2025年3月19日水曜日

20250318 新たな記事作成での調べものをしていて思ったこと

 これまで何回かにわたり、紀伊和歌山の河川流域毎の歴史文化について述べたブログ記事を作成しており、紀ノ川、有田川については既投稿です。そして現在は、日高川流域についての記事作成のための資料をあたり、そして、断片的な文章もいくつか作成しましたが、それらをまとめて投稿に至るまでは、今しばらく時間を要します。また、直近の有田川の記事においてもそうでしたが、調べていますと、これまでの知識が更新されて大変面白いのですが、他方、キリがありません。くわえて、日高川流域には、我が国のある面の歴史や文化において重要な意味を持つと考えられる要素が思いのほかに多く、そしてまた、それらを関連付けた考えなどが思い付くこともあるため、これまでの紀ノ川、有田川での記事作成により暖機運転が為されたのか、時折、20年近く前に修士論文を作成していた時の感覚が甦ります。そして、この感覚とは、さらにそれ以前の、南紀白浜在住時の感覚が基層にあることが想起されました。このように書いていますと、当然と云えば当然であるのでしょうが、しかし、その感覚とは、身体性が伴うものであり、その大気の感じや、薫りなども不図、想起されるといったものであり、感覚としては比較的強いものであると云えます。そういえば、南紀白浜在住時は屋外での記憶が多く、当時、自転車で白浜から現在ブログ記事を作成している日高川流域の最も大きな街である御坊市まで行った時のことが、資料をあたっていて不図、想起されました。その距離は50㎞程度であり、それなりに辛かった記憶がありますが、往路にて御坊市に着くと、市街地をウロウロとしばらく自転車で徘徊して、印象的なものを見つけると、分からないなりに、しばらく見入っていましたが、そうしたものの一つが、前述の資料をあたっている時に不図、想起されたのです。そして、その背景をさらに調べていますと、これまた自分としては大変興味深い関連性を思いつきました。この関連性は、おそらく、さらに資料をあたると、既にどこかに記述があり、新奇性はないと思われるのですが、こうした、資料をあたることによる、自らの記憶の鮮明化からはじまり、新たな仮説を思いつくことは、ある程度知っていると自覚している分野・領域であれば、そこまで多く生じることはないのでしょうが、かなり久しぶりに、この思いつく感覚を覚えました。そして、このことは、おそらく現在作成しているブログ記事に組み込むと思われますが、ともあれ、以前、修士院生当時は、こうした感覚が、ごく普通にあり、またそうであったからこそ、当時、割合多くの文献資料をあたることが出来たのだと思われます。そして、こうした現象とは、周囲の他の院生においても同様であり、また、そうであったからこそ、意見交換や自主的な勉強会が楽しく、さらに自分の専攻とは異なる分野への越境も自然に出来たのではないかと思われるのです。そして、おそらく、そうしたことが出来る期間とは、そこまで長いものではなく、ある程度の年齢にまで至ると、感覚が硬化してしまい困難になってしまうのではないかと思われます。しかし、それでも身につくものは多くなくとも、分野の越境を試みること自体には、それなりの価値があるのだと思われますが、それが生業との兼ね合いにより、あまり価値を見出せなくなるのだと思われます。また、社会全体において、分野の越境に価値を見出すことが出来ない社会とは、あるいは創造的な破壊や進化もまた生じ難くなるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?