進の作用によるものであると考えられるが、接着強さへの寄与率は、焼成温度によるものに比べ小さい値を示した。
そして因子中最も小さい寄与率を示した前装陶材は、接着試験にて用いた3種陶材間の相異は、2種ジルコニア基材に対する接着に対し、他の因子に比べ、より少ない影響を与えるという事である。
これは、3種陶材それぞれの組成および熱膨張係数がジルコニアのそれに対応して設計された為であると考えられる。
間接引張試験においては、陶材焼成温度の上昇、焼成時間の延長に伴い間接引張強さが増加している事が認められた。これも前述と同様の作用によるものと考えられる。
また、前装陶材の間接引張強さへの寄与率は、焼成温度、焼成時間のそれに比べ大きい値を示した。これは、被着材が存在しない条件において陶材の焼結が進行した事に起因するものと考えられる。それ故、ジルコニア、歯科用陶材間の接着強さを扱う本研究においては、陶材の焼成温度、焼成時間に起因する間接引張強さへの影響をより考慮すべきものと考える。
また、ジルコニア、歯科用陶材間の接着強さと陶材試料の間接引張強さとの相関係数を求めたところ、2種ジルコニア基材、3種歯科用陶材間全てに正の相関関係が認められた。この事からジルコニア、歯科用陶材間の接着強さとは、本実験にて用いた歯科用陶材の焼成温度条件、焼成時間条件により増加する事が推論される。これは、陶材の焼成温度の上昇、焼成時間の延長により、陶材の焼成が促進し、密に基材に対し接着するためであると考えられる。

また、その接着メカニズムとは、界面における双方の反応層による化学的な接着であるよりもむしろ、陶材の焼成の促進により生じた、緊密な接着界面、強い圧縮応力に起因するものであると推論された。