とはいえ、現在のコロナ禍、そしてまた、徐々に暗雲が立ち込めていくように見える全世界の状況から考えてみますと、少なくとも今後の近い将来においては、自身を含め、我が国にて何か良い出来事が生じるとは到底思うことが出来ないのが正直なところです・・。
また、それは実のところ広汎に理解されているとも思われるところであり、そして、こうした国全体を覆っている絶望感あるいは虚無感を除くために東京五輪も開催されるのだとも思われますが、これはかなり博打的であると云えます。それは、これを契機として、世界全体が「コロナ禍の中にあっても五輪開催が出来た!」といった希望や自信に繋がれば、それまでの我が国の開催に向けた活動は評価されるのだと思われますが、他方で、内実を伴わない、つまりは多くの国民に支持されない状況にて開催されても、それは冷ややかに「結局それで誰が得をするの?」といった、更なる官民間の離開が進行すると思われるからです。
そういえば、この「官民間の離開」が、ここ最近の我が国の政治状況を示すコトバであるようにも思われます。また、そのように考えてみますと、我々が意識する所謂「官」というものにも、何と云うか地域性といったものがあるように思われます。現在私が住む首都圏とはいわば「官」のお膝元ではありますが、同時に当地は経済活動のお膝元でもあることから、端的に云えば「官」は自らの実入りとなる高い税収のためにも、経済活動を支援・促進する必然性があり、そのため「官」は「民」たる私企業に対し、比較的腰を低く、丁重な対応をとる傾向があると云えます。他方、あまり地場産業そして自主財源に乏しい地域においては、中央からの地方交付税交付金・国庫支出金などにより「官」を回しているといった状況があり、そうした地域においては、さきに述べた首都圏での「官」と「民」の関係性は、あるいは我が国近代初期での状況に近くなり、端的には「官尊民卑」の傾向がより強くなると云えます。
そして、そうした状況にて「官民間の離開」が進行しますと、首都圏などの経済力により「民」が強い地域にあっては、より功利主義的な指標が「官」に対しても用いられるようになり、本来「官」が保持していた「福祉」や「「公共」といったものが弱くなっていくのではないかと思われます。
他方で、これが地場産業や自主財源に乏しい地域にあっては、中央からの指示によってかベンチャー起業や大企業誘致などが盛んに行われるようになりますが、しかし、元来、彼等は「民」たる経済活動を知らず、あるいは内心、下に見てこうした活動に対する理解もなく、ただ上からの指示通りに動くといった状況となります。そして、こうした状況にあっては、中央から流れて来る資金をより多く「我がとこの組織」に落ちて来るように働くことが、より功利的な活動と見なされるようになります・・。そして、こうした状況下での「官民間の離開」は、首都圏などよりも更に深い禍根を地域社会に齎すのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
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