A「本日もまた若干帰宅が遅くなりました。
さて、本日作成分のブログ記事の主題に関しても、現在特に決めておりません・・(苦笑)。
そういえば、昨日作成したブログ記事は、投稿翌日にしては、その閲覧者数が伸びました。
そのことから、やはり当ブログ記事の文体とは、こうした多少口語体に近いものの方が良いのかもしれないと思うに至りました。
また、実際、現在このように文章を記していても、こちらの文体の方がスムーズに文章が湧いてくる感じがします。
そうしますと「あるいはこれが私の「文体」であるのかもしれない。」と考えるのですが、また他のこれまでのブログをある程度読んで頂いている知人に対し、この「文体」について聞いてみますと、自身では明瞭に認識することが出来ないのですが、やはり「私の文体」というものは存在するとのことでした・・。
こうしたことは自身に強く根差してい過ぎるために、客観的なものとして認識することが困難であるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしその一方、たとえば私が師匠(歯科理工学)の論文、文章などを読んだ場合「ああ、これは師匠の文章、文体である・・」と割合強く認識することが出来るのではないかと思われます・・。
また、これはあくまでも私見ではありますが、理系学問分野の文体とは、一種独特であると同時に、その大きな傾向らしきものとは、ある程度類似、共通しているのではないかと思われるのです。
このことは自身が歯系院に行った当初、その独特の文体、言い回し等に慣れることが出来なく、いささか苦労した記憶を思い起こさせます。
それはつまり、歯系をも含む理系的な文体、言い回しにて文章、原稿(文語、口語)などを記すといった「表現」あるいは「創造」が出来ないということです・・。
こうしたまさしくモヤモヤとした心境とは、体験された方々も少なからずいらっしゃるかと思われますが、なかなか苦しいものです・・(笑)。
そして、そうした出口の見えない暗いトンネルのような状況(モヤモヤとした心境)から脱出する為の確実ともいえる手段が、とにかく、その分野における著作、書籍を読むということに尽きるのではないかと思います・・。
また、面白いことに、そうした時期を知らないうちに過ぎます(過ぎると慣れる)と、今度は何となく、自身の思考、指向、嗜好までもが変化してしまったのではないかと思われるようになるのです・・(笑)。
さらに後になるとそうした変化が存在したこと自体をも忘れてしまうのかもしれません・・。
こうした忘却とは、あまり良いものであるとは思えません。
そして、多くの方々は記しませんが、こうしたことを実際に感じていた、認識されていたのではないかと思われるのですが、如何でしょうか・・?
ともあれ、こうした変化が人間の精神における相変態、相変化とも云えるようなものではないかと思われるのです。
一体こうした変化とは、どの程度の年代に至るまで生じ得る性質のものであるのでしょうか・・?
あるいは、こうした変化において、何かしら人類、人種、民族などにおいて各々普遍的な傾向といったものは存在するのでしょうか?
そして、そうしたものがもしも存在するのであれば、何に対し注視し検討、考察を行うことにより、その見解らしきもの(人類、人種、民族などにおける各々普遍的な傾向)を得ることが出来るのでしょうか?
そのように考えてみますと、歴史とは一面においてロマンであっても良いのですが、それと同時に「本来」は、普遍性を重んじる科学の対象の一つとして認識され得るものではないかと思われるのです。
そしてまた、そうした考えに基づき、はじめて「時代精神」「歴史感覚」といったコトバの「意味」を理解することが出来るのではないでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」