株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」pp.128‐131より抜粋
ISBN-10 : 4106037866
ISBN-13 : 978-4106037863
「サイクス=ピコ協定」がここまで人口に膾炙しているのも、実は世界史の教科書よりも、映画「アラビアのロレンス」で描かれたことが大きいのではないか。この映画が終盤に差し掛かる頃、ロレンスはカイロ駐在のドライデンという役名のイギリス植民地行政官から、サイクス=ピコ協定の存在を知らされる。ドライデンは、「サイクス=ピコ協定はイギリスの行政官であるサイクス氏と、フランスの行政官であるピコ氏が、イギリスとフランスが戦後にオスマン帝国の領土を分け合うことで合意した。そこにはアラビア半島も含まれる。二人は合意に署名した「協定」であって「条約」ではない」と嘯く。もちろん結果として戦後の現実はそのようなものになると分かっていながら、それは決して船中に結んだ正式な条約ではないのだから、それ以前にハーシム家のフサインに与えていた約束を破ったことにはならないのだ・・という帝国主義の詭弁を、この映画は実にいやらしく再現している。
ドライデンは架空の人物だが、ケンブリッジ出の植民地行政官でアフリカや中東で要職を歴任したロナルド・ストーズや、フサイン=マクマホン書簡でハーシム家のフサインにアラブ人の独立王国を約束したエジプト高等弁務官のヘンリー・マクマホン、ロレンスと同様にオックスフォード大学の中東学者・考古学者で戦時にカイロで諜報部門を率いた、ロレンスの上司・先輩格であるデイヴィッド・G・ホガースなどがモデルになっていると言われる。
2 メディアと国際政治
脚本の作り込みの精緻さに賛嘆させられるのは、主人公のロレンスを決して高潔な英雄として描かず、むしろ虚像を纏った人物としていることだ。時にはロレンス自身がその虚像を演じることを楽しんだ面があったとも示唆している。そのようなロレンスの心の揺れはそれ自体興味深いが、しかしより重要なのは「アラビアのロレンス」は当時の国際政治の中で求められた虚像であって、ロレンスはそれを演じるしかなかった、というところである。そのこともこの映画では描いている。
第一次世界大戦では総力戦が戦われ、一般市民の士気を高め、内外の世論を味方につけることがより重要になった。世論を方向づけるメディアの役割は高まった。大戦中にロシアでは革命が生じ、新世界でアメリカが台頭し、英・仏の政府間の合意だけでは物事が決められなくなっていた。大戦中の報道で、「アラブの反乱」とその背後で暗躍したイギリス人連絡将校ロレンスに関心が高まったのも、イギリス市民の士気を維持し、アメリカ参戦を支持する世論を喚起する、格好の素材となったからといえよう。このことも映画「アラビアのロレンス」は冷静に見つめている。
映画のハイライトはアラビア半島やシリアでの戦闘の場面である。しかし同時に、「アラブの反乱」はまさに「幕間の余興」に過ぎなかった、とイギリスの植民地行政官が語る。これは客観的には正しい。第一次世界大戦の主戦場はドイツとフランスの間の西部戦線であり、ドイツとロシアの間の東部戦線だった。イギリスは主戦場から敵の勢力を分散させるために、ドイツと同盟したオスマン帝国のアラブ地域を攪乱する戦法を採った。そしてアラブ地域での戦線も、より重要なのは、インド植民地から派遣されたイギリス軍がバスラからバグダードに攻め上がったイラクでの戦闘だった。アラビア半島の紅海沿岸での「アラブの反乱」は、作戦上それほど大きな意味を持たなかっただろう。
アラブの世界のその後を決定づけたのは、アラビア半島やシリアでの戦闘よりもむしろ、カイロの植民地統治の指導部の密室の協議であり、ロンドンやパリの列強の首都の閣議や会議であった。
ロレンスには、そのような重要な会議で決定を行う権限はなかった。しかしロレンスは「アラビアのロレンス」として、別の重要な役割を負わされることになった。ロレンスそのものよりも、そしてアラビア半島での戦闘そのものよりも重要だったのは、「アラビアのロレンス」というイメージであり、それによって喚起された国際世論である。民族の独立が大国間の秘密外交に左右されざるを得ない状況への批判や、しかしその現実を受け入れざるを得ない諦めなど、複雑な、相互に矛盾する多くのものを集約したシンボルとして、「アラビアのロレンス」が、当時の主要媒体である新聞やニュース映画といったメディア上で作られていった。ロレンスの性格の「複雑さ」とは、彼個人に由来するよりも、ロレンスが体現した国際社会の複雑さを読み込んで、反映した部分が大きいのではないだろうか。